FLYING DISC

眠たい毎日。目の下のクマがとれるのはいつの日か。

母の徒然その5。

2018-05-28 23:02:30 | Weblog

保険と制度の話です。

残念ながらハハはがん保険にはいっていませんでした。
しかしながらなにがしかの入院保険には入っていたので
それなりに助かったのですが、

なぜがん保険に入らなかったのだろうとそれはそれは
悔やんでいました。

ちなみになぜか父はがん保険に入っています。

しかし保険もさることながら、活用すべきは高額医療制度です。
年齢や所得によって支払う金額は異なりますが、
毎月一定金額以上支払った治療費(ベット代の差額などは無理ですが)は

数か月後に返還されるばかりか、治療が長引くと支払う金額が
下がるというなかなかすごい制度です。

この時ばかりは税金払っててよかったと思いました。

私は全くこの制度を知らなかったので、
最初の病院で教えてもらったときはそんないい話があるもんなのかと
半信半疑でネットで検索し倒したくらいです。


精算は1か月あたりでいろいろまとめてできるようになっていて何が
なんだかわからなくても、領収書を一式もって役所にもっていくと
担当の方が対象になるのかならないのか確認してくれます

うちはハハが領収書がたまると依頼してくるので
割とこまめにいっていたほうだと思いますが
領収書を溜めちゃうと待ち時間が長くなったり、何か忘れちゃったりすると
面倒なことになります。

私はよく親からの委任状(同居でない場合は必要)を忘れて
心底がっくりきたことが二度ほど。

足しげく通ううちに窓口の方とはすっかり顔なじみに
なりそうでしたが、そこはさすがに役所なので、
何度いってもお互い初めて会ったかのように同じことを繰り返す感じでした。

他に受けた公的サポートといえば介護保険です。
これは足腰がいずれ立たなくなるのではと懸案したハハが
自ら申し込みました。

こちらのお話はいずれまた。

シードル。

2018-05-27 21:24:57 | Weblog

とり貝がお求めやすくなっていたので
うっかり買ってみたところ、「湯引き用」と書いてるでは
ありませんか。

なんか厚みがあってぷりぷりしているな。と
思ったら調理前の姿だったのね。。

茹でてみたところ、見た目はひじょーにアレな感じに
仕上がりましたが、甘みがあっておいしかったです。

何かの器官みたいなのも一緒に食べたので
調理方法があっていたのかはわかりません。

さて、
少し前に京都は三条界隈のSpain Bar Sidraにいってきました。
割と早い時間から空いているのがありがたい。

外観が割とシュッとしているので
じっと見つめないとスペインバルと気が付きません。

ここ最近はざっかけない居酒屋ばかりいっているので、
おしゃれな感じのところはお店に入るだけでも緊張です。


こちらはSidraことシードル(リンゴのお酒)が何種類も置いてありまして、
その中から辛口を頼んでみたところ、
思って以上に全く甘くない。お酢に近い味わいです。

前菜盛り合わせには殻付きアーモンドや干しブドウなど
渋みのあるラインナップ。生ハムが彩りを添えてくれます。

2件目を控えていたので、あとはワインだけ注文したのですが
煮込みやテリーヌなども心惹かれるラインナップでした。
(たぶんテリーヌが有名な気がする)

2件目はもちろんざっかけない居酒屋に行ったわけですが、
バルでカジュアルに飲むのもいいなーと思うこの頃です。













母の徒然その4。

2018-05-23 21:57:09 | Weblog

食べるものの話など。

今まで病院食に思いを馳せたことはもちろんなく
なんとなく灰色な印象を持っていたのですが

各病院とも色々工夫されていたのが
当時かなり新鮮でした。

病院での色々な待ち時間に平らかな気持ちでできることといえば
病院の掲示板にある献立表やらレクリエーション活動の予定を
ただひたすら眺める事です。

どの病院もイベント時には凝った一品がでたり、
平時でも追加でなんだかよさげな一品を頼めたりという感じで、
献立を暗記できそうだ、というくらいに
眺めつくすとどこかから声がかかる、という感じでした。

それとこれも意外だったのが、
患者さんが入院している際に一緒にお見舞いする人も
(主に家族でしょうけれど)
何か買ってきて食事をすることが多い。ということです。

確かにそれも当然なことですが、

食事タイムに同席していて
ハハが様々な理由で食べないときは
不安や苛立ちを感じて落ち着かない気分で過ごしていたように思います。

この食事の時の自分のリアクションについては
ちょっと良くなかったな、と今でもたまに思い出して反省しています。

続く。

烏丸バル横丁。

2018-05-21 23:47:22 | Weblog
飲みに行くつもりじゃなかったのに
飲んでしまった。反省。

お酒好きにおすすめの烏丸バル横丁。
烏丸御池の中京郵便局のすぐ近くにあるビルの1階です。

周りの雰囲気からして
横丁感はほぼゼロ、全体的にバルよりの
小奇麗な感じでした。お店は10件ほど、お店ごとに
カウンターなどはあるけれども、仕切りはありません。


日曜のちょうどお昼どき、混んでるかなとおもいきや
かーなり空いていました。

場所的には若者が多いところなので、
ちょっとターゲット層がずれてる気もしましたが、
会社も周りに多いので平日はにぎわってるといいなと思います。


立ち寄ったのは串カツ屋さんと韓国料理屋さん、
どちらも美味しく、なんか追加たのものかなとなるので
逆にハシゴができません。

京都で昼飲みといえば割と限られているので
百錬やたつみ系にもっぱら行っていたのですが、
こういうお店ができたのはなかなか感慨深いものがあります。

と、いっても最終的には居酒屋さんが落ち着くもので、
つい最近行ってみた「酒場 たいげん」さんは料理もお酒も
サイコーでした。(なぜかお客さんもお店の方もどっちかというと
物静か)

まぁいずれにしてもこの最近は

ちょっと飲みすぎ。ということで本日はノンアルコールビールです。
お酒好きな人はどのくらいの頻度で
飲みにいくんだろうか。と思うこの頃です。(参考にしたい)




母の徒然その3。

2018-05-20 09:25:59 | Weblog


ポートのための処置や薬剤の投与やら様子見やらで
初めての入院は1週間ほど。

投薬中は特に気分が悪くなるわけでもなく、
割とスムーズにいったようです。(父談)

しかしながらハハが猛烈に拒絶反応を起こしたのは

病院食でした。

病院的には様々な理由があっての美味しくない。なのでしょうが
全く口に合わなかったらしく、後々転院を決めた大きな要素の
一つになったほどです。

退院当日には入院中から心に決めていた
スイカとそうめんを即座に購入…

抗がん剤治療というと食欲がなくなり、
食べ物を受け付けないようなイメージがあったので、
ハハは食欲に関しては長い間落ちることはありませんでした。
(むしろ旺盛)


ちなみに

当初病院でステージ■的な説明は特になく、
余命的なものをずばっといわれたのですが、
どうも今思うと治療をしていなければ、の話だったようです。

ハハの場合は投薬の効果がでたので色んな目安になる
数値は劇的に改善しました。

通院ごとに血液検査をするので、それをみるとだいたいの
状況がわかります。(ハハが数字の見方を教えてくれた)

治療というと

一から十までお医者さんが説明したり、なんだりするものだと
思っていたのですが、食事にしても投薬のスパンにしても
ある程度患者側に委ねられているのも意外でした。

まぁ当初の病院は建屋も古く(歴史もあるのでしょうがなんせ年季が)
救急指定で絶えずバタバタしてる病院で、
全体的にサバサバしている感じだったので、そういう方針だったのかもしれません。

病院によって色々違うんだな、というのは
後ほど知ることになります。

続く。


八瀬。

2018-05-15 22:51:02 | Weblog

青モミジが見たくなったので

京都は比叡山麓の八瀬へ。

叡山電車に揺られて出町柳からほんの数十分で
緑の山に突入です。

高野川の川面のキラキラや新緑まぶしい木々にワクワク。

さっそくお散歩開始。。といきなりそこに
アユの塩焼きとビールを販売しているお店があるではありませんか。

しかしながら小心者の私は逡巡します。
アユは大好き。でもここで食べるべきなのかどうかが
わかりません。ぐるぐると迷います。

そんな私にも決して腹をたてない仏のような連れはどうする?と
しんぼう強く私が答えを出すのを待ちます。

ようやくまぁたべてみようかと
もごもごいうと、よしわかった、とアユの塩焼きとビールと
なぜか肉まんを注文、川辺でもぐもぐと頂きました。

お腹も満ち足りてしばらく歩いていると、
何やら行列が。

とおもったら

瑠璃光院さんでした。(美しい紅葉の写真が撮影できる)

何かのサービスでしょうか、門前で
お寺の人らしき人が順番待ちをしていた人たちに
無条件で記念撮影をしてあげていました。

私は並ぶのが好きではないので、(じっとしてられない)
そこから引き返して八瀬界隈をしばらく散策し、
蓮華寺に向かいます。

この蓮華寺は大変よかったです。

こじんまりとしていますが、
十分に手入れされたお庭、ご本尊が中にあらせられる螺鈿の入れ物?、
天井に絵が描かれた龍、そしてなによりお庭に配置されていた
石の仏様がなんとも美しく。

でも写真撮影が一部制限されていたり、
入場には年齢制限があったりと、そうなるまで何かとご苦労があったのだなと
推察します。

帰りにハトで有名な神社によって
(狛犬もいるが狛犬的なまぁまぁ大きいハトの石像が対で置いてある)

帰路につきました。

だいぶ運動したなと思ったのですが
帰りに飲み屋を二件はしごしたので体重はアシがでました。

今週はせっせとジム通いです。








母の徒然その2。

2018-05-14 22:33:45 | Weblog

電球が届きました。アマゾンさんありがとう・・

2日前にお風呂場の電球が切れてしまい、
洗面所の明かりだけで入浴していたのでこれで安心です。

ハハの話の続きです。

PET検査の後に待ち受けていたのが大腸の内視鏡検査です。
これがずいぶんと打撃だったようで、
今思えば一回目の抗がん剤治療の時よりも衰弱していました。

その後発熱し全体的に調子を崩したので
抗がん剤治療も危ぶまれましたが、本人の強靭な意思もあって
治療がスタートします。

さすがに最初は入院しましたが、
2回目以降は通いの治療となりました。

2週間に1度2日間の持続投薬の標準治療です。

ハハの場合は鎖骨付近にポートを埋め込んで
そこから薬剤をいれるというもので

薬剤(ペットボトルくらい)は肩からたすき掛けにできるので、
点滴のように拘束されるわけでもなく投薬中でも動けるようになっています。
ぱっと見ただけでは投薬中であることはわかりません。

PET検査からこの投薬開始まで2週間ほどでしたでしょうか。

高額治療の申請なるものするために
あわてて役所にいき、

(病院が入院前に申請していおくほうがいいよ、と
教えてくれました。この制度はなかなかすごい)

今後のことを考察したりしていたらあっという間に入院初日です。

といっても

ハハは大きなスーツケースと一緒に一人で病院へ向かったのですが。

父も老齢ながら仕事をしており、私も仕事があるので
付き添いをどうしようかと思っていたら、

一人で行くから大丈夫だと言い張ります。

彼女はもとから一人で海外旅行にいく人なので、パッキングや
移動なんかは特に問題はないのですが、ことが事なので
迷ったものの、結局は一人でいってもらうことにしました。

この付き添いというのをどうしていくのか、は
家族が病気になったときにはなかなか難しい問題だと思います。

うちは最初の検査や入院からして一人でさっさとする
タイプなので本格的に付き添わないといけない時期になるまでは
一人で通ってました。

つづく。




旅の続き生口島。

2018-05-13 21:53:12 | Weblog

旅行のお話です。


翌日は生口島なる島にいくべく
広島市を経由して三原市の船着き場まで
大移動です。車ではありません。電車です。

2時間近く電車に揺られた後、
三原市へ到着。

船着き場の場所を確認し、船の時間までどうしようかなと
思っていたら


連れがおもむろに

タコのてんぷらを買いに行く。

と言い出しました。

三原市はタコが有名だそうで
何やら名の知れたお店があるとのこと。

確かに町中なんとなくタコの気配を感じます。
明石っぽいというか。

そして食いしん坊の連れがまっしぐらに買いに
言っただけのことはあり、

極太タコ足一本分(切ってない。本当に足一本)
のそのてんぷらは
私がいままでに食べたタコの中で一番おいしかったです。

ちなみにタコは船の待ち時間に船着き場で
もぐもぐしていたのですが、そうこうするうちに
船の時間。

年代物の高速船に乗って約20分。

レモンビール片手に商店街をぶらぶら歩き、
耕山寺へ。このお寺はなんといいますか、もう
ビジュアル系お寺みたいな感じです。落ち着かない気分で
お寺を抜けると、とある丘に道が通じていまして。

上へ上へと向かうと 景色がガラッとかわり
ギリシャ風の白いオブジェたちが眼前に広がります。

シチュエーションが謎すぎるのはさておいて、

瀬戸内海の青い空と真っ白な大理石による
異国情緒感にみな我を忘れて写真を撮りまくりです。

まぁ海に目をむけるとそこには思い切り
日本の海辺が広がっているわけですが、どちらにしても
山頂でしたので眺めは抜群でした。

帰り道は島の名物のジェラードを食べながら
また商店街をぶらぶらと歩き、
タコの干物とレモンのドレッシングをお土産に購入。
レモンが名産の島なので、レモン関係のお土産が
どれも大変魅力的です。レモンケーキ買えばよかったな・・・

そしてまた年代物の高速船にのって
一路三原市へ。そして三原市から帰路につきました。

と、宮島のことを書くのをすっかり忘れていたので
こちらはまたの機会にしたいと思います。








母の徒然その1

2018-05-12 23:12:24 | Weblog

と、旅日記の途中ではございますがここで母の話。

突如癌を宣告された彼女の2年半に渡る闘病生活。
つかず離れずで見守り続けたあれこれも時々書いてみようと思います。



ちょうど3年前のこと。

仕事中にハハから電話がかかってきまして
帰りに実家に寄って欲しいと訴えるので、
遅くなるから今言ってくれと伝えたところ、

一呼吸おいて

お母さん癌らしいのよ。と。


後からきいた話を要約すると、お腹上部の痛みを
地元医に相談、精密検査を勧められたので
自らでPET検査ができる病院を探して診察を受けたところ
そのままいきなり告知を受けちゃったそうです。

(一人で検査にいったので告知も一人で受けた)

診察の結果は上行結腸癌(大腸がん)&そこから肝臓にも転移の
ダブルパンチで手術ができないというまぁまぁなステージ。

最初の告知のくだりにはいささか疑問もあるのですが
その後進行具合(いわゆる余命的なもの)について伝えるかどうかは
家族の判断に委ねられたので、協議の結果それは伝えない
ことになりました。

ちなみに

父がいったん先生から話はきいていたのですが
なぜか私にも個別に話をしたいというので、一路病院へ。

初めての経験過ぎてもはや無に近い状態で臨んだ
先生との打ち合わせ(?)は、

おそろしく狭い面談室で
ハハのレントゲンを二人で眺めるという割にシュールなものでした。

調子の悪い臓器のレントゲンを見るのももちろん初めてなので
これがお母さまの癌ですと教えてもらってもいまいちピンときません。

それでも、先生の様子からずいぶんと深刻な状態であることが
わかりました。まぁそもそも個別に呼び出されたのが状況が深刻で
あることを物語っているのですが、私はまだまだピンときていませんでした。

どぢらかというと冷静な性質なので
特に取り乱すこともなく話を聞いていた最中、

何よりも気になっていたのが

次の診察にはハハから同行を依頼されていたので、ここで先生と
会っていることが彼女に知られるとまずいわけです。

ですので、先生と相談して次に会ったときは
お互い初対面のふりをすることなり、その場を後にしました。

そして迎えた診察日。ハハは私を先生に紹介し、私と先生はどうも初めまして、
とわざわざ「初めまして」と言うミニコントを繰り広げた訳ですが、
ハハには気づかれずに済んだようです。


そうしてハハの戦いは幕を切りました。

私たちはずっと傍らにいましたが、彼女は自ら進んで癌の勉強をし、
病院を探し(結局4つの病院にいった)、病気と闘い続けました。

そんな彼女の様子を時々書いていこうと思います。





ひさびさに。

2018-05-10 00:11:45 | Weblog

なんとなく再開しようかなとやってきたのですが
6年もの月日が経過していてびっくり。

最近数年ぶりに宮島に旅行にいってきました。
修学旅行生と外国人観光客で大賑わい。

本日は食べ物の話を、と。

以前はカキ類には興味がなかったのですが
ここ数年で貝類に目覚め、今回もカキを食べるべく

その名もずばり「牡蠣屋」さんを訪れました。

といってもここに入るまで通り(食べ物屋さんや
お土産もの屋さんがある)を何往復もして、
店が決まらず雰囲気が悪くなりかけた頃にようやく
決めたのですが。

私は小心者なのでこの手のお店えらびは冒険しません。

大人の食事処といいましょうか、表の喧騒とは裏腹に
落ち着いた雰囲気の、どちらかというとおしゃれなお店。

ワインも充実のラインナップで、(そんじょそこらの飲み屋よりも)
メニューを眺めてるだけでも気分が高揚します。

焼きガキ、牡蠣のオイル漬けや牡蠣の炊き込みご飯が
セットになった定食と さらに焼きガキとさらにさらに
焼きガキスペシャル(正式な名前ではないですが、なんか
ちょっと高いやつ)をいただきました。

ワインもくいっと。昼間から。いやぁ大人になったもんです。

広島の牡蠣は大きくて食べ応えもあるし、
なんとういうか見た目が「ザ・牡蠣」。

こちらのお店で
いろんな牡蠣を堪能したわけですが、

生ガキはどうもこの時期は特定のお店しか提供していないようで、
界隈では一軒しか見つかりませんでした。

無類の生ガキ好きの連れは
ショーウィンドウ?の生ガキのレプリカをじっと眺めて
反問した挙句あきらめていましたが。

(なぜなら焼きガキを食べすぎておなかいっぱいになったから)

そして、通りに唯一あったわかりやすい食べ物屋=コッペパン屋さんに
修学旅行男子が群がっていたのが面白かったです。

もう本当に男子だけ。女の子たちは焼きガキや焼きちくわみたいなのに
果敢に挑戦していたんですが、貝が苦手な男の子たちは
コッペパンをほおばる、と。