『 阪神・オリックス 優勝パレード 』
阪神とオリックスの 優勝パレードが行われた
大阪御堂筋と神戸三宮を 午前と午後に分かれて
同じコースをパレードしたが 初めてのことらしい
好天にも恵まれ 沿道は大観衆に包まれた
延人数は 100万人に及んだそうだ
贔屓チームを 追っかけるために
大阪と神戸間の交通機関は 一時的に麻痺状態だったようだ
さて さて 来年はいかに?!
☆☆☆
『 停戦は本物か 』
惨憺たる状況が伝えられている ガザ地区
4日間の停戦が 実現しそうだとの報道
小手先の手段に 過ぎないかもしれないが
例え一時的であっても 停戦させないことには
余りにもひどすぎる 状況だと思われる
ただ 停戦の話が出始めてからも
犠牲者は 増え続けている
カタールなどの 停戦への努力が伝えられているが
国連は 何かの役に立っているのだろうか
支援物資などに 奔走されているのだろうが
余りにも 無力に見える・・・
☆☆☆
『 貨物船が乗っ取られた 』
紅海で 日本郵船が運航する貨物船が 乗っ取られた
イエメンのフーシ派によるもので
わが国から見れば 海賊行為だと思うが
彼らにすれば 戦争の一部なのかもしれない
イスラエルとガザの戦乱が わが国にも及んでいることになる
それにしても この貨物船
運行は日本の海運会社 船籍はバハマ
所有者は英国系の企業だが 実質的な所有者はイスラエルの実業家らしい
そして 乗員には多数国の人がいるが
日本人もイスラエル人も乗っていないらしい
限られた地域の戦乱も 世界中に関係する ということらしい
☆☆☆
『 淑景舎女御の急死 ・ 望月の宴 ( 95 ) 』
むなしくその年(長保三年、1101 )も暮れていった。
正月一日に涙を流すことは不吉だというのも、平安な時のことであって、いずこも女院(東三条院詮子)のご恩顧を蒙っていた人々は皆途方に暮れている。
念仏はもちろんのこと、長年行われている不断の御読経や、すべてのなすべき御事は、法要がすべて終る日まで欠かさず行うとお決めになる。
帝(一条天皇)は、引き続き御手づから御経をお書きになる。
正月七日は子の日(ネノヒ・野遊びをする行事が行われた。)に当たっていたが、船岡山の遊びも今年は張り合いのない有様なので、左衛門督公任(キントウ・正三位で、当時の代表的な文化人。)君が女院の御所の台盤所にあてて、
『 誰(タ)がためか 松をも引かん 鶯の 初音かひなき 今日にもあるかな 』
と詠まれていたが、女房たちはこれをご覧になって、誰も返歌をなさらなかった。
御忌みの間も、しみじみとあわれな事などがたくさんあった。
こうして、御法事の頃になったので、花山の慈徳寺(詮子の御願寺。現存していない。)にて催すことになった。
二月十余日に御法事は行われた。その間の諸行事はご想像いただきたい。
帝が手づからお書きになった御経などを添えて供養をなさる。院源僧都(インゲンソウズ・延暦寺の僧。道長の信頼が厚かった。)が講師としてご奉仕なさった様子は想像いただきたい。
このように悲しみの内に御忌みの期間は過ぎた。
その年の賀茂祭はたいそう見栄えのしない事が多かったが、例年の公事(オオヤケゴト)なので中止できるものではなく、近衛司などは見物のしがいがあるが、それも立たなかったりして、いかにも寂しいことである。
こうして、五、六月の頃にもなったが、宣耀殿女御(センヨウデンノニョウゴ・東宮(居貞親王)の女御)は、一の宮(敦明親王)をお世話申し上げなくなって久しくなっていたが、その後、もうこれが最後ではないかと思われるほど重病になられたので、東宮は御心を痛めていらっしゃった。
たいそう悪くなっておいでであったが、昨日今日あたりは良くおなりになった。
弾正宮(為尊親王。冷泉天皇の皇子。)は、相変わらず御夜歩き(女性のもとへ通う。)をなさる恐ろしさを、世間の人は心中穏やかならず、ご身分にふさわしくないことと差し出がましくお噂申していたが、今年は何かとたいそう騒がしく(疫病のことか?)、いつぞやと同じような心地がして、道端や大路も惨憺たる状態で、その死骸を見ながらも、情けなくも御夜歩きをなさった為であろうか、ひどく患ってお亡くなりになった。
最近では、新中納言(不詳)や和泉式部(為尊親王、弟の敦道親王との恋愛は「和泉式部日記」に書き残されている。)などにご執心で、情けないほどの御有様を北の方(藤原伊尹の娘)は辛くお思いであったが、為尊親王の御逝去を悲嘆なされて、四十九日の頃に尼におなりになった。
北の方は、もともとたいそう信心深いお方で、二、三千部の経を読んでお過ごしであったので、世の無常もよく悟られていて、さらにいっそうのご修行である。
こうして、弾正宮が亡くなられたということを、御父の冷泉院はそれとなくお耳にされて、「宮は亡くなってはいまい。よく捜せば、どこぞにいるだろうに」と仰せになる。おいたわしい親心というものである。
東宮(居貞親王。為尊の同母兄。)もたいそうお嘆きになる。帥宮(敦道親王。為尊の同母弟。)もたいそう哀れで残念なこととお思いであろう。
まことに、為尊親王は、今年二十五歳におなりであったのだ。
花山院(為尊の異母兄。)が、格別にご葬儀をすべてお世話申し上げておいでであった。
しみじみと哀れな世であるのに、さらにどうしたことか、八月二十余日に、聞くところによれば、淑景舎女御(シゲイサノニョウゴ・東宮女御、原子。定子の妹。)がお亡くなりになったとの噂で持ちきりである。
「ああ、大変なことだ。これは一体どういう事か。そのような事は、まさかあるまい。最近お患いだということも聞こえてきていなかったのに」などと、不審がる人が多かったが、「ほんとうの事だったのだ。御鼻や口から血をお流しになり、まことに、あっという間にお亡くなりになられた」と言う。
情けないとか忌まわしいとかも世の常である。世の中は無常であると言うが、その中でもそうそうない辛く情けない御有様である。
この事を世間の人も口うるさくされていたので、宣耀殿女御がたいそうな重病であられたのが平癒なさったので、こうした意外な御有様を、「宣耀殿女御が、尋常ならざる事を仕掛けられたので、このようになったのだ」と、まことに聞きづらいことまで申しているが、「女御ご自身が、あれこれとお考えつくことなどない。少納言の乳母(宣耀殿女御の乳母)などが、どうにかしたのではないか」などと人々が取沙汰しているが、それはともかく、まだお若い御身(淑景舎女御は二十三、四歳位。)でこのようにお亡くなりになったことを、帥殿も中納言殿(伊周と隆家。淑景舎の兄たち。)も大変なお嘆きであるが、東宮におかれても、格別に深く御寵愛というわけではなかったが、いつか、帝の位に就くような時があり、思い通りの事が出来るようになれば、然るべくお扱い奉り、華やかで栄えあるお立場にとお考えであったので、まことに哀れで口惜しく、また恋しくお忍び申されている。
その中でも、「御衣の重ね具合や袖口などは、他の女人を見る度に思い出されるものを」などと、悲しいお気持ちを仰せになられるのであった。
御対面などはそう容易くはなかったが、御心ざしは、宣耀殿女御と同等にお寄せであったものを、かえすがえすも哀れで口惜しい事とお思いであった。
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『 ナポレオンの帽子が3億円 』
ナポレオンの帽子が フランスでの競売で
3億円余りで 落札されたとのニュース
肖像画などでも お馴染みの帽子だが
ナポレオンは 120ほども 持っていたらしい
まあ いくらの値段がつこうと 別に構わないが
この記事の横は ガザ地区の状況を伝えるレポート
この落差を どう考えればよいのだろう
☆☆☆
『 トマホーク導入へ 』
導入を進めていた 米国製巡航ミサイル「トマホーク」を
米国務省が承認し 議会に通知したと発表
これで 順調にいけば 25年度中には実戦配備される
射程1600km以上のミサイル配備は
わが国の防衛のあり方を 大きく変えるのではないだろうか
各地の紛争を 見せつけられると
防衛力強化は 必要だと思うが
国民の意識は ついて行けているのだろうか
☆☆☆
『 日本列島 大荒れ 』
日本列島のほぼ全体が 大荒れのお天気となった
台風並の風が 広い範囲で吹き
大雪になった地域もあり 九州までも雪に見舞われた
当地も 温度はともかく 風が強く
冬将軍というのはオーバーだが 小隊長ぐらいは来たようで
巣ごもり状態の 一日になってしまった
明日からしばらくは 大分温度は上がるようだが
冬本番は まだまだ先の話
早く身体を慣らすことが 必要だとは思うのだが
やはり 寒かった・・
☆☆☆
『 いづれをさきに 』
花よりも 人こそあだに なりにけれ
いづれをさきに 恋ひむとか見し
作者 紀 茂行
( 巻第十六 哀傷歌 NO.850 )
はなよりも ひとこそあだに なりにけれ
いづれをさきに こひむとかみし
* 歌意は、「 花は儚いものと知っていたが、その花よりも人が儚い結果に なってしまった 人と花と どちらが先に 恋しい存在になったしまうなどと 思ってもみなかった 」といった、亡き人を偲ぶ歌です。
この和歌の前書き(詞書)には、「 桜を植ゑてありけるに、やうやく花咲きぬべき時に、かの植ゑける人身まかりにければ、その花を見てよめる 」とあります。つまり、桜を植えた本人がその花が咲く前に亡くなってしまったことを悼んで詠んだ歌だということが分ります。
* 作者の紀茂行(キノモチユキ・「望行」とも)は、古今和歌集の撰者の一人である紀貫之の父です。
生没年は不詳ですが、貫之が幼い頃に亡くなったらしいので、若くして没したようです。
また、父の本道は主として地方官を歴任し従五位下の下級貴族ですが、子の貫之も同様に従五位上まで上っていますが、作者は貴族の地位に上る以前に亡くなったようです。
* 紀茂行に関する情報はこの程度しか得ることが出来ませんでした。そこで、紀氏に関して、少し私見を書かせていただきました。
紀氏は、祖先を辿れば、武内宿禰あるいは孝元天皇まで遡るとされる古代からの有力氏族です。ただ、武門の家柄としての評価は高いものの、大臣や公卿を輩出して政権中枢で活躍することはなく、また、学問あるいは歌人として高い評価を受けていたとは思われません。
ところが、古今和歌集の編纂に当たっては、撰者四人のうちに紀氏が二人入っているのです。紀貫之は作者の子ですが、もう一人の紀友則は作者の兄の子です。作者たちの親も武門あるいは地方官としての活躍であり、貫之・友則の二人が、突然のように歌人として高い評価を受けているのが不思議でならないのです。
* 古今和歌集の編纂に当たって、紀貫之はその中心人物と言っても過言ではないほどの存在です。個人的には、やはり不思議に感じるのです。単なる貫之に文学者としての特別の天分があったのか、人並み外れた努力をしたのか、それとも、幼くして死別した父親から何かを受け継いだのか・・・。
きっと、単なる妄想なのでしょうが。
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『 大谷サーン 満票MVP 』
大谷翔平選手が MVPを満票で獲得
満票で2回は 史上初の快挙
実にすばらしいが 報道などでも驚きはなく
むしろ当然といった感じなのが 実に凄いと思う
テレビ報道などは ワンコと共に大盛り上がりで
政治ネタなど 吹っ飛んでしまった状態
温かなニュースが 突出した一日に 感謝 感謝
☆☆☆
『 米中首脳会談 』
米中首脳会談が 実現した
バイデン大統領と 習近平国家主席が
米カリフォルニア州で 一年ぶりの対面会談だった
近年で最悪とされる 両国関係だけに
対面での会談が 実現しただけで 大成功ではないか
すぐに 具体的成果は 期待できないとしても
両国間に しっかりとした緊急チャンネルを 築くことは
全世界の願い でもあると思う
対立はあるとしても 共存の道を見つけ出して欲しいと
切に思う
☆☆☆