雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

一条天皇即位 ・ 望月の宴 ( 24 )

2024-03-13 20:35:22 | 望月の宴 ①

     『 一条天皇即位 ・ 望月の宴 ( 24 ) 』


花山天皇の突然の御出家で宮中は大騒ぎとなりました。
御寵愛の女御(忯子)を亡くし、世の無常を悟ったための御出家でございましょうが、世間では、東三条の大臣(兼家)の暗躍があったなどと、まことしやかに囁かれているとの噂もあるそうでございます。
まことに畏れ多いことで、何らかの悪意のようなものも感じられますが、この騒動によって、兼家殿が躍進し、やがては、我が殿道長さまの前途が開かれることになったことは確かでございましょう。

さて、花山天皇の御出家と同じくして、寛和二年六月二十三日には、東宮(懐仁親王)が即位なさいました。一条天皇の誕生でございます。
東宮には、冷泉院の第二皇子(居貞親王)がおつきになられました。
帝は御年七歳、東宮は御年十一歳でございます。
帝も東宮も東三条の大臣兼家殿の御孫でございますから、後々のご繁栄は想像さえ出来ないほどでございます。そして、我が殿道長さまにとりましても、このお二人それぞれのご生母は、同母の御妹なのでございます。

花山院は、三界の火宅を出でて四衢道(シクドウ)の路地に御身を置かれまして、修行の道をお歩きになる御足の裏には、千福輪の文様がお付きでございました。
(花山院が、煩悩の世界から真理に目覚め迷いを脱した状態に至った、の意。千福輪の文様は、仏果を得た証の三十二相の一つ。足の裏に文様が現れる。)
花山院の御足跡には、いろいろな蓮華が花開き、来世においては極楽浄土の上品上生に上られることになるのでしょうか。

とは申しましても、現世に生きている人々にとりましては、特に花山院のお力に頼っていた人々にとりましては、長夜の闇路に迷い込んだ思いで、哀しみに沈んでおられるのでございます。
かの中納言殿は、今は院に付き添われておらず、飯室(比叡山内の一部)という所に隠棲なさいました。惟成入道は、聖にもまさる修行を続けられているとか。
花山院の御受戒は、この冬とのことでございます。
まことに、驚きと申しますより、あきれるばかりの事でございました。


かくて、帝(一条天皇)と東宮(居貞親王)がお立ちになったので、東三条の大臣(兼家)は六月二十三日に摂政の宣旨をお受けになる。准三宮(ジュンサングウ・三宮 ( 皇后・皇太后・太皇太后 ) に准じて年官年爵を賜ること。)として、内舎人随身(ウドネリズイジン・中務省に属して内裏に供奉する者から、摂関に賜る随身。)二人、左右の近衛兵衛などの御随身(各四人だったらしい。)がお仕えする。
右大臣には、ご兄弟の一条の大納言(為光)と申される方が就任なさった。

七月五日、梅壺女御(円融院女御詮子。兼家の娘。)が后にお立ちになる。皇太后宮と申し上げる。

家の子(兼家の一族)の君達(公達)は、后と同腹の方が三人いらっしゃる。まだ官位は高くはないが、上達部(カンダチメ・公卿)になっておられる。
后とご同腹の太郎君(道隆)は、三位中将でいらっしゃったが、中納言におなりになって、すぐに皇太后宮の大夫(長官)になられた。
二郎君(道兼)は、蔵人頭でいらっしゃったが、宰相(参議)になられた。
三郎君(道長)は、四位少将でいらっしゃったが、三位中将に上られた。

閑院の左大将(朝光・兼家の兄兼通の子)は、東宮大夫に任命される。この昇進については、左大将は、他でもないご自身の父の大臣の兼家殿への非常な仕打ちを思い出されるに違いない。世間でいうことわざ(「徳を以て怨に報ゆ」を指しているらしい。)と同様のお考えなのかと、居心地が悪く恥ずかしい気持ちであろう。

摂政殿(兼家)の御娘と名乗っている人がおられた。摂政殿にも思い当たる人らしく、参上なさって皇太后宮の宣旨の役を務められた。

東宮には、九条殿(師輔・兼家らの父)の御娘といわれ、また先帝(冷泉帝)の御息所でいらっしゃったお方(怤子)の同母妹の方が、共に典侍(ナイシノスケ・次官)に任命されて、藤典侍(トウノナイシノスケ・繁子)、橘典侍(キノナイシノスケ・清子)などと呼ばれて、重用されて奉仕されている。橘典侍は、権大納言といった人の御娘なのであろう。

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