みやちゃん日記

気侭に書き込みます。

颱風は何処へやら・・・

2012年06月20日 | Weblog


まあ来ない方が良いとは思うが今度も台風は少しだけ吹いたようだが心配するようなこともなく過ぎ去った。
昔実家にいる頃は毎年210日になるとお御堂の外には風に吹き飛ばされないように竹などで囲ったものだった。
ある年などふすまや御経などが吹き飛ばされて一山越えたところまで飛んで行っていたことがあった。
今はサッシのガラス戸が入っているからそんな心配はない。家の中は心配ないが外の杉の木が30っぽんあまり折れたことがあった。
19号颱風の時だったと思う。今はその杉の木を植えてあったところは弟の家を建てたときにその辺りから畑まで駐車場にしたので倒れる杉の木は10本あまりなので心配ないと思う。
私の家は一度だけ屋根瓦が2~3枚飛んだことがあったが本当にあまり被害が無く幸せだと思って居る。今日も風がごう~と音を立てていたがそのうち静かになった。
災害が起きたりしたら私はお手上げである。そんなに長生きも出来ないと思うので生きているうちは災害に遭いませんようにと思って居る。
きょうもせなかがいたくて気が晴れない。夫も尻餅をついたところが痛いのか湿布を持って来て貼ってくれと言って居る。年は取りたくないもんだ。
私も今日立とうとしたとき尻餅をついたが全然痛くない。丈夫に出来ているようだ。腰も痛くないわけではないが尻餅着いたからといって痛さが続かない。
丈夫に出来ているのかもしれない。


今日は台風4号が来ると言っていたが

2012年06月19日 | Weblog


最近そうは言っても山の高さの性か大きい風をもたらさなくてたすかる。
午前中は音を立てて降っていたが、午後は降っていたようだが大雨とは思わなかった。
夜中に雷や風がと言って居たがどうであろうか。
夕方から体調が悪くて昨日入院することにしたらよかったかなと思ったが
何とか大丈夫かなと思って居る。
炬燵に寄りかかっていたら一人治ったら又変わりかいね。と言われたがほんとうにすぐれない。
今日は寒く炬燵に電気を入れていた。

寒いのでお風呂に入って休むことにする。
寒いせいか手が痛くて背中も痛く辛い1日だった。それでも何とか1日心の中では口説いているが、どうすることも出来ないので我慢我慢である。

メールの画面がおかしくなって直らない。こんな事初めてである。指が不自由なため動いたとき画面がずれてそれが直らない。
最近はこんな事がよくある。そのうちにどうして直ったのか分からないが直っている。
こんな事をして分からないうちに直る。
夫はこの間おしりから落ちたようできょうまだ痛いらしくて湿布を貼ってくれといってきた。何分話せないのでどんな辛さなのかが分からずかわいそうである。

 


慣れないことは

2012年06月18日 | Weblog


夫に車椅子を押して貰おうと思って付いて行って貰いましたが、やはり慣れないことは駄目ですね。
今日はレントゲンと心電図だけでしたので心電図まで連れて行ってもらって月曜日で忙しいと言っておられたので後は私が操作しました。
運転手さんが「お父さんなんにも話しないのですね」と言われるから「今は話せなせないのです」と言わなければならない始末。補聴器していっているのに聞こえているのかいないのか可哀想ですが、どうすることも出来ません帰りに私がトイレに入っていこうと思って「お父さん、お父さん」と呼んでいるのに知らんぷり!いいかどうせそこいらの椅子に座って待っていてくれるだろうと思って居たら何処にもいなくてよたよたとあちこち探していたらずっと奥くまで探しに行っていて又それを迎えに行って来ました。私も歯がゆいですが、夫もどれだけか歯がゆいことだろうかと可哀想になりました。
年を取るということは若いときには思っても見なかったことになることを知りました。
「お父さん疲れた?」と聞いたら「うん」と言って居たが精神的に疲れたことだろうと思いました。私はくたくたになりますもの。
今日は1日家においておくのが不安でもあったので付いてきてとお願いしたが、自分が疲れるとおりに夫も疲れると思うので来月は一人で行こうと思います。
入院になったらどうしようと思って居たがきつい制限が掛かるので辛いが、少しでも家族にも面倒かけずにと思って居ます。


穏やかな日曜日

2012年06月17日 | Weblog


昨夜大騒ぎしたのが嘘のような静かな日曜日である。
夫はどうもおしりから尻餅をついて落ちたようで今日はお風呂から上がって湿布を貼ってくれといってきた。
私がなんにも出来ないばかりにと思うと申し訳なく思う。
でも夫も落ち着いているし穏やかな一日だった。夫も私も少し長生きしすぎたかも知れない。息子に迷惑をかけることが多くなってきた。
今はまだ夫は食事の支度などしてくれているので良いが二人とも何にも出来なくなったときは何処か施設にお世話にならなければならないと思う。
私は全部は出来ない。掃除洗濯食事の支度など出来そうにない。夫だって今は自分を持って遣ってくれているが何時かそれが出来なくなる。
その時のことを考えておく必要があることを息子と昨夜話した。

今日夕方久し振りにばろうへ買い物に連れて行って貰った。白雪を買って来た。
ずっと果物が出なかったので何か食べたかったので美味しかった。
フルーツの缶詰めも一個買ってきた。アイスを買いたかったのを忘れて買わなかったが、
明日は医科大だが夫について行って貰うことにお願いした。
車椅子でないと動けないのでそうした。申し訳ないと思うが、1日家に一人でいて貰うのも不安な点もある。お互いがこんな心配をしなければならなくなっているなんて・・・
情け無いがこれだけはお互いをいたわって生きていくしか仕方無い。
それでも私たちは助け合えるとして息子はどうなるのかと思うと心配である。一人になったら施設に入れていただけばいいとは思うが、一人になって居るとき倒れていても気がつく人がいなければ何日でもそうしていなければならないのにそんなことを思うと自分のこと以上に心配になる。先の心配をしても仕方無いがそれでも心配である。朝昨日救急車で行くとき「奥さんお体悪いのに私が付いていって上げますか」とお声かけして下さった方の所へお礼を言いに言って話していたのだがこの方も独身で
妹さんに電話出来るように枕もとに携帯を置いて寝ていると言っておられた   がそんなことだろうと思う。息子にもいっておかなければと思う。あのメタボではいつ何が起きてもおかしくないから・・・


夫が救急車で

2012年06月16日 | Weblog


何時ものように夕方外から帰って食事の支度をして居た。
どたって音がしたのでとっさにお勝手に行ったら、やはり夫が倒れていた。
私は慌ててガスの火を止めて「お父さん大丈夫」と行って抱え込んだが何分力がないのでどうしようもなく大声を出して息子を呼んだら「何や」と返事があったので「お父さん倒れた。きて」といったら直ぐ降りてきてくれた。
私は「救急車呼ばなければならないけど何番?」と言ったら教えてくれたので私は電話しに茶の間に戻った。無性に私が出来ないばかりにと思ったら涙が出て来た。
私も息子も何にもさせないでいたら呆けると思って時間の掛かるのを承知の上で遣って貰っているのだがこんな事があると惚けて分からなくなっても何にもさせずにいた方が良いのかなあと思うことがあるが、それでも人間でいて欲しいと思うことと、夫も買い物をしてきて何かを作ることが私に対して自分が面倒見て遣っているという気持が働いている様なので私は今は出来ない状態なので甘えているのだが・・・
それが驚いた。救急車は直ぐ来て下さった。
脳梗塞の状態でもなさそうだったが冷や汗が流れるように出て生あくびを何回もしていてそのうちに目をつむりだしたので「お父さん確りしてね」と声をかけていた。
血圧も下がっていたのできっと血圧が下がって倒れたのかも知れない。
びっくりしたあ。
何分暑かったのか下着のシャツだけになって居たので何か上に着る物をと考えるがこんな時ってパジャマが良いかとか思いながら
何にも持たずに行った。
病院も県中は難しい患者さんがいて駄目、済生会はやはり断られたようで市民病院まで行って来た。それでもお陰様で帰ってこられた。
帰ったら茶の間に入らずに台所へ行こうとするので座っていてと言ったが申し訳ないと思った。
そんなことで夕方からばたばたしたがなんなく終わってよかったと感謝している。
「これからのことを考えないといけないね」と息子と話したが急にケアハウスなど夫婦では入れるところがあるだろうか探してみなければいけないと思う次第。


今日は年金の振り込み日

2012年06月15日 | Weblog


今月は何かとお金がいって待ち構えていたように午前中に行って来ようと思っていたが役所からの書類のことで電話していたら12時過ぎてしまった。
今日はマッサージの先生が来られる日なので40分しかないけれど行ってこれるだろうと思って出掛けた。
だがやはり間に合わなかった。夫に先にやって貰ってと話はしてあったのでそれは良いのだが、何となくこの部屋で休みたいと思って居たので布団を何時も上げていって下さるのを話して分かっていただいてそのままでお帰りいただいて横になって居た。
いきなりけたたましく電話が鳴ったので出たら医科大からで先生は私が預かっている器械が心不全の数値が高いと言って居ると言われた。
最近何か変わったことがあったかとのことしんどい日が何日も続いていたのでそう答えた。「どうしたらいいのでしょう?」とお聞きしたら「水分を減らすか、利尿剤を増やすか」と言われるので「これから夏に向かって水分だって800CC、利尿剤を増やせば先生トイレの前に座っていなければなりません」と行ったら兎に角「来週お出で」と言われた何もかも私には無理なことばかり、でも何かを我慢しなければいけないことだけは確かなのだが・・・生きるって大変な事である。
もうそろそろ身体的には限界なのかも分からない。もう一つの病気も進んでいるようで首から下は手であれ足であれ異常であることは自分が一番分かって居る。
息子にもしかしたら入院になるかも分からないと言ったら「持って行けばいいじゃないの」と言うがそんな荷物を持って病院の中を移動して歩けたらどってこと無いのだが
夫にその説明をするのが大変である。こんな人を置いて先に逝けないと思うがこれだけはどうなるとも言えない。兎に角月曜日に行って来ることにする。しんどいなあ。


ダスキンを集めに来る日

2012年06月14日 | Weblog

一昨日の夕方ダスキンを今朝取りに来ると電話があったのを忘れていた。
聞いたその時は明日は何にも用事がないから明日しようと思っていたのに昨日は体調が優れなかったので1日中寝ていた。
本当は夕方何か飴でも買いに行きたいと思っていたがそれもしんどくて息子が先日せんべいを買ってきてくれてあったので良いかあと思ってでなかった。
朝8時になっているのにふっと思い出して「お父さん2階から階段を拭いて降りてきて貰えなですか」とお願いしたらいつになく「分かった」と言ってくれた。
私は乾いた方をもって玄関キッチン洗面所脱衣場とそれこそ四角い部屋を丸く拭きでそれに今日は右手が調子悪いのでダスキンの柄にすがりつきながら漸く済ませた。
階段を済ませたのでトイレを拭いてだしたいと思っていたのに時間でお迎えがあったので出掛けた。
体調がよくないと出掛けるのに何となくぐずぐずしていてどうせ行くのにぎりぎりまで用意がはかどらない。そんな時のダスキンのことなのでよくできたと思う。
その後鍋の裏をはたいてそんな時に限って眉墨をうまく引けない。
右と左の違いを少し直すだけなのに手の性かも分からないが思うように引けなかったが何とか間にあった。
今日は1日何となく気が重かった。それでもスタッフの皆さんの心使いで何とか1日が過ごせた。

私の親しくしていただいている方がお加減がよくないと言っておられた。
私はとても心配している。どうか早く回復されるようにと祈っている。

今日は哲ちゃんという新卒の坊やが来て居た。もう一人のっぽの哲ちゃんがおられる。ので小さいテッちゃんとでも言おうか。
この頃は本当に優しくて良い子がきてくれる。社長が優しいから部下も優しくなるのかも分からないが・・


私のお知り合いで不幸があり

2012年06月13日 | Weblog


息子が中学の頃市Pのお役をともにした方のご主人様が亡くなられた。
その後も何年もお付き合いがあったのだが、私はボランティアや民生委員
市の均整委員女性部会の副会長を仰せつかって忙しく身体がついて行けず
自然に疎遠になって居た。
私は忘れてはいなかったがあちらの方を通るときは何時もこの家だわと思って居た。
もう35年も昔になるだろうか?私などがお付き会いいただけるようなおうちではないようなおうちだったがPTA の時は副を引き受けて下さって本当は今夜お詣りしなければならないのだが、この身体ではとてもじゃないが失礼するしか仕方無い。

もう息子さんは社長になられ年も53歳だと思う。

会社もおうちの方も何の心配もないがそんなことではなく私より1歳下の方なのでお寂しくなられるなあと思う。
これからはこんな話を聞く機会が増えることだろうと思う。

お互いのおうちへ行ってお茶をいただいたりその方のおうちには何回か伺った後それは今の家ではなく前の純和風のおうちだった。出た所にスタンドがあったが今のおうちを建てられた頃に無くなったのでどうしてか分からないが今のおうちは外観は様式になって居る。此方のおうちへは伺ったことはないが・・・

今日は明日持って行くお菓子を買いに行きたかったがどうしても出掛ける元気がなかった。腰の痛いのがよくなってくれたら何とか出掛けられるのに歯がゆい身体である。
今日は洗濯物をたたんだことが1日の仕事である。


外に出ないので

2012年06月12日 | Weblog


出ないといったら1歩も出ないのです。だからお天気がどうであったか全然分からないのです。新聞を取りに行って外を見たら挿し木や軒の内側の鉢に水を上げなくても良いとは分かったのですが、その後はどうだったのでしょう?
おひるすぎにマッサージの先生が帰られるときは晴れていました。
何分腰が痛いのでなんにもしたくありません。治るのかなあと思いますが、この年ですから余り期待できません。整形の先生は同情はして下さいますが、それのための薬も注射もして下さいません。目一杯薬を出して下さっているのでこれ以上は呑まない方が良いからだろうと思います。
今夜テレビを見ていたら漢方の先生が色々話されました。初診4年待ちという先生も出ておられました。順天堂病院まで行けないし4年たったら生きているかどうかそんな気の長い話はいいです。
でも親馬鹿で息子のことが気になってこの話を息子に聞かせたいと思いますが、聞く相手でもないからいいかあと思ったり・・・

今日新潟がご実家だそうでおみやけに栃餅をいただきました。
先日からお餅の付き入れや栃餅を食べたいと思って居たので嬉しかったです。
私は手に力がないのでお茶をお出しできません。
それでお茶代わりに売っている飲み物をお出ししているのですが、それに対してのお心使いだと言って下さったのですが、嬉しくいただきました。
情け無い手になりました。ですので私は何方にもお茶は出せません。
水分制限で大好きなコーヒーも飲めません。ほんとうは800CC の水分しか許されていませんがいまは900CC は飲んでいると思います。足が何となく浮腫んだりして・・・そうなると歩きにくくなりますし・・・冷たい水ぐらい思いっきり飲みたいです。あれも駄目これも駄目で生きるのも辛いものがあります。
息子はまだ帰りません。


何とかケアセンターは行けて

2012年06月11日 | Weblog


 朝8時にタクシーの予約をして浅ノ川病院へ向かった。
こんな時間は待合室は割と検査を受けに行かれた方もおられてすいている。私が着いたのと一緒に受付のシャッターが上がった。
その前に何人かの方が検査表を持って検査に行っておられる。
私は背中も痛いのでケアセンターへはどうしても行きたかったのでもし混んでいたら薬だけをいただいて帰ろうと思って居たが先生ともお会い出来てお薬を
出していただいた。
帰りに駅西保健所によって用事を済ませてと考えていたのに印鑑をいつになく持って行っていなかったので又行って来なければならない。
それでもケアセンターに着いたのは11時前だった。
自分のやって貰いたいことは全部出来たので行ってきた値があった。
タクシー代は往復で3800円ほど大体月に1万円は必要だと言うことだ。
我が家は特別な生き方はしていない。ささやかな生活だが私はお医者様にはと言うより
タクシー代だけは掛かる。
身体がタクシーに乗って出歩けるほどではないのででもどうしてか小使いが足りなくなる今までゆとりがあったのに分からない。

今日は一日どうも出来ないくせに友人のことを考えていた。
娘さんが二人おられるが田針跡取りの息子さんだったのでお孫さんはもう高校を3年ほど前に卒業して働いておられるので家の中の心配は何にもないがこれからは精神的な者があって私が正常な精神で生きている間は電話をかけて話を聞いて上げたいと思って居る。私は夫がいることと独身の息子がいるのでしんどくても長生きしていなければならないかと思うが、考えたら私などは長生きしすぎだと思う。
いつ逝ったらいいのだとは思わないが間尺に合わない私など社会に対して申し訳ないと思って居る。それならせめてもの事元気で居たいと思うが私の思うように身体はなってくれない。このことが情け無い。