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ラヴェンダーの咲く庭で

「みゃーきんぐ・ぷあ」から変更。保護猫と綴る日々の備忘録、独り言にすぎない半径5mの記録です!基本、読み専です。

気がつけば富士w

2018-01-06 09:33:13 | 時は輝いている
快晴。9--1℃

今日も、メジロ達と遊ぶ。



冬の給餌の輪が広がれば素敵だと願う。

そして、初めて、、、
この私に、人生で初めての自転車女子の仲間が出来たのだった…。

うふふふふ。昔、買った本。


お婆ちゃんライダー、上等じゃないのっw
手を入れるはずだった、自転車を今日こそは…。


友人@静岡からラインが来て、浮かれていた私は、
気がつけば2時間後、、、無計画にも、、、(車です、自転車でない)








富士のすそ野を鑑賞、
さぁみんな、これが富士山だお!!愛でよう!(ここでもう午後)


そして、世界遺産になった韮山反射炉に。(ここですでに夕方)



夕暮れの富士をお楽しみください。


ちなみに私がここに来たのは大学4年、
その時は、左の姿で、補修されていた後でも、ひどい有様だった。

駐車場は整備され、立派になっているも、この立派なバイク様しかいない、
嫌なよかーん。





さすが、静岡、茶畑。

で、4時半で閉まるって、ついたのは4時33分、ぐぬぬ。
せめて外から。


















ええと、反射炉って、ぴかーっと反射してんじゃないよっ!
そんな人はいないと思うが…。

反射炉とは、鉄を溶かすための溶解炉です。
鉄の溶解に必要な千数百度の高温を実現するため、反射炉内の天井部分は浅いドーム形になっています。
そこに炎と熱を反射し、材料に集中させるので、反射炉と呼ばれるのです。
韮山反射炉は、江戸時代末の韮山代官、江川太郎左衛門英龍ひでたつ(担庵たんなん)が中心となって作られました。
英龍は、日本に迫る諸外国の艦隊に備えるため、反射炉で鉄製の大砲を鋳造し、江戸湾内海台場(品川台場)をはじめとする砲台に設置することを目指したのです。
※今のフジテレビやら、ガンダムがあるところです。
安政元年(1854)に寄稿された韮山反射炉は、途中、秀龍の死去や安政の大地震による破損などの困難を乗り越え、安政4年(1857)11月に連双2基4炉が竣工、鉄製砲の遺贈が開始されました。
反射炉の周りには、砲身の内部をくりぬくための錐台や付属品の細工小屋などもあり、それらの施設を含めて、反射炉は大砲の製造工場でした。
韮山反射炉は、江戸時代末期に実際に稼働し、現存している、非常に希有な例です。
そのため「明治日本の産業革命遺産」の構成資産のひとつとして世界文化遺産に登録されています。また、国の史跡に指定されているほか、経済産業省から近代化遺産に認定されています。

以上、拾った入場券からっ!
ああ見れなかったからなっ、号泣。
あとはググってくれ。




私は伊豆には、ちと詳しい、
父が詳しい伊八もそうだが、ここは、長八、
最初は義務で馬鹿にして読んだ井上靖の青春三部作にえらくはまり、
「しろばんば」から、⇒井上靖全部読破、⇒記念館詣で
また別、修善寺物語⇒修善寺にGO、一時は毎週伊豆に通っていた。
これからはどんどん出あるいてやる。
ただし有名観光地にはいかないと思う。
興味ある人は読んでね。

だが、しかし、
夜のお菓子うなぎパイ、朝のお菓子スッポンパイは写さぬが、
ソウルフードが麩菓子だとかw
静岡県人のお土産売り場は変だと、毎回思ふのである。







絶対に飲みたくなーーい、どんな罰ゲームじゃ。

というわけで、静岡よサラバじゃ。


帰り大井松田の玉突き事故で、渋滞2時間、事故起こした人にバカヤロー!
小田さんのラジオ特集で助かりました。


というわけでカズフミ君、ラビットステップは明日へ。(続くのか、あの企画?)
コメント (2)
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