ラヴェンダーの咲く庭で

「みゃーきんぐ・ぷあ」から変更。保護猫と綴る日々の備忘録、独り言にすぎない半径5mの記録です!基本、読み専です。

思い出に変わるまでが、

2021-05-20 22:16:57 | 猫病気

少し体調を崩しています。

まぁ、運動でも、学問でも、細々であれ、投げ出さずにやれる範囲で継続し続ける事が大事だと、その事が現状維持や、数ミリでも前進につながるかなと。(三日坊主でも、繰り返せは蓄積すると結構な量になる!)

また読者ウケなどモニターの向こうを意識するのではなく、ちっぽけな自分の気持ちや、やった記録を淡々と書くのみが一番、マイペースが一番な今の自分です、ぼちぼち行くしか!!

 

◆5月11日(火)曇り。19-15℃

 

もじゃ公が昨日の早朝4時44分に、この世を去ってから、余りに家の中が静かすぎて、変な感じが続いていた。また、一年八ケ月弱続いた強制給餌などの時間を身体が覚えすぎていて、もじゃ公の居続けた方角を「無事かな?」と、うかがっては「ハッ」と我に返る。

玄関に安置され、火葬の予約を待つ猫の箱は、手間暇かけたあの愛猫とは違うものなのだった。

 

それでも、一匹がこの世を去っても、私の忙しさは変わりない。猫2匹は歳の上に末期の腎不全。小脳形成不全の這いまわるきーじも、少し元気がない、朝、目覚めベットで「もう、強制給餌が無いんだっけ…。」とぼんやり座る私の膝に、彼はぐいぐい身体全体を押し付けてきた。

猫団子を形成していたクロも落ち着かない、新しく座布団を敷くもなかなか寄り付かない。

疲れて、少しだけ昼寝をした、が、ほぼ、いつも通りの日課、運動も練習も家事も。夜も眠れず運動を。あれだけ介護が終わったら寝続けるのが夢だったのに、最後の餌を上げなくてはと目が覚めている、調子が狂っている。

昼は、みーみーぼーが大失禁、気の毒で外していたオムツを、この日からもう外さず使用することに。

  

また、もじゃ公が大変な時には時間的に不可能だった、衣類の整理、断捨離なども出来た。

下着をぼちぼちヨガなどに使うようなデザインに変えた、表にも着れる、見えても構わないスポーティなものに変えていったのだが、これが私の運動をする気持ちに火をつけている。形から入るのも大事かも。

 

◆5月12日(水)曇り。21-15℃

 

梅雨のころ麦は実る、麦秋が来たのも気が付かないでいた…。

今日は猫の亡き骸とお別れする日である。早朝から深夜にわたった強制給餌が無いのが、まだ不思議だ。クロとみーみーぼーの輸液から始めたが、

 

 

三毛猫のみーみーぼーを「もじゃ」とお世話しながら呼んでしまうのだった。

掃除しようと離しても、すぐに戻り離れなかったボロボロの段ボール箱を解体していた、それを朝の資源回収に出したり、彼女の痕跡は徐々に消えていく。

そして、火葬の予約の時間になる。

 

出かけるときに、「ここにすぐに帰ってくるから」と遺骸に言い聞かせながら到着。(到着するまでずっと、可愛いと思っていた耳のくるんとカールした装飾のような毛を、「これが最後だ」と思って撫でていた。)

私は「がんばれ」と段ボール箱から、抱きあげて彼女を台車に乗せた。

レールが自動的に炉に向かって進み、ステンレスの入り口が閉じられた。入れていた段ボールを畳んでいる時に、彼女を焼くガスのボーと着火した音だけが、暗闇に響いた。

       

私は大気に帰っていく甘えん坊の彼女をいたたまれない気持ちで、待ち時間を外に出て、ウロウロした。

時間が来て、炉の彼女は小さなお骨になっていた。高齢(推定18~20)なのに、とても立派な骨を見せて再び現れ、私の気持ちに一区切りの終止符を打った。

お骨と一緒に帰宅、とても疲れていた、だが、あれだけ睡眠を切望していたのに、眠れなくて夜更かしした。

 

◆5月13日(木)一日中雨。18-16℃ ここ数日に比べ寒い。

 

猫がこの世から消えても、お世話していた習慣で、夜更かしが治らないものだ。

残った猫達のお世話をし、猫の介護に使っていた時間や体力がようやく空いたのだから、思い切り出来なかった掃除をがむしゃらにした。

 

猫の友人には、(ようやく猫が減ったのに、)なんか「猫が足りない」と笑い話をしたりw

運動と労働は効果が違うが、身体は疲れてへとへとに、掃除も良いダイエットになる。なんといっても「だらしなくてもいいんだ、死にやしない」という、ルーズな気持ちに歯止めをかける。(気持ちがルーズだと、体重もルーズになる。)

いずれ、気持ちも正常運転に戻るだろう。

 

◆5月14日(金)晴れから曇り。26-17℃ 暑かった。

猫の世話をして、自分のこと、2つのかかりつけ病院を受診して、午前~午後まで潰れる。

 

アジサイのつぼみ、そして、ピエール・ド・ロンサーヌ。

内科ではワクチン接種の準備を着々と進めており、

私は65歳以上の対象者ではないが、テレビでの電話がつながらないとか、ネットが出来ないとかいう話は、この町では聞かない。選挙時のように各家庭に、対象者に向けてチケットが届く、あと、配られた打ってくれるお医者様の一覧表を見ればよい。対象者はデジタルの世代でないのだから、こういうアナログ形式が良い。

     

もう苗代イチゴの季節かと驚く、しかももう終盤。

整形では、リウマチの薬増量の話は無くなる。このまま頑張りましょうと。

 

腎臓を普通の数値にすべく、痛み止めをやめ、減塩等頑張った、正常値だが、今度は肝臓にマークw (午後から来た従弟は「俺より健康だ」と、この数値を見て驚愕していたが、努力の結果。)

午後からは二人の従弟が訪問、車検をすましたばかりの古い軽一台をもって帰る。古いミニクーパーやバイクを無駄に大量に所有、だが、即戦力で使える車が無いので「譲れ」としつこい。(19日に連絡あるが、あげた今時の車にはテレビもナビもついているし、快適すぎて大興奮している模様www)

とにかくコロナが心配で、あまり人とは会いたくない、自粛もこれだけ長引くと、人恋しいどころか、従弟すら煩わしいのが正直な気持ち。

空いた駐車場が清々しい。ミニマリストにはなれないので買い物、買い替えはする。死蔵が一番よくない。物は動いている、使っているのが一番。そして修繕はきちんとすること。従弟のように部品どりの車のような、ほぼ動かないクラッシックカーに囲まれた風景はみたくはない。(本人は集めて幸せなのだから、あくまで私の気持ちである。)

これからは雨が続くという、みーみーぼーは天窓越しに、一日中日向ぼっこをさせる。

 

 

◆5月15日(土)曇りのち晴れ。26-18℃

残った猫のお世話と運動、レッスン日であり、出発まで練習。先週は猫の状態が悪いためにお休みした、元々週一だし、ずいぶんとサボった気がしている。

     

到着。

私の前のお嬢さんのお母様とお話し。「私が休むのが珍しいと思った」と、「猫が危篤で」と打ち明け、そこから、そちらのご近所の飼い猫が増えてとのお話に。「猫は不妊オペしない限り増えるし、その意識が無いお家は多い。」とだけ答える。

私の人生を大きく変えた野良猫については、ТNRや地域猫についていきなり踏み込んで話してはいけない、野良猫の不幸さに誰もが詳しいわけでもないから程々が良い。引かれてしまってはいけない。

ちょうどお嬢さんは小さな反抗期か、可愛い文句をお母様に垂れ流すのが、とてもかわいらしく、また、おかしくてたまらない。

私は猫は18年育てても何も残らない、猫にかまけて時間や金を消費、学ぶ機会が減る、空っぽな自分と空っぽな財布が残るが、人の子は大学受験の年頃に、実にやりがいがあるじゃないですか。」とw

お嬢さんの発表会の練習曲を伺うと、着実に進歩されている。

私の番になった、先週休んだ詫びを言うと、先生は「実に色々な経験をしていますね」と。先生の伴奏でコンチェルトを弾いた、練習不足だったが、先生は「だいぶ曲想がついてきたようだ、誰かの演奏を聴いて真似た?」とおっしゃる。

私は「かのパールマンの幼少期の演奏を見て、余りに天才過ぎてめげて閉じたw」というと、「あれほどの天才は観てはいけないかもw」とお笑いになった。

帰り際「先生、バイオリンって本当に難しいですね」って言うと、先生は「そうなんですよ、私も難しくて悩んでいます。」とおっしゃった。ここで終わりとはいかない、芸術家は一生求道者なのだ。

帰り際、次のY君と挨拶、コロナでなければ少しはおしゃべりしたい。コロナの馬鹿野郎。

 

小判草は昔はこれほど見られなかった、ずいぶんとはびこったものだ。

帰宅しても、給餌を待つ猫の姿はいないのだ、まだそれに慣れる事ができない…。

 

◆5月16日(日)曇りのち雨。22-18℃

朝から体中が痛くて、痛くて、調子が悪い。みーみーぼーの具合も悪い。それでも普段通りの日課を続行、

  

お昼にダウン、2時間くらい休み、足りないものを買い出しに、

  

帰宅後、始末中に気持ち悪くて倒れそうだった。

早めに全てを済ませ、無理に食事をし、ベットに入るも、余りに気持ち悪すぎて寝られない。胃潰瘍とインフルエンザを合わせたような。咳もなく無熱。結局、練習は出来なかった。しかも、みーみーぼーに起こされ、熟睡も出来ず。

 

◆5月17日(月)曇りのち雨。

深夜の2時にはみーみーぼーの便失禁、オムツの範囲全部が汚れ、毛皮を綺麗にしてやるのが大変、吐きそうでフラフラになりながら、なんとか綺麗にし、布団に倒れこむ。

朝、起きても気持ち悪さは続く、一向に食欲が湧かない。特に左肩が痛くて堪らない。きーじも調子が悪い模様で、食欲が普段より落ちている。

とにかく、最寄りのコンビニで、気になる払い込みだけ済ませた。それだけでもホッとした。

その時に、毎年アスファルトの隙間から咲く、ど根性ホタルブクロが今年も頑張っているのに気が付く。

 

運動もダメ、洗濯物を畳んでいて、視野が暗くなり倒れそうになったので、布団まで行かず床に伸びていたら少し復活した。その後は休み休み、家事、世話、練習など。

夕方は一時晴れた。

今日も食欲がなく、早めに寝るが、みーみーぼーの具合も悪く、結局は寝れない。きーじも大人しい。

みーみーぼーは深夜、大が出るサインをそわそわと出したので、オムツを外し、猫トイレで支え、用を足す、大は間に合ったが、出した後、血圧の変動で嘔吐、その後トイレで倒れてしまう。

お別れが近いのを覚悟した。

 

◆5月18日(火)曇りのち雨。24-21℃ 物凄い湿度、じめじめな一日。

  

余りの不快感に、今日からホームウェアは半そでに衣替え。猫は三匹全員に輸液。

     

きーじの調子が悪い。トイレは正常、ビリルビンも出ていない。

用を足すきーじ。

きーじはどちらかというと意地汚い、何でも食べる、食欲魔人で困っていたが、何を見せても昨夜からバッタリ興味を示さない。一口舐めるのみ。

   

熱はないが、3度経験した猫のコロナウィルス、FIPの最初に非常に似ている。飲まずで軽く脱水しているので補正。ここ数日の不調で、自分も体重、体脂肪が落ちた。

動くたびに汗が出る、束ねた髪が湿気を帯びる、5月の気候ってこんなに不快だったっけ?という一日。まだ身体は本調子でない、でも、気がかりだった猫のトイレの大掃除、溜まっていた新聞の切り抜き、父の書類の処分だけは済んでホッとした。

夕方から、きーじの食欲が戻ってホッとした。だが、なんかいつもより大人しい。本来は騒がしく、(猫に対して)いじめっ子なのだ。

深夜はみーみーぼーの大の始末で起こされる。軟便でおむつの範囲に毛にべったりで、故もじゃ公と違い、それを清拭するのは大仕事だ。

しかもオムツを二重にしようとも、脚がやせてギャザーからの横漏れもひどく、横シーツのようにペットシートを敷いたり工夫はするも汚れる、毎日、敷いた布団も全とっかえ。

この雨降りもあり、たかが猫一匹でも、さっぱりと清潔に過ごさせるには、なかなか骨だ。

 

◆5月19日(水)一日中雨で薄暗い。じめじめも続く。21-18℃

  

みーみーぼーに深夜何度も起される。疲れすぎて寝坊の朝。そして、猫三匹の輸液やおむつ交換。あっという間にお昼になる。

今日も練習迄できない、ようやくの家事と猫で終わる。きーじは食い意地が戻り、排せつも正常。だが、性格が変わった、無鉄砲だったのに、やけに大人しいのが不気味だ。

みーみーぼーは、脚が効かず寝返り迄含め、全介助に近い、食事だけは何とか食べてくれて、それが何より。放置しておくとオムツから漏れた尿でずぶぬれになる。

 

結局、もじゃ公が亡くなっても、当分ブランチは続きそうだ。でもこの三匹が終われば、もう家の生き物のことで泣くことは何もないだろう。(おそらくは少し休憩し、年齢も考慮、後方でどこかを支援する立場になるだろう。)

日曜から本調子ではない、体脂肪は減ったのは幸いだがw 腰痛もあり、かがむと痛い前屈腰痛である。草取り、猫のトイレ掃除、拭き掃除、家事とはかがむことだらけなのに不便だ。

背筋が弱いとか、ハムレングスが縮むと前屈腰痛になるというが、前を鍛える運動はしやすいが、後ろ側、背筋を鍛える運動が苦手だ、

また、自分が一番苦痛で苦手なもの、それがストレッチである。敢て難しいものに逃げずに挑戦するか。リウマチもあり、身体が強張るのもあり、少しずつ伸ばすかと。ストレッチバンドを注文。

ついでに、心の慰めに、京成バラ園の故鈴木省三氏の育種した薔薇からとった香りの、資生堂のばら園のシャンプーも。

今、スカト〇の性癖もないのに、猫のお尻の始末で延々大変であるからには、、、ティーローズの香りでもかがねば、やってはいられない。(長い髪をほどいて梳くときに、シャンプーの香りが微かに立つのだけが慰めである。)

夜は、みーみーぼーの大の始末が大変だった。みーみーぼーのおむつの横漏れをどうすべきか、友人にも相談、結局、人間のものを工夫して研究ちう。

 

◆5月20日(木)曇りのち雨。25-21℃。じめじめと暗い日中が続く。

  

朝一番に、再びみーみーぼーの大の始末に追われるのからスタート。

  

みーみーぼーに、「もじゃ公、おはよう」と声をかけている自分に気が付いた。

オムツの横漏れは色々試して、

 

父の入院時に使用した尿パットを半分にし、尻尾の穴をあけて、猫用おむつ内に重ねて入れるのが良い感じだと結論が出た。

 

きーじはもう平常運転、食欲魔人。

  

普段道理に過ごす、相変わらずファイトが湧かない、

昨日の話の続き、一つやることで増やしたのが、今日から自分の一番嫌いなストレッチ、絶対に長続きしないものを、まず「連続三か月する」という目標を立てた。

エアロバイクでも、ダンベルでも、音楽でも、わりと目標を決めれば延々継続するが、ストレッチだけは身体が硬くて駄目なのだ。まず三日坊主の繰り返し計画すら長続ききしない、なりたい目的もない。その上にリウマチのこわばりと痛み。しかしこのままでは可動域が狭まる恐怖。

憧れていて、難しいものの方が挑戦し甲斐がある、しなければ永遠に手に入らない。現に今、努力の結果で楽譜は読めている。

次の憧れは、身体のしなやかな人は動きが綺麗だ、スタイルの細い、太い関係なく、ダンサーは永遠の憧れだった。このコロナ禍が終わったら亡き母のようにヨガに通うという仮定をとりあえず立てる。というわけで、硬い体と格闘開始w

洋服の見直しもし、袖だけが唯一気に入らないワゴンセールの洋服の袖も、ぼちぼち気長に壊すことにした。失敗してもワンコインだ。難のある服をクローゼットに放置し続ける事は、気がかりになる。編み物も残っている。

何かをしていなくては、この動物がじわじわと死んでいくストレスに押しつぶされそうだ。そして、忙しくしたとしても、一つの時代が過ぎたような喪失感は、なかなか紛れることもない。(今、もう一匹が死にかけているのに、まだ、故もじゃ公のことも書けないものだ。)

とにかく、そうでもなくても暗いパンデミックのこの時代、他人に不平不満の文句を垂れ流すパワーで、自分にとって良いこと、出来る何かをする、それはどんな些細なことでも良いと思っている。

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