雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

わびしげに見ゆるもの

2014-10-22 11:00:38 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百十七段  わびしげに見ゆるもの

わびしげに見ゆるもの。
六、七月の、午・未の刻ばかりに、汚なげなる車に、えせ牛かけて、ゆるがしいく者。
雨降らぬ日、張筵したる車。
いと寒きをり、暑きほどなどに、下種女のなり悪しきが、子負ひたる。

老いたる乞食。
小さき板屋の黒う汚なげなるが、雨に濡れたる。
また、雨いたう降りたるに、小さき馬に乗りて、御前駆したる人。
冬は、されどよし。夏は、袍・下襲も一つにあひたり。


みすぼらしく見えるもの。
六、七月の正午から二時頃の暑い日盛りに、汚らしい牛車を貧相な牛に引かせて、よたよたと行く者。
雨の降らない日に、雨よけの筵(ムシロ)の覆いをかけた牛車。
とても寒い折や、とても暑い頃などに、身分の低い女で身なりの悪いのが、子を背負っている様子。

年老いた乞食。
小さい板葺きの民家の煤けて汚らしいのが、雨にぬれているの。
また、雨がひどく降っているのに、小さな馬に乗って、先駆けをしている人。冬は、それでもまだましです。夏は袍も下襲も、ぺったりと肌にへばりついているのですよ。


「わびし」という言葉は、いろいろな意味を持っています。「心細い、物足りずさびしい」「辺りがさびしい」「辛い、苦しい、難儀だ」「貧しい、みすぼらしい」「つまらない、物足りない、興ざめだ」「やりきれない、閉口する」 などが辞書に載っています。
ここでは、「みすぼらしい」という意味として受け取りましたが、少納言さまの真意はどうなのでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暑げなるもの

2014-10-21 11:00:08 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百十八段  暑げなるもの

暑げなるもの。
随身の長の狩衣。
衲の袈裟。
出居の少将。
いみじう肥えたる人の、髪多かる。
六、七月の修法の、日中の時おこなふ阿闍梨。


暑苦しそうなもの。
随身の長の狩衣。
衲(ノウ・種々の布を厚く縫い綴って作ったもの)の袈裟。
出居(イデイ・射撃や相撲の儀なので、臨時に設ける座)の近衛の少将。
ひどく太った人で、おまけに髪の毛まで多い人。
六、七月の加持祈祷で、正午の勤行を務める阿闍梨。


「随身の長」とは、近衛府の舎人から選抜されて、貴人の護衛につく者が随身で、その班長のような立場の人です。どうやら、その制服には細かな規則があって、豪華な装束だったのでしょうが、暑苦しくも見えるのでしょう。
「衲の袈裟」とは、本来は、ぼろ布を縫い合わせて作った袈裟のことらしいのですが、ここでは、立派な布を色々と縫い合わせた大袈裟なものを指しているみたいです。

風俗などで理解しきれないものもありますが、「暑げなるもの」に対する感性は、少納言さまも私たちもあまり変わらないようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恥づかしきもの

2014-10-20 11:00:46 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百十九段  恥づかしきもの

恥づかしきもの。
男の心のうち。
睡ざとき夜居の僧。
みそか盗人の、さるべき隈にゐて見るらむを、誰かは知らむ。暗きまぎれに、忍びて物ひき取る人もあらむかし。そはしも、同じ心に「をかし」とや思ふらむ。
     (以下割愛)


見透かされているようで油断できないもの。
男の心のうち。
目ざとい夜居の僧。
コソ泥が、どこかの物陰に身を潜めて見ているのを誰が知っていることでしょう。暗いのをいいことに、こっそりと何かを盗んでいく人もあることでしょうよ。そういうのをね、そっと見ているコソ泥は、自分と同類だと「面白く」見ていることでしょうよ。

夜居の僧は、全く油断がならない。若い女房が集まって座り、他人のうわさをして、笑ったり、悪口を言ったり、憎らしがったりするのを、一部始終聞き集めているのですから、とても油断など出来ません。
「まあ、いやね」
「騒々しいわよ」などと、中宮様のお側近くの上臈女房たちが、本気で咎めるのを聞き流して、散々しゃべりちらした挙句に、皆だらしなく寝てしまうのも、夜居の僧の思惑を考えると、とても気を許すことではありません。

男性というものは、「気に入らない嫌な女だ。じれったいし、いらいらする」と思っていても、面と向かうと、その女をうまく持ち上げて、信じ込ませるところが、実に油断なりません。
まして、情が深く、感じがよくて、世間でも評判の男性ときたら、「見え見えのお世辞だ」と思わせるような扱いはしないにきまっています。

心中ひそかに考えているだけでなく、実はすっかり、こちらの女のことはあちらの女に話し、あちらの女のことはこちらの女に話して聞かせるらしいが、当の女は、自分の立場に気がつかず、「男がこんなふうに他の女の悪口を自分に話して聞かせるのは、やはり自分が一番なのだろう」と思ってしまうのでしょう。
ですから私は、少しは自分を愛してくれる男性にめぐりあっても、「気まぐれな男性なんだろう」と目に映って、それほど気を使うこともしないのですよ。

男性が、ほんとうにいじらしくて、気の毒な、見過ごしに出来ない女性のことでも、一向に気にもとめずにいるのも、「一体どういう神経なの」と、実にあきれてしまうのです。
そのくせにね、、男性は他の男性の不実な仕打ちを非難し、口達者にまくしたてることったら、大変ですよ。それも、身内など格別頼りになるような者を持っていない女房などを誘惑して、身重になってしまっている実情を、きれいさっぱりと知らぬ顔をしている男性も、いるのですから。


「恥づかし」というのも、なかなかうまく表現できない言葉です。
もともとは、身分や才能や容姿などに優れた相手に対する、こちらの気持ちを表現する言葉です。従って、普通に「恥かしい」と意訳することもありますが、たいていは、「気後れする、気がおかれる、気づまりである」あるいは、「(こちらが恥かしくなるほど)立派だ、優れている。尊敬できる」といった意味として受け取るようです。
いずれにしても、現代の「恥ずかしい」とは微妙にニュアンスが違うようです。
ところで、この章段の大半を占めている少納言さまの男性観、なかなか興味深いですよねぇ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無徳なるもの

2014-10-19 11:00:05 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百二十段  無徳なるもの

無徳なるもの。
潮干の潟にをる大船。
大きなる木の、風に吹き倒されて、根をささげて、横たはれ臥せる。
えせ者の、従者勘へたる。
人の妻などの、すずろなるもの怨じなどして、隠れたらむを、「必ず、尋ね騒がむものぞ」と思ひたるに、さしもあらず、ねたげにもてなしたるに、さては、得旅だちゐたらねば、心と出で来たる。


様にならないもの。
潮が引いた干潟にいる大きな船。
大きな木が風に吹き倒されて、根を上に向けて横倒しになって転がっているの。
身分もたいしたことのない男が、従者を叱っている姿。
人の妻などが、つまらぬやきもちを焼いたりして、雲隠れしたらしいが、「必ず夫が自分を探して大騒ぎするはずだ」と思っているのに、夫の方はそんな気配もなく、しゃくなほど平然としているので、女はいつまでも隠れていることも出来ず、自分の方からのこのこ出てきているの。


比較的意味の分かりやすい章段です。
前段が、男性の不実を責めているのと対照的に、ここでは、女性に対して厳しい描写になっています。
いかにも少納言さまらしいバランス感覚だと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

枕草子の楽しさ

2014-10-18 11:00:53 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子  ちょっと一息 

枕草子の楽しさ

現在私たちが、「枕草子」として目にしているものは、残念ながら清少納言が書き綴った原文ではありません。
当時、清少納言が書き上げていったものは、宮中で大人気となり、多くの貴族や皇族、文化人や女房たちに読まれたことでしょう。
そして、その中の何人かは書き写して手元に残しました。

まことに惜しいことに原文は失われてしまいましたが、書き写された物は、さらに他の人によって書き写され、ある時期にはかなりの数の写本が存在していたものと考えられます。
その過程で、誤字や脱字、時にはかなり大幅な誤写、あるいは故意の改ざんも行われたかもしれません。
現在私たちが目にしている「枕草子」は、そのように伝えられてきたいくつかの系統の物を、研究者によって纏め上げられたものです。

従って、現在私たちが比較的簡単に目にすることの出来る出版物でも、若干の相違があったり、章段の切り方にさえ相違がみられます。
しかし、そのような若干の差異はあるとしても、伝えられている物のほぼ全部が、清少納言と呼ばれていた一人の女性によって書かれたものであるということは、定説となっています。

各文章の解釈については、研究者によって少しずつ差があります。また、現代訳についても、原文の言葉の意味を正しく訳そうとするあまり、学校で習うような訳文が多いようです。
どの出版社、あるいは、どの研究者の物をベースにするとしても、少なくとも気に入った章段については、自分自身の感性で受け取ることこそ、「枕草子」の楽しさではないでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

修法は奈良方

2014-10-17 11:00:46 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百二十一段  修法は奈良方

修法は、
奈良方。仏の護身どもなど読みたてまつりたる、なまめかしう、尊し。


加持祈祷は、
奈良の系統。仏の護身法の真言などを次々にお読みになられているのは、優雅で尊いものです。


この時代、人々と神仏との距離は近く、日常生活と密着していたと思われます。
少納言さまも、ある時期は相当熱心にお寺に参ったり法華講などを聴聞していたようです。
当時は、最澄や空海が登場してからでもかなりの年月が過ぎていますが、やはり歴史が古い奈良仏教に対する尊厳の気持ちがあったようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

はしたなきもの

2014-10-16 11:00:19 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百二十二段  はしたなきもの

はしたなきもの。
こと人を呼ぶに、「わがぞ」とさし出でたる。物など取らするをりは、いとど。
おのづから人のうへなどうちいひ譏りたるに、幼き子どものきき取りて、その人のあるに、いひ出でたる。
     (以下割愛)


中途半端で間の悪いもの。
他の人を呼んでいるのに、「自分のことだ」と思って顔を出した時。物など与えられる時には、いっそう、ばつが悪い。
ついはずみで、他人のうわさ話などをしたり悪口を言ったりしたのを、幼い子供が耳にしていて、その人がいる時に、それを口に出したの。

気の毒な話などを、誰かが話し始めて涙を流したりしている時に、「なるほど、本当に気の毒だ」などと思って聞いているのに、涙が急には出てこないのは、とても間が悪いものです。わざと泣き顔を作って、悲しそうな表情をしてみるのですが、全くどうにもなりません。そのくせ、すばらしいことを見たり聞いたりする時には、たちまち涙が次々と出てくるのですよ。

石清水八幡宮への行幸から、お帰りになられる時に、女院(天皇の生母)の御桟敷の向こうに御輿をとめて、天皇が女院に御挨拶を申し上げられるのが何ともすばらしいので、その感動で涙がこぼれそうになり、化粧をしている私の顔はすっかり洗い流されて、どんなに見苦しいことだったでしょう。
天皇の宣旨の御使いとして、斉信の宰相の中将が、女院の御桟敷に参上なさった様子は、どれほど優雅に見えたことでしょう。ただ、随身四人と、大変立派な装束をつけている馬副(ウマゾイ・行幸などに、公卿の乗馬に従う者。ただ、斉信は公卿ではないのでこの記事はおかしいとの説ある。口取りの舎人か)の、ほっそりとしていて白く化粧をさせたのだけを連れて、二条の大路の広くきれいな通りに、立派な馬を早く走らせ、急いで参上して、少し遠くから馬を下りて、脇の御簾の前に控えていらっしゃるお姿などは、ほんとうにすばらしいものでした。
女院の御返事を承って、また帰参して、天皇の御輿のもとでそれを奏上なさる折の様子などは、すばらしいという言葉なのでは言い表せないほどです。

その後で、天皇がお通りになられるのをご覧になっておられるはずの女院の御気持ちを推察申し上げますと、飛び立ってしまうほどの感動を覚えたものでした。そのような時には、いつまでも泣きやまないて、人に笑われるのですよ。
並みの身分の人でさえも、やはり子供が出世したのは大層幸せなものでしょうに。このように、女院の御心中を推察申し上げるのも畏れ多いことです。


この時代の「はしたない」という言葉には幾つかの意味があるようですが、現代語のそれとは少しニュアンスが違うようです。
本段の後半部分は、なかなか興味深い描写がなされていて、独立した章段と考えていいほどですが、少納言さまは、なかなか涙が出てこない事例に対する、感動ですぐ泣けてしまう事例としてこの挿話を使っています。
このあたりにも、少納言さま特有の感性が見られるように思うのですが、如何でしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

関白殿黒戸より出でさせたまふ

2014-10-15 11:00:23 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百二十三段  関白殿黒戸より出でさせたまふ

関白殿、黒戸より出でさせたまふとて、女房の、ひまなくさぶらふを、
「あな、いみじのおもとたちや。翁を、いかに笑ひたまふらむ」
とて、分け出でさせたまへば、戸口近き人々、いろいろの袖口して、御簾ひき上げたるに、権大納言の、御沓とりて、はかせたてまつりたまふ。
いとものものしく、きよげに、よそほしげに、下襲の裾長く曳き、所狭くてさぶらひたまふ、「あなめでた。大納言ばかりに、沓とらせたてまつりたまふよ」と見ゆ。
     (以下割愛)


関白殿が黒戸からお出になられるということで、中宮様の女房が隙間なく伺候しているのを、
「やあ、美人揃いの女房方よ。この年寄りを、どんなに笑いものにするのかな」
などと言って、間をかき分けるようにしてお出ましになるので、戸口に近い女房たちが、色合い華やかな袖口を見せて、御簾を引き上げますと、権大納言(関白の三男、伊周)が、関白殿の御沓を取ってお履かせになられる。
その様子は、大変重々しくて、美しくて、礼儀正しくて、下襲の裾を長く引いて、あたりを圧するようにして付き添っていらっしゃるのは、「まあすばらしい。大納言ほどのお方に、沓をお取らせ申し上げになるなんて」と拝せられます。

山の井の大納言、それ以下のご子息たちでお身内ではない人々(中宮とは異腹の兄弟)などが、黒いものをひき散らしてあるように(四位以上の人が着用した袍の色が黒っぽい色であった)、藤壺の塀のきわから、登華殿の前までひざまずいて並んでいるところに、関白殿はすっきりとした優雅なお姿で、御佩刀の具合などをお直しになりながら、少し足を止めておられると、宮の大夫殿(関白道隆の弟である藤原道長。当時従二位権大納言中宮大夫で二十九歳)は清涼殿の戸の前にお立ちなっておられたので、「大夫殿はひざまずかれることはないだろう」と思っていましたが、関白殿が戸口から少しお出ましになられると、その途端にひざまずかれたのは何とも驚きましたわねぇ、「やっぱり、前世にお積みになった御善業がどれほど大きかったのか」と関白殿をお見申し上げた時は、実に感銘深いことでございました。

女房の中納言の君が、忌日ということで、殊勝らしくお勤めをしておられるので、
「お貸し下さい、その数珠をしばらく。お勤めをして関白さまの結構なご運にあやかりたいものですから」と、数珠を借りようと若い女房たちが集って笑うけれど、中宮様のお辛い気持ちを思うと切ないのですが、それでも、まあ結構なことではあります。
中宮様も、この騒ぎを耳にされて、
「あの世で成仏されるほうが、関白としてこの世におられるよりはましでしょう」
と言って、微笑んでおられるのを、私はもう、うっとりとしてしまって、そのお姿に見とれておりました。
大夫殿が関白殿をひざまずいて迎えられた時のことを、関白殿の威光として繰り返し申し上げましたのですが、中宮様は、
「いつもの、贔屓の人ね」
と、お笑いになられたものです・・・。
それにしましても、大夫殿のこのあとの栄華のありさまを中宮様がご覧になられたならば、私が大夫殿を賞嘆したのも道理とお思いになられることでしょうに。


それほど長い文章ではありませんが、実に多くのことが書かれていて興味深い章段だといえます。

最初の部分は、中宮定子の父道隆の絶頂期の一場面を描いています。
そして、後に藤原氏の全盛期を築き上げる道長が登場しています。そして、「ひざまずく・・・」というくだりは、道長が若くから兄たちに対しても遠慮することのない豪胆な人物として知られていたことがうかがえます。
なお、「大夫殿」と敬称をつけているのは、道長が氏の長者に上り詰めた後にこの文章が書かれたためのようです。

中頃の、「女房の中納言の君・・・」からの部分は、中宮の父である関白道隆が亡くなって間もない頃の逸話のようです。
ここには、少納言さまが道長を随分評価しているらしい様子が中宮により語られています。この部分などを指して、少納言さまと道長が恋人関係にあったという説もあるようですが、個人的には否定的に考えています。
ただ、この頃中宮職の上司であり、道長という人物と接する機会も多く、少納言さまが高く評価していたことは事実でしょうから、知己の間柄であったことは間違いないでしょう。

そして、最後の部分は、中宮定子が亡くなられた後での追想になっています。
この章段全体が、かなり後に書かれたようですが、少納言さまのお気持ちはいかばかりだったのでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夜一夜降り明かし

2014-10-14 11:00:11 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百二十四段  夜一夜降り明かし

九月ばかり、夜一夜降り明かしつる雨の、今朝はやみて、朝日いとけざやかに射し出でたるに、前栽の露は、滾(コボ)るばかり濡れかかりたるも、いとをかし。
透垣の羅文・軒の上などは、掻いたる蜘蛛の巣の滾れ残りたる雨のかかりたるが、白き玉をつらぬきたるやうなるこそ、いみじうあはれに、をかしけれ。

すこし日闌(タ)けぬれば、萩などのいと重たげなるに、露の落つるに枝うち動きて、人も手触れぬに、ふと上ざまへあがりたるも、「いみじうをかし」といひたる言どもの、「ひとの心には、露をかしからじ」と思ふこそ、またをかしけれ。


九月の頃、一晩中降っていて夜明けを迎えた雨が、今朝になってからやんで、朝日がたいそう鮮やかにさし始めた頃、庭の植え込みの露は、こぼれるほどにしっとりと草木に置かれているのが、とても情緒があります。
透垣の羅文や軒の上などは、掻き取った蜘蛛の巣が切れ残っているところに、雨の降りかかったものが、まるで白い玉を貫き通してあるように見えるのは、大変しみじみとししていて、風情があります。


少しばかり日が高くなると、雨を含んだ萩などが、ひどく重たそうになっているのが、乗っていた露が落ちるたびに枝が動いて、人の手も触れないのに、いきなり上の方へ跳ね上がったりするのも、「とても可笑しい」と私が言っているこんなことが、「他の人の心には、全然面白くもないだろう」と思われるのが、また可笑しいのですよ。

雨上がりの庭先の小さな動きが、細やかに描写されています。枕草子の中では比較的珍しい筆致といえるのではないでしょうか。
ただ、最後の部分を付け加えるあたりが、いかにも少納言さまらしく、素直な描写だけでは、お気が済まないようですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

七日の日の若菜を

2014-10-13 11:00:52 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百二十五段  七日の日の若菜を

七日の日の若菜を、六日、人の持て来騒ぎ、とり散らしなどするに、見も知らぬ草を、子どもの取り持て来たるを、
「何とか、これをばいふ」と問へば、とみにはいはず、
「いさ」など、これかれ見あはせて、
「『耳無草』となむいふ」といふ者のあれば、
「むべなりけり。きかぬ顔なるは」と、笑ふに、また、いとをかしげなる菊の、生ひ出でたるを持て来たれば、
   つめどなほ耳無草こそあはれなれ
          あまたしあればきくもありけり
と、いはまほしけれど、また、これもきき入るべうもあらず。


正月七日の七草粥のための若菜を、里人たちが持ってきて騒ぎながら取り散らかしたりしていましたが、見たこともない草を、子供が持ってきているので、
「何というの、この草は」と尋ねても、すぐには答えないで、
「さあ、知らないわ」などと、互いに顔を見合わせていましたが、
「『耳無草』と言います」と答える者があるので、
「なるほどねぇ。道理で話が通じない顔をしているのね」と、笑っていると、他にも、とてもかわいらしい菊の、新芽が伸びたばかりのものも持ってきていたので、
   つめどなほ耳無草こそあはれなり
         あまたしあれば菊(聞く)もありけり
と、言いたかったのですが、また、これもうまく聞き取ってもらえそうもありません。



ごく穏やかな新春の一風景ですが、前段に続き、洒落とか機転とか風流などを感じ取ってくれない不満を述べているともいえます。
それらは、少納言さまが最も得意としている分野のように思われますが、実は、当時の教養の重要な要素であったようなのです。中宮の父である関白が、洒落や冗談を得意としていたというあたりにも、その片鱗はうかがえると思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする