『 兼家の御子たち ・ 望月の宴 ( 25 ) 』
さて、東宮(居貞親王・冷泉天皇の皇子)は今年十一歳におなりになられたので、この十月に御元服の儀が予定されていたが、これは大殿(兼家)の御女(綏子)で対の御方(藤原国章の娘)を母君とする方を、尚侍(ナイシノカミ・内侍司の長官)に就任させて、そのまま御副臥(オンソイブシ・皇子などの元服の夜、多くは公卿の娘で年長の者を選んで、添い寝をさせる風習。この時代には形骸化していたが、そのまま妻となる例も多い。)にとのお心づもりで、その時のための御調度類などを夜も昼もかまわず急がれている。
この対の御方は、たいそう華やかであだめいた方で、世間では名だたる浮気女と噂されていらっしゃったが、この尚侍のゆかりのお方とあって、ただ今は、たいそうな信望を受けているので、世間の人々は、「さても、このような思いがけないこともあり得たのだ」と取り沙汰されている。
この尚侍の妹君は、この殿(兼家)のご子息の中納言殿(道隆)の御女(娘。対の御方は兼家の妾であったが、後に道隆と関係を持ち子をなした。このあたりのことも、世間で揶揄されていたらしい。)だということで、東宮の御匣殿(ミクシゲ・もともとは、天皇の御衣を縫製する役所の長官のことであるが、後には、天皇または東宮の侍妾の性格を持った。ここでは東宮の侍妾の意。)にお付けになられた。
対の御方は、それほど身分の高い人ではないが、大弐であった人(藤原国章)がその女をたいそう大切に育てられ、何かにつけ申し分ない扱いに終始しているうちに、度を超してあだっぽくなり、好色な女になったそうだ。
この中納言殿(道隆)の北の方は、高階貴子と申されるお方でございます。
このお方の父君は高階成忠と申されますが、たいそう学問に秀でたお方ですが、どうも人から煙たがられる面がおありのようです。諸国の受領を歴任されましたが、大勢の男女の子がおありでした。
その中でも、貴子さまをとりわけ大切になさっていて、良い男と結婚させようと思っておられましたが、なかなか意にかなう男は見当たらず、それならば宮仕えさせようと考えられて、先帝(円融天皇)の御時に、宮中の女房として出仕させましたが、女でありながら、漢字なども実に見事に書きますので、内侍(ナイシ・掌侍のこと。内侍司の三等官。)に任命され、高内侍(コウノナイシ)と呼ばれておりました。
道隆殿は、あちらこちらの多くの女性と情を交わしておられましたが、この貴子さまが特に気に入られ、そのまま北の方になさったのでございます。
貴子さまは女君三、四人と男君三人をお生みになられたので、道隆殿は一段と北の方を大切に思いながらも、浮気なお振る舞いがなくなることはございませんので、この殿の御子と言われる公達が大勢になられましたが、正室腹の方々を格別な子として思われていました上に、母の貴子さまの学才が優れていたからでしょうか、男君たちも女君たちも、どなたも年の割には断然優れていらっしゃったのでございます。
道隆殿は、ご容姿もお心も実に優雅で、ご気性もまことに端正でいらっしゃいます。
道隆殿の御外腹の太郎君(長男)は、大千代君(のちの道頼)と申されますが、摂政殿(兼家)が引き取られ、ご自分の御子として、この頃は中将であられました。
そして、正室腹の一番上の男君を小千代君(のちの伊周)とお呼びされておりました。
摂政殿の二郎君である宰相殿(道兼)は、御顔色が悪く、毛深く、ことのほか醜男であられたが、ご気性は老成して雄々しい方で、何となく恐ろしく感じられるほどわずらわしく、意地が悪くて、兄である道隆殿を常々注意するといった人柄である。
北の方には、宮内卿であった人(遠量・兼家の異母兄弟にあたるが、宮内卿であったかは未詳。)がたくさんの女君を儲けておられていて、その一人を迎えられている。その宮内卿は九条殿(師輔)の御子でいらっしゃる。
道兼殿には特に浮気沙汰もなく、そうしたことには常に非難されていた。
后宮(詮子)に仕える藤内侍(トウノナイシ・繁子)の腹に御女が一人いらっしゃったが、別に可愛くも思われていない。
北の方の御腹に、男君たちが大勢いらっしゃったが、女君がいらっしゃらないのが、実に残念だと思われていることだろう。
摂政殿の五郎君(道長)は、三位中将で、ご容姿をはじめ、ご気性などは、兄君たちをどのように見ておられたのであろうか、うって変わって、さまざまな面でたいそう巧者で男らしく、さらに道心もあり、ご自分に心を寄せる人に対しては格別に目をかけ庇護なさった。
お人柄は、すべての面で人並みより勝っていて、申し分のないお方である。后宮(円融帝后、詮子)も、特別にお心遣いされていて、実の御子よと申されて、何事につけご配慮なさっておいでである。
現在、御年二十歳ほどでいらっしゃるが、戯れにも浮気っぽいお心とは無縁であられる。といって、決してお心が堅苦しいというわけではなく、人に恨まれない、女に薄情者と思われることほど辛いことはない、とお思いになって、並々ならずお心を寄せている女に対しては、人目に立たぬようにして、情けをかけておられたのである。
このように抜きん出たお人柄は、自然と世間の知るところとなり、我も我もと競ってこの君を婿にとの意向を示される方々があるが、「今しばらく待って欲しい。自分には考えるところがあるので」と言って、一向に聞き入れようとなさらないので、大殿(父の兼家)も、「どうも納得がいかぬ。何を考えているのか」と、不審がっておられるのであった。
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