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ラヴェンダーの咲く庭で

「みゃーきんぐ・ぷあ」から変更。保護猫と綴る日々の備忘録、独り言にすぎない半径5mの記録です!基本、読み専です。

いよいよ師走気分に、

2018-12-26 12:39:26 | 日常
快晴。11-3℃

ぼんやりとした薄曇りの空が、午後に向けて晴れていき、




世間では大掃除の話題に事欠かないように、
私も大物を洗濯したり、
記事にもならないような地味な事をこなしている。
(あんずさんの断捨離ぶりや、どんぐりさんの復帰、書ききれませんが皆様のご活躍ぶりを楽しく拝見しております。)

庭には、今年初めてのシロハラさんが登場!





今年は腐葉土を作らなかったので、ミミズが見つからないのではと危惧。


午前中は大したことをしていなくても、体力のない私には大変なことでして、





午後になって、ようやく練習が出来る時間が取れた時は、
「ああ生きていて良かった」と思った…。
下手であろうと、弾けなくて何度も何度も同じ事を繰り返そうとも、私の唯一の至福の時である。(私はマゾ)




亀の歩みであろうと、
昨日出来なかった、わからなかった事が、
「もうだめなのか_| ̄|○」⇒「あれっ、今日は出来るぞ!」、
その瞬間が堪らないのと、
非常に集中力を要するので、この世の雑念が、ままならぬ悲しみが一時は消えるのだった。
そして、段々に良い音になっていく幸せ。

毎日が同じ事の繰り返しでも退屈しない、
一日が非常に短く、あっという間、名残惜しい。





日が落ちてから、
Amazonで中古で本を購入したので、前の持ち主の書き込みを消しゴムでせっせと消した。
もう初期からえらいゴチャゴチャしてるもんなぁwww

それでも楽譜を読む、
先生の言われる「たてる」という面白さが、脳が解ってきた模様。

私もだが、猫達も日々老いてゆくという哀しさ。
こういう哀しみも、どこかは成長していることで、薄れさせてくれているというか。





私だって、ペットロスにもなれば、持病や現実で絶望的にもなってはいる。
近頃特に、表に出したらオシマイだと理解する。
このろくでもないダークな思考をw
基本、声を出さない生活をしているので(独り言でアブナイ人はやるがw)気づかれないだけである。

だけれども、近頃は(アブナイ人で無く)必要上、階名をワザワザ歌ったりする、
そして驚く、、、「音読って、なんて疲れるのだ」って!!
オーラルフレイルにならないためにも、高齢者はあえて歌を歌った方がいいと思ふの。




最後に、
今日も大量の猫の検索で来ていただいている。
この長い年月のブログを、読破されている勇者も出たようだ。
もしも猫の件でお役に立つのであれば、私なんかのブログより彼女のブログであろう、
今は多忙ゆえ、今はブログをお休みがちだが。
彼女とのお付き合いは十年以上の長きにわたり、リアルでもお会いした。

猫以外の話だけでなく、
私の今の迷い、過ちすら受け入れる彼女は凄すぎると思う…。
ネットをしなければとうてい得られなかった友人である。
私は彼女の文章、文体が大好きだ…。
こういう文章を書くことが出来たらと思っている。

友人のブログ

今回の記事は愛猫の死で、LINEでは危篤段階からお話しするも、
コメントが何故か私は入れられない。
彼女の愛猫は落ちた尻尾を、今頃猫の神様に、天国でつけてもらっているだろうか…。


「ミーのいない朝 稲葉真弓」

夜が割れて 割れたまま閉じなかった
どこかで 間の抜けた鶏の声がした
イチョウとサツキとニセアカシア
昔 おまえが好きだった植物が
おまえの上を影のように通りすぎて
気がつくと おまえはもう そこにはいなかった

白い腹 黒と黄色のまだら背中
薄くなっていく命の 薄いなごりが消えていく
消えていくものにも音があって
私は口ににじんだ血の色を
見ているのでなく聞いている
音が静まる 色が静まる 静かになっていく

体の中にあった時間がぜんぶ引き潮になってからっぽ
夜明け 朝焼け
世界は動かないのに動かない一点
新聞は来たのに 読みたい記事などどこにもなかった

花をとりに いった
夜明けの鶏が鳴いている小学校の庭に
ただ青いものを飾りたくて ハコベを摘んだ
夏草をちぎり束にして
死んだ猫の額に飾ってみる
猫は鳴かない 置物みたい
そう
もう この世の"離れ"にいるのだから
猫は二度と鳴かない
コメント (2)
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