在日コリアン・ハンセン病問題・沖縄―平和・人権―

自分の足で訪ねた関連の地紹介
知ることは力、学んでこそ生きる。

5月11日~16日まで「ハンセン病市民学会」参加を中心に青森・宮城・東京・千葉の旅

2012年05月20日 10時09分38秒 | Weblog
5月11日、早朝大阪空港から青森空港へ、10人グループが2台のレンタカに分乗して14日「JR仙台駅」まで行動をご一緒した。
11日は、松丘保養園に直行し、人影の少ない園内を福祉の方が案内して下さってまわった。ちょうど、桜の満開の季節、土筆、タンポポ、水仙などすべてが一度に開花するシーズン。
正門付近の風格ある桜の古木は見ごたえがあり、見事であった。1909年にできた療養所の歴史を刻むかのように・・・。
しかし、隔離政策の遺構とも言うべき土塁など歴史を見なかったように思う。
夕方、棟方志功記念館を皆で訪ねたが、市民学会がなければ訪ねなかったと思って感慨深い思いが残った。
12日は、総会前に近くの「「青森県立郷土館」に行ったが車いすの対応も親切で案内もして下さった。青森の北方に開かれた歴史・文化に触れることができた。「エミシ」に関心のあった私は、北海道のアイヌの歴史・文化を訪ねた記憶がつながりうれしかった。沖縄によく行くので、南から日本を見るのが常になっているがその視点で東北・青森を見ると、国の全体像が新たに見えるのではないかと思った。
近代の戦争についての記述もあったが浮島丸事件のことはなかった。大湊にも行きたかったが団体なのであきらめた。三内丸山遺跡も今度は訪ねたい。
午後は市民会館でハンセン病市民学会総会に参加、交流集会第一部:「語れない言葉と向き合うために~東日本震災とハンセン病と~」で姜信子さんが東北、沖縄も植民地と言ったがなるほどと思った。

宮地尚子さんの環状島の話で思ったことがある。私たち(いや私)が入所者の方や退所者の方のお話をお聞きしていると深いところまで話して下さることも多くなる。でも、オープンにはできない。その事柄をどう普遍化して伝えるかが大きい課題である。ご本人が語れる社会にが目標だが・・・。
第2部「療養所でいのちの意味を考える」はよく分かったという参加者の意見が聞こえてきた。誰がある突然、病と出会うかもしれない。結核は目に見える形で治ることが知られていったがハンセン病は隔離で隠されてきたので見えなくされてきた。しかし、外島保養院のかつての移転予定地に住む私は、その跡地にできた結核療養所「福泉園」で家族と引き離されて亡くなっていった女性の娘さんに偶然出会うことで同じだなとつくづく思ったのである。
ハンセン病問題をを繰り返し語っていくことがこれから出てくるかも知れない病と共生する道だと確信した。そして、私と同じ年代の関西に住む退所者の方々と長く友人としておつきあいしていくことが自分の道筋のように思える。また、お話を聞いていくとは生涯のお付き合いだと市民学会にでて改めて思った。療養所にいる知人とも長いお付き合いになってる自分を振り返り、自分は研究者ではないからお付き合いしている方々とつながることを大事にしたいなあ、目の前にいる人と向き合いたいと思った次第である。
13日は、早朝2台のレンタカーで青森から東北道をひた走り、リンゴの花盛り、美しくアプローチの長い「津軽ふじ」を見ながらマイロードのように車の少ない道を宮城会場へと向かった。やはり430㌔は遠い。登米市迫公民館に到着すると第2部に入っていた。自治会長の園の将来に対する思いと実現した近代的な居住棟「メイプルセンター」「パークゴルフ場などの説明をお聞きした。全療協会長の神知宏さんはアウシュビッツのように療養所を負の歴史を忘れないための遺産として残そうと話しかけられた。分科会の後にご一緒した方がハワイのモロカイ島のような歴史公園を見てこられた話を神さんにされたが早急に方針が必要であることは認識させられた。
その後はフイールドワークにグループに分かれて参加したが園内は一目瞭然で歩いている他のグループの姿が声が聞こえてくるようだった。小学校跡が資料館になり、その近くには職員がユンボを使って整地したというゴルフ場が見渡せた。
2つの園のフイールドワークをしたが歴史的経緯が見える学習にはならず、何か一所懸命案内して下さるのだが過去を模索するすべもなくて終わった。
その日は、登米市で宿泊したので、車で2時間少しの被災地南三陸町を訪ねた。防災対策本部跡の遺構のところに祭壇が設けられバスでお参りに来られる方も多く見られた。ちょうど、1年前にボランテイアで訪れた若い人が一緒だったので当時の生々しい様子を説明してくれたので、祭壇で合わす手に力が入るのを覚えた。

夜は、11~13日とも食べる飲むの夕食であった。14日に「松島海岸」により、瑞巌寺も散策して一路レンタカー返しに仙台駅方向に向かった。
私たち夫婦は東京駅で別れ娘の待つ京葉線「海浜幕張」に向かった。なんと娘のビッグサプライズプレゼント!その夜は東京湾を一望するホテルに宿泊でした。トリプルなのでゆっくりおしゃべり、疲れが癒えました。48階で夜景を見ながら食事!いつも格安宿を探している私ですが、たまにはいいし、旅の疲れが取れました。大浴場もよかったなあ。
15日は、渋谷にでかけ「レオナルドダビンチ展」を見て、新大久保付近を散策ミニソウルと言われる通りだった。チジミ、カンジャタンなど等美味しかったです。高麗美術館が本来の目的だったけど残念ながらクローズ!
16日は新幹線で大阪に帰りましたが車中で夫婦でしゃべりあったのは、回復者の方と3泊4日ご一緒したことで、情が通い合う幸せを味わったことです。夫婦での旅は費用はかかりましたが・・(まあいいや・・・)

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