「赤旗」を読み始めたのは1977年だから30年以上になる。当時、下宿に来て「佐藤、いい本もってるな」などと、手塚治虫のマンガコミックを居座って読んでいた大学の先輩の女性がいた。この先輩が必読していたのが、赤旗の「まんまる団地」と「ラジオ・テレビ欄」。通称「ラテ欄のたく」などと呼ばれていた。「高橋」という姓だったからだ。
よく「今日のまんまる団地は面白かったなあ」などと言っていた。
★
清水勲氏の「四コマ漫画」という岩波新書を読んで、学生時代の一こまを思い出した。
清水氏は「まんまる団地」の作者・オダシゲ氏について、次のように紹介している。
・・・・「『赤旗』の昭和50年2月27日から連載され、現在も続いている四コマ漫画である。親しみやすい、悪人までも善人に見えてしまうような柔らかい描線と抜群のアイディア力で人気を得ている。昭和58年からは単行本も出されている。」・・・
そして、昭和62年11月の4501回目の漫画とともに、「絵はうまいとはいえないが味がある」とのコメント。
巻末の略歴には、「1943-。神奈川県出身。働きながら定時制高校を卒業。そして漫画を描き続ける。昭和50年より『赤旗』に「まんまる団地」を連載。読者をうならすアイデア力で人気を得、平成15年に1万回を達成。現在も連載中」とある。
時々開かれる「赤旗まつり」には作者の原画が出品される。1枚2000円程度なので、買おうと訪れるが、いつも完売で、買えたためしがない。
12000回を超えて連載中であり、今後とも元気で描きつづけてほしい。
★
清水氏の本には「四コマ漫画史年表」がついている。
延宝3(1675)年の一休宗純の「一休骸骨」にはじまり、平成20年に著者が出演したNHK衛生の「日本の四コマ漫画」や「萌え四コマ」紹介番組まで。
眺めてみると、
1971 「赤旗」1月1日号に宮下森「ごくろうサン」連載。
1975 「赤旗」2月27日号にオダシゲ「まんまる団地」連載
1994 「赤旗」日曜版10月23日号に やくみつる「やくみつるの小言・大言」連載
とある。
ほかの政党機関紙はでてこない。
手塚治虫が「ほかのは仕事、赤旗のは心」などと言って、赤旗連載の漫画原稿を優先してきちんと渡してくれていた、という話を読んだことがある。
「漫画」もふくめ文化を大切にしてきた日本共産党の活動の深さの故だろう。
よく「今日のまんまる団地は面白かったなあ」などと言っていた。
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清水勲氏の「四コマ漫画」という岩波新書を読んで、学生時代の一こまを思い出した。
清水氏は「まんまる団地」の作者・オダシゲ氏について、次のように紹介している。
・・・・「『赤旗』の昭和50年2月27日から連載され、現在も続いている四コマ漫画である。親しみやすい、悪人までも善人に見えてしまうような柔らかい描線と抜群のアイディア力で人気を得ている。昭和58年からは単行本も出されている。」・・・
そして、昭和62年11月の4501回目の漫画とともに、「絵はうまいとはいえないが味がある」とのコメント。
巻末の略歴には、「1943-。神奈川県出身。働きながら定時制高校を卒業。そして漫画を描き続ける。昭和50年より『赤旗』に「まんまる団地」を連載。読者をうならすアイデア力で人気を得、平成15年に1万回を達成。現在も連載中」とある。
時々開かれる「赤旗まつり」には作者の原画が出品される。1枚2000円程度なので、買おうと訪れるが、いつも完売で、買えたためしがない。
12000回を超えて連載中であり、今後とも元気で描きつづけてほしい。
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清水氏の本には「四コマ漫画史年表」がついている。
延宝3(1675)年の一休宗純の「一休骸骨」にはじまり、平成20年に著者が出演したNHK衛生の「日本の四コマ漫画」や「萌え四コマ」紹介番組まで。
眺めてみると、
1971 「赤旗」1月1日号に宮下森「ごくろうサン」連載。
1975 「赤旗」2月27日号にオダシゲ「まんまる団地」連載
1994 「赤旗」日曜版10月23日号に やくみつる「やくみつるの小言・大言」連載
とある。
ほかの政党機関紙はでてこない。
手塚治虫が「ほかのは仕事、赤旗のは心」などと言って、赤旗連載の漫画原稿を優先してきちんと渡してくれていた、という話を読んだことがある。
「漫画」もふくめ文化を大切にしてきた日本共産党の活動の深さの故だろう。