雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

つれづれなるもの

2014-10-05 11:00:01 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百三十二段  つれづれなるもの

つれづれなるもの。
所去りたる物忌。
馬下りぬ双六。
除目に官(ツカサ)得ぬ人の家。雨うち降りたるは、まいて、いみじうつれづれなり。


つれづれなるもの。
自宅から離れた場所での物忌。
駒が進まない双六。
除目(ヂモク・大臣以外の諸官職を任命する儀式)に任官しない人の家。そのような時に、雨が降っているのは、さらにも増して、つれづれなるものです。



「つれづれ」という言葉は、この時代の作品の中でよく目にする言葉です。少し時代は下りますが、「徒然草」などはその代表といえます。
本段を現代訳しているものの多くは、冒頭部分を「所在ないもの」としているものが多いようです。しかし、私にはどうもしっくりしないのです。
「つれづれ」を手持ちの辞典で調べてみますと、「①物事が変わらず長々しく続くさま。することがなく退屈であるさま。所在ない。手持ちぶさた。②一人物思いに沈み、しんみりと寂しいさま。つくづくと思いに沈むさま」とあります。
また、「することもなく、語る相手もなく、心が満たされず所在ない感じ」とも説明されています。
つまり、「あはれ」や「をかし」などでもいえることでしょうが、「つれづれ」という言葉は、現代語で短く置き換えることが大変難しい言葉だと思われるのです。

「つれづれ」を現代訳しないままになっていますので、本文の意味を若干補足させていただきますと、
「物忌」の部分は、自宅でする物忌は、家で籠っていてもそれなりにすることがあるが、他所での物忌となると全くすることがない、といった感じです。
「双六」の部分は、この遊び方がよく分からないのですが、馬(駒)が思うように進まない感じを指しているようです。
「除目」の部分は、私たちにも十分理解出来る感覚ではないでしょうか。

さて、少納言さまも、時には耐えがたいほどのつれづれの時を持つことがあったのでしょうか。そして、その時の心境をここにある事例などではなく、伝え残してほしかったようにも思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする