キャットスマイル
⑥ トラの脱走
ボクはこの家の生活に慣れていった。
寝床や食事などに慣れてきたこともあるが、一緒に生活しているトラとチビとの関わり方について慣れてきたことが大きい。
ボクは誰よりも強くならなくてはならないのだけれど、この前チビがいろいろ話してくれたことから、この家にいる間は、少なくともトラやチビを負かす必要がないし、彼らもボクをやっつけたり追い出したりする気はないようだということが分かってきたのだ。
ただ、物陰に隠れていて飛びかかるのは、とても楽しいので簡単にやめるわけにはいかない。でもそれは、出来るだけお母さんやお姉さんなどにすることにしている。
*
チビが家にいる時は、食事をしているか寝ているのがほとんどで、それも寝ている時間の半分はボクの寝床にもぐりこんでくるのである。
ボクは、この家に来てから大分大きくなっているので、チビにもぐりこまれると以前よりさらに狭苦しい。しかしチビは、あんなに大きい体をしているのに、むしろそのせいかもしれないが、狭苦しいということを感じないらしい。その上、自分の図体の大きさが分かっていないらしく、狭い所にどでかい体を押しこんでくるのだ。
チビは、食べるだけ食べて、寝るだけ寝ると、やおら外へ出かけていく。
たいていはガラス戸が閉まっているが、その時には図々しくも「ニャアーゴ、ニャアーゴ」とどでかい声でお母さんを呼んで戸を開けさせるのである。
帰って来た時も、テラスにおいてある箱の中でおとなしく寝ていることもあるが、戸が閉まっていて入りたい時にも、同じように大声を上げる。それでも誰も開けてくれない時には、ガラス戸をガリガリとひっかいて呼び続ける。お母さんがいない時や二階に上がっている時などには、それでも開けてもらえないので、ふてくされたような顔で箱の中で眠ってしまう。
トラは、チビと違って遠くへは行かせてもらえないらしい。どういう理由からか知らないが、この家に来た時からのことらしく、外へ行くのが危険なので、そうなったらしい。
そのかわり、外に出たい時は窓際に行って、「ウゥー」という低い声を出すと、お母さんが首輪に紐を繋いで外に出してやる。紐はテラスの柱に繋がれているが、結構長く、テラスの外へも少しばかり行ける。
ただ、たいていはテラスに長々と寝そべっているか、箱の中で寝ている。
時々、お母さんがうっかりしている時などに、紐に繋がれない状態で外に出てしまうことがある。
お母さんなどがそれに気付くと、大騒ぎになってトラを捕まえにかかる。
トラは庭から外へ行ってしまうことはあまりないが、時には隣家の庭に入り、さらに姿を消してしまうこともたまにある。
そんな時には、お母さんばかりでなく、他に誰かがいる時には総出で探しまわる。しかし、トラはそのくらいでは簡単には捕まらない。
感心なのは、そのような状態になると、いつの間にかチビが姿を現して、トラの後について行くらしい。
お母さんも、
「チビ、トラを探してきて」
と言っているのを何度も聞いたことがある。
トラは、散歩に飽きると勝手に帰ってくるし、チビの鳴き声に呼び寄せられて帰ってくることもある。
帰ってきても、お母さんが捕まえようとするとなかなか捕まらないが、しばらくすると勝手に家に入ってくるか、テラスの箱の中で眠っていたりする。
ともかく、トラが繋がれていない状態で外に出ると、家中が大騒ぎなのだ。
ボクの場合は、どうもはっきりしていない。
ボクにも首輪を買ってくれているが、どうもボクは首輪をつけられるのが好きではない。チビの場合は、どこまでが頭でどこからが体だか分からないので、したがって首の場所がはっきりしないので首輪が付けにくいのだと思うが、ボクの場合は、頭が小さいので首輪が付けにくいらしい。
外に出るのは、トラが外に出ている時に一緒に出してくれる。いつもではないが、必ずお母さんかお姉さんが近くに付いている。それに、トラもボクがテラスに出ている時はのんびり寝ていられないらしく、座ったりねそべったりしてボクを見ている。チビも、家の中に居る時はわざわざ出てきてボクの近くに座る。
ボクはテラスでねそべるか、たまに箱に入ったりするが、テラスの箱はボクには寝心地がよくない。
たまには、テラスの外に走り出ることもあるが、その時はお母さんなどが大声を出し、チビも追っかけてくる。その声に驚いて、ボクは家の中に走り込む。
ボクは、今でも子供たちからいじめられていたことが頭のどこかに残っているらしく、外に出るのが恐い気がして、テラスからはなかなか出て行けないのである。
ボクたちは、それぞれ方法は違うが、家の外に出ることも多かったが、ある日事件が起こった。
いつの間にかトラが外に出てしまっていた時のことである。
そういうことはよくあることなので、お母さんもしばらくは捕まえようとしたが、これもいつものように簡単に捕まるはずがなかった。ちょうどチビが帰って来たので、例によってお母さんは、
「チビ、トラをよく見張っているのよ」
と言って、家の中に入ってしまった。ボクは家の中からガラス戸越しに二匹の様子を見ていた。
庭の中をトラとチビは追っかけっこをしたり、少し離れて芝生の上に座ったりしていた。
その時である。庭の向こうから黒と灰の縞模様の大ネコが入ってきたのだ。
チビもトラも大声をあげ、チビは大ネコに向かっていき、トラは隣家の庭に駆け込んだのである。
大声を上げながらチビと絡み合った後、大ネコはトラが逃げた方向に向かった。今度は隣家の庭でトラの大声がし、チビもそちらに向かった。
その頃にはお母さんも気がついて、大声でトラを呼びながら、表の道路から隣家に向かったが、その時には三匹ともが姿を消していた。
遠くで何度かネコが闘う声が聞こえてきたが、それも静まり、三匹の姿は見えなくなってしまった。
かなりの時間が経ってから、チビだけが帰ってきた。
特に怪我をしている様子はないが泥まみれで、激しく戦ったらしいことが窺える。
心配しながら家を出たり入ったりしていたお母さんは、チビの姿を見ると、
「トラはどうしたの?」
と尋ね、「トラを探してきてよ」と言葉を続けたが、チビは疲れているらしくうずくまってしまって探しに行こうとしなかった。
やがて日が暮れてあたりは暗くなったが、トラは帰ってこなかった。
チビは一度出掛けて行ったが、トラに会うことは出来なかったらしく、すごすごと帰ってきた。何だか、チビが少し小さくなったように見えて、ボクは、何か大変なことが起こっているのではないかと胸騒ぎがした。
お姉さんが帰ってくると、お母さんと共に懐中電灯をもってトラの名前を呼びながら近くの公園などを探したようだが、まったく姿が見えなかったらしい。
夜遅くになって、お父さんはさらに遠くまで探し回り、近くにある川の中も名前を呼びながら長い時間探したが見つからなかった。
その夜は、チビはいつもはトラが居る辺りで横になっていたが、寝付けないらしく部屋の中をあちこちうろついていた。ボクも同じで、明日になれば帰ってくると思いながらも、どうしても寝ることができず、チビに体を寄せて思わず「クー、クー」と泣いてしまった。
翌朝、お父さんはまだうす暗いうちからトラを探しに行った。チビも、外に飛び出していって、近所の庭や公園など、いつも出掛けているチビの縄張りの外までも探したそうだが、トラは見つからなかった。
お母さんは、皆が出掛けた後、近所のお家を訪ねて、トラのことを頼んでまわった。少し離れた所にある動物病院にも、怪我でもして運びこまれていないか尋ねに行ったようである。
しかし、トラはとうとう戻って来なかった。
その次の日も、お母さんとチビが中心になって探し回ったが、何の消息もなかった。
ボクは何の役にも立たず、ガラス戸から外を眺めて、トラの姿が見えないか、ぼんやりと見つめているだけなのだ。
三日目も夜となり、お母さんたちは、トラが何か食べることが出来ているのかを心配していた。トラは、ボクより小さいくらいの頃にこの家に貰われてきて、ずっと家の中で育ってきた。だから、自分で食べ物を捕った経験など全くないのである。
あのトラのことだから、この前襲ってきた大ネコであっても、トラが簡単にやっつけられるはずなどないけれど、しかし、犬もいるし、いたずら坊主たちもいるし、もっと怖い自動車も走っている。
どれもこれも、トラはこれまであまり接したことがないのが心配なのだ。
その夜も、なかなか寝つかれなかった。
チビも、なぜだかボクの寝床に入ってこようとはせず、いつもトラが寝ている近くでうずくまっている。ボクもチビもトラがいなくなってから食事の量が減って、チビは少し痩せたみたいだ。
それでも、いつの間にかうとうとしていた。夢を見ていたようで、はっとして目が覚めた。何かいつもと違う気配が感じられるのだ。まだ夜明けには大分時間があると思うのたが、チビも痩せたとはいえ依然大きな頭をもたげて、ボクの方を見ている。
その時、何かをひっかくような音が聞こえてきた。
ボクは起き上がり、ガラス戸に駆け寄った。普段は閉めている雨戸を、トラがいなくなってからは半分開けていた。暗闇の中で、そのガラス戸をひっかいている姿が見えたのだ。
「ミャアー」
と、ボクは大声で鳴いた。同じように気がついたらしいチビはもっと大きな声を出した。
「ミャアーコ゜、ミャアーゴ」
「ミャアー、ミャアー」
ボクたちは声の限りに鳴き叫び続けた。
二階から、まずお母さんが駆け降りてきた。お姉さんたちも、全員が大きな足音を立てて階段を降りてきた。
お母さんが電気をつけ、ガラス戸を勢いよく開けた。
そこには、トラがうずくまっていたのである。
もう、動けないらしく、自分では家に入ることが出来ないみたいで、お母さんは裸足でテラスに出てトラを抱き上げた。
「ミャオー」
と、トラはようゆく小さな声を出した。
「トラが帰って来たわ、トラが帰って来たのよ」
と、お母さんは涙を流しながら大きな声をあげた。お姉さんたちも近くにきていて、様子は分かっているのに、お母さんは、「トラが帰ってきた、トラが帰ってきた」と、何度も何度も繰り返している。
*
ボクは、いつの間にか泣いていた。
トラが帰ってきて嬉しいのに、なぜか泣いていた。
嬉しい時にも泣くことがあることをボクは初めて知った。
「チロ君、あなたも喜んでくれているのね」
と、お姉さんは、ボクを抱き上げて顔を覗き込むようにして言った。
もしかすると、ボクは嬉しい時も悲しい時も、同じ顔をしているのかもしれない、と思った。
* * *
⑥ トラの脱走
ボクはこの家の生活に慣れていった。
寝床や食事などに慣れてきたこともあるが、一緒に生活しているトラとチビとの関わり方について慣れてきたことが大きい。
ボクは誰よりも強くならなくてはならないのだけれど、この前チビがいろいろ話してくれたことから、この家にいる間は、少なくともトラやチビを負かす必要がないし、彼らもボクをやっつけたり追い出したりする気はないようだということが分かってきたのだ。
ただ、物陰に隠れていて飛びかかるのは、とても楽しいので簡単にやめるわけにはいかない。でもそれは、出来るだけお母さんやお姉さんなどにすることにしている。
*
チビが家にいる時は、食事をしているか寝ているのがほとんどで、それも寝ている時間の半分はボクの寝床にもぐりこんでくるのである。
ボクは、この家に来てから大分大きくなっているので、チビにもぐりこまれると以前よりさらに狭苦しい。しかしチビは、あんなに大きい体をしているのに、むしろそのせいかもしれないが、狭苦しいということを感じないらしい。その上、自分の図体の大きさが分かっていないらしく、狭い所にどでかい体を押しこんでくるのだ。
チビは、食べるだけ食べて、寝るだけ寝ると、やおら外へ出かけていく。
たいていはガラス戸が閉まっているが、その時には図々しくも「ニャアーゴ、ニャアーゴ」とどでかい声でお母さんを呼んで戸を開けさせるのである。
帰って来た時も、テラスにおいてある箱の中でおとなしく寝ていることもあるが、戸が閉まっていて入りたい時にも、同じように大声を上げる。それでも誰も開けてくれない時には、ガラス戸をガリガリとひっかいて呼び続ける。お母さんがいない時や二階に上がっている時などには、それでも開けてもらえないので、ふてくされたような顔で箱の中で眠ってしまう。
トラは、チビと違って遠くへは行かせてもらえないらしい。どういう理由からか知らないが、この家に来た時からのことらしく、外へ行くのが危険なので、そうなったらしい。
そのかわり、外に出たい時は窓際に行って、「ウゥー」という低い声を出すと、お母さんが首輪に紐を繋いで外に出してやる。紐はテラスの柱に繋がれているが、結構長く、テラスの外へも少しばかり行ける。
ただ、たいていはテラスに長々と寝そべっているか、箱の中で寝ている。
時々、お母さんがうっかりしている時などに、紐に繋がれない状態で外に出てしまうことがある。
お母さんなどがそれに気付くと、大騒ぎになってトラを捕まえにかかる。
トラは庭から外へ行ってしまうことはあまりないが、時には隣家の庭に入り、さらに姿を消してしまうこともたまにある。
そんな時には、お母さんばかりでなく、他に誰かがいる時には総出で探しまわる。しかし、トラはそのくらいでは簡単には捕まらない。
感心なのは、そのような状態になると、いつの間にかチビが姿を現して、トラの後について行くらしい。
お母さんも、
「チビ、トラを探してきて」
と言っているのを何度も聞いたことがある。
トラは、散歩に飽きると勝手に帰ってくるし、チビの鳴き声に呼び寄せられて帰ってくることもある。
帰ってきても、お母さんが捕まえようとするとなかなか捕まらないが、しばらくすると勝手に家に入ってくるか、テラスの箱の中で眠っていたりする。
ともかく、トラが繋がれていない状態で外に出ると、家中が大騒ぎなのだ。
ボクの場合は、どうもはっきりしていない。
ボクにも首輪を買ってくれているが、どうもボクは首輪をつけられるのが好きではない。チビの場合は、どこまでが頭でどこからが体だか分からないので、したがって首の場所がはっきりしないので首輪が付けにくいのだと思うが、ボクの場合は、頭が小さいので首輪が付けにくいらしい。
外に出るのは、トラが外に出ている時に一緒に出してくれる。いつもではないが、必ずお母さんかお姉さんが近くに付いている。それに、トラもボクがテラスに出ている時はのんびり寝ていられないらしく、座ったりねそべったりしてボクを見ている。チビも、家の中に居る時はわざわざ出てきてボクの近くに座る。
ボクはテラスでねそべるか、たまに箱に入ったりするが、テラスの箱はボクには寝心地がよくない。
たまには、テラスの外に走り出ることもあるが、その時はお母さんなどが大声を出し、チビも追っかけてくる。その声に驚いて、ボクは家の中に走り込む。
ボクは、今でも子供たちからいじめられていたことが頭のどこかに残っているらしく、外に出るのが恐い気がして、テラスからはなかなか出て行けないのである。
ボクたちは、それぞれ方法は違うが、家の外に出ることも多かったが、ある日事件が起こった。
いつの間にかトラが外に出てしまっていた時のことである。
そういうことはよくあることなので、お母さんもしばらくは捕まえようとしたが、これもいつものように簡単に捕まるはずがなかった。ちょうどチビが帰って来たので、例によってお母さんは、
「チビ、トラをよく見張っているのよ」
と言って、家の中に入ってしまった。ボクは家の中からガラス戸越しに二匹の様子を見ていた。
庭の中をトラとチビは追っかけっこをしたり、少し離れて芝生の上に座ったりしていた。
その時である。庭の向こうから黒と灰の縞模様の大ネコが入ってきたのだ。
チビもトラも大声をあげ、チビは大ネコに向かっていき、トラは隣家の庭に駆け込んだのである。
大声を上げながらチビと絡み合った後、大ネコはトラが逃げた方向に向かった。今度は隣家の庭でトラの大声がし、チビもそちらに向かった。
その頃にはお母さんも気がついて、大声でトラを呼びながら、表の道路から隣家に向かったが、その時には三匹ともが姿を消していた。
遠くで何度かネコが闘う声が聞こえてきたが、それも静まり、三匹の姿は見えなくなってしまった。
かなりの時間が経ってから、チビだけが帰ってきた。
特に怪我をしている様子はないが泥まみれで、激しく戦ったらしいことが窺える。
心配しながら家を出たり入ったりしていたお母さんは、チビの姿を見ると、
「トラはどうしたの?」
と尋ね、「トラを探してきてよ」と言葉を続けたが、チビは疲れているらしくうずくまってしまって探しに行こうとしなかった。
やがて日が暮れてあたりは暗くなったが、トラは帰ってこなかった。
チビは一度出掛けて行ったが、トラに会うことは出来なかったらしく、すごすごと帰ってきた。何だか、チビが少し小さくなったように見えて、ボクは、何か大変なことが起こっているのではないかと胸騒ぎがした。
お姉さんが帰ってくると、お母さんと共に懐中電灯をもってトラの名前を呼びながら近くの公園などを探したようだが、まったく姿が見えなかったらしい。
夜遅くになって、お父さんはさらに遠くまで探し回り、近くにある川の中も名前を呼びながら長い時間探したが見つからなかった。
その夜は、チビはいつもはトラが居る辺りで横になっていたが、寝付けないらしく部屋の中をあちこちうろついていた。ボクも同じで、明日になれば帰ってくると思いながらも、どうしても寝ることができず、チビに体を寄せて思わず「クー、クー」と泣いてしまった。
翌朝、お父さんはまだうす暗いうちからトラを探しに行った。チビも、外に飛び出していって、近所の庭や公園など、いつも出掛けているチビの縄張りの外までも探したそうだが、トラは見つからなかった。
お母さんは、皆が出掛けた後、近所のお家を訪ねて、トラのことを頼んでまわった。少し離れた所にある動物病院にも、怪我でもして運びこまれていないか尋ねに行ったようである。
しかし、トラはとうとう戻って来なかった。
その次の日も、お母さんとチビが中心になって探し回ったが、何の消息もなかった。
ボクは何の役にも立たず、ガラス戸から外を眺めて、トラの姿が見えないか、ぼんやりと見つめているだけなのだ。
三日目も夜となり、お母さんたちは、トラが何か食べることが出来ているのかを心配していた。トラは、ボクより小さいくらいの頃にこの家に貰われてきて、ずっと家の中で育ってきた。だから、自分で食べ物を捕った経験など全くないのである。
あのトラのことだから、この前襲ってきた大ネコであっても、トラが簡単にやっつけられるはずなどないけれど、しかし、犬もいるし、いたずら坊主たちもいるし、もっと怖い自動車も走っている。
どれもこれも、トラはこれまであまり接したことがないのが心配なのだ。
その夜も、なかなか寝つかれなかった。
チビも、なぜだかボクの寝床に入ってこようとはせず、いつもトラが寝ている近くでうずくまっている。ボクもチビもトラがいなくなってから食事の量が減って、チビは少し痩せたみたいだ。
それでも、いつの間にかうとうとしていた。夢を見ていたようで、はっとして目が覚めた。何かいつもと違う気配が感じられるのだ。まだ夜明けには大分時間があると思うのたが、チビも痩せたとはいえ依然大きな頭をもたげて、ボクの方を見ている。
その時、何かをひっかくような音が聞こえてきた。
ボクは起き上がり、ガラス戸に駆け寄った。普段は閉めている雨戸を、トラがいなくなってからは半分開けていた。暗闇の中で、そのガラス戸をひっかいている姿が見えたのだ。
「ミャアー」
と、ボクは大声で鳴いた。同じように気がついたらしいチビはもっと大きな声を出した。
「ミャアーコ゜、ミャアーゴ」
「ミャアー、ミャアー」
ボクたちは声の限りに鳴き叫び続けた。
二階から、まずお母さんが駆け降りてきた。お姉さんたちも、全員が大きな足音を立てて階段を降りてきた。
お母さんが電気をつけ、ガラス戸を勢いよく開けた。
そこには、トラがうずくまっていたのである。
もう、動けないらしく、自分では家に入ることが出来ないみたいで、お母さんは裸足でテラスに出てトラを抱き上げた。
「ミャオー」
と、トラはようゆく小さな声を出した。
「トラが帰って来たわ、トラが帰って来たのよ」
と、お母さんは涙を流しながら大きな声をあげた。お姉さんたちも近くにきていて、様子は分かっているのに、お母さんは、「トラが帰ってきた、トラが帰ってきた」と、何度も何度も繰り返している。
*
ボクは、いつの間にか泣いていた。
トラが帰ってきて嬉しいのに、なぜか泣いていた。
嬉しい時にも泣くことがあることをボクは初めて知った。
「チロ君、あなたも喜んでくれているのね」
と、お姉さんは、ボクを抱き上げて顔を覗き込むようにして言った。
もしかすると、ボクは嬉しい時も悲しい時も、同じ顔をしているのかもしれない、と思った。
* * *
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます