詩人の稲木信夫さんが散歩途中に私の事務所へ寄られ、「水脈」誌をいただきました。
2015年12月に亡くなられた阪下ひろ子さんの追悼特集が組まれています。
当時も書きましたがその3か月ほど前の9月、戦争法案反対パレードで一番最後尾を歩かれ、100メートルぐらい歩き、しゃがみこんでしまったのでびっくりし、お話ししたのが最後でした。闘病の最後まで、詩人として平和憲法を守るたたかいに参加されようとした、強烈な印象です。
三国高校文芸部で浅田豊先生の薫陶をうけたことが文学人生のスタートで、当時の仲間の五十嵐冴子さんもこの号の巻頭詩を書かれ、追悼も書かれています。
阪下さんの詩より。NHKニュースの「福島原発事故、人が近づくと死に至る高い放射能・・」云々とのニュースを聞きながら、あらためて読む。
纏足になった敦賀半島
昔中国の娘は小さな纏足が両家へ嫁入る条件だった
母は愛情ゆえに深い悲しみに耐え娘の足指を折った
四本の指の肉は腐りやがて足裏にぴったり張付いた
朝六時半
昼になっても開かないシャッター通りに
原発行きのバスを待つ作業員の長い列
バスの中で読む朝刊の片隅に
敦賀から福島へかり出される作業員のことがたった数行だけ
真下走る 断層 破砕帯
密かに放射能測定値を覗きこむ若い母親は
ベランダの窓を開けずに洗濯物を干し
「原発でおまんま食っていられるんだから」と
仕事のことは何ひとつ語らない夫のことを気づかう
「あんた達だって知らん顔をして いいことだけは受けっ放し」
交付金まで先取りするずぶずぶの市財政
民宿の主人はぼそりと
「おやじの頃にはなぁ 港で食っていけたんだ……」
病院も学校も船で通う村に新しい道路が走って
爪先にコンクリートの纏足を受け入れたあの時から
山も海も人も心も足萎えになってしまった
四十年も負ぶせられた半島は時々放射能(ためいき)を漏らす
友は福島から帰ったばかりでこちらの世界に戻れないでいる
きつく巻かれた足指の布を黙って見つめながら