『 いづれをさきに 』
花よりも 人こそあだに なりにけれ
いづれをさきに 恋ひむとか見し
作者 紀 茂行
( 巻第十六 哀傷歌 NO.850 )
はなよりも ひとこそあだに なりにけれ
いづれをさきに こひむとかみし
* 歌意は、「 花は儚いものと知っていたが、その花よりも人が儚い結果に なってしまった 人と花と どちらが先に 恋しい存在になったしまうなどと 思ってもみなかった 」といった、亡き人を偲ぶ歌です。
この和歌の前書き(詞書)には、「 桜を植ゑてありけるに、やうやく花咲きぬべき時に、かの植ゑける人身まかりにければ、その花を見てよめる 」とあります。つまり、桜を植えた本人がその花が咲く前に亡くなってしまったことを悼んで詠んだ歌だということが分ります。
* 作者の紀茂行(キノモチユキ・「望行」とも)は、古今和歌集の撰者の一人である紀貫之の父です。
生没年は不詳ですが、貫之が幼い頃に亡くなったらしいので、若くして没したようです。
また、父の本道は主として地方官を歴任し従五位下の下級貴族ですが、子の貫之も同様に従五位上まで上っていますが、作者は貴族の地位に上る以前に亡くなったようです。
* 紀茂行に関する情報はこの程度しか得ることが出来ませんでした。そこで、紀氏に関して、少し私見を書かせていただきました。
紀氏は、祖先を辿れば、武内宿禰あるいは孝元天皇まで遡るとされる古代からの有力氏族です。ただ、武門の家柄としての評価は高いものの、大臣や公卿を輩出して政権中枢で活躍することはなく、また、学問あるいは歌人として高い評価を受けていたとは思われません。
ところが、古今和歌集の編纂に当たっては、撰者四人のうちに紀氏が二人入っているのです。紀貫之は作者の子ですが、もう一人の紀友則は作者の兄の子です。作者たちの親も武門あるいは地方官としての活躍であり、貫之・友則の二人が、突然のように歌人として高い評価を受けているのが不思議でならないのです。
* 古今和歌集の編纂に当たって、紀貫之はその中心人物と言っても過言ではないほどの存在です。個人的には、やはり不思議に感じるのです。単なる貫之に文学者としての特別の天分があったのか、人並み外れた努力をしたのか、それとも、幼くして死別した父親から何かを受け継いだのか・・・。
きっと、単なる妄想なのでしょうが。
☆ ☆ ☆