雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

阿難尊者の弁明 ・ 今昔物語 ( 4 - 1 )

2020-02-08 14:44:42 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          阿難尊者の弁明 ・ 今昔物語 ( 4 - 1 )

今は昔、
天竺において仏(釈迦)が涅槃(ネハン)に入られて後、迦葉尊者(カショウソンジャ)を最上位者として、千人の羅漢(ラカン・阿羅漢の略。原始仏教における修業階位の最高位に達したもの。ここでは、高弟たちを指している。)が皆集まり、大小乗の経(利他を説く大乗経と自利を説く小乗経。)を結集(ケツジュウ・合議により仏典を編集すること。この時のものが、第一回結集といわれるもの。)し給うた。

その中で、阿難(アナン・釈迦十大弟子の一人。釈迦の従兄弟にあたる。)の所行に罪過が多かった。そこで、迦葉は阿難を詰問なさった。
「まず、そなたは、憍曇弥(キョウドンミ・釈迦の叔母にあたる。再三出家を望むが釈迦が許さず、阿難の口添えで実現したらしい。原始仏教において女性蔑視が見られることがあるが、その一つのように思われる。)を仏に申し上げて出家させ戒を授けた。それによって、正法五百年(ショウボウ・釈迦入滅後、五百年あるいは千年の間は、正しい教えが伝えられるとされる期間。)を短くしてしまった。その罪過をどう思っているのか」と。
阿難はこれに対して、「仏の在世・滅後に関わらず、必ず四種の構成員がいるではないか。すなわち、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷(ビク・ビクニ・ウバイ・ウバソク・・なお、前の二つは男女の出家信者。あとの二つは男女の在家信者のこと。)である」と答えた。
また、迦葉が訊ねた。「そなたは、仏が涅槃に入られる時、水を汲んで仏に奉ることをしなかった。その罪過はどうか」と。
阿難は、「その時に、川の上流を五百の車が横切りました。そのため水が濁り、水を汲んで仏に奉ることが出来なかったのです」と答えた。
また、迦葉が訊ねた。「仏はそなたにお尋ねになられた。『私(釈迦)は、一劫(イチゴウ・劫は時間の単位で、果てしないほど長い時間。)に生きるべきか。多劫に生きるべきか』と。その答えを、そなたは三度にわたってお答えしなかった。その罪過はどうか」と。
阿難が答えた。「天魔・外道(ゲドウ・仏教から見た異教徒。)がそれを知ると、仏の在世期間が分かり禍を成すでしょう。それゆえお答えしなかったのです」と。

また、迦葉は訊ねた。「仏が涅槃に入られた時、摩耶夫人(マヤブニン・釈迦の生母)が遥か忉利天(トウリテン・天上の一つ。帝釈天の居城がある。)より手を差し伸べて、仏の御足を取って涙をお流しになった。ところが、そなたは仏の側近として仕えた御弟子でありながら、それを制止することなく、女人の手を仏の御身に触れさせている。この罪過はどうか」と。
阿難は答えた。「末世の衆生に母の深い愛情を知らしめるためであります。この恩を知って徳を積むためです」と。
このように、阿難が答えの一つ一つに罪過はなかったので、迦葉はこれ以上問い質すことは無かった。

また、千人の羅漢が霊鷲山(リョウジュセン・釈迦が多くの説教を行った聖地の一つ。)に行き法集堂(ホウシュウドウ・経典の編纂所)に入る時、迦葉は、「ここにいる千人の羅漢のうち、九百九十九人はすでに無学(ムガク・これ以上学ぶものが無いという意味。)の聖人である。ただ一人阿難は、有学(ウガク・まだ学ぶべきことがあるという意味。)の人である。また、この阿難は、時々女性に関心を抱く。未だ修行の薄い人である。速やかに堂の外に出なさい」と言って、立って行き阿難を引き出し門を閉じてしまった。
すると阿難は、堂の外から迦葉に申し上げた。「私が有学なることは、四悉檀(シシツダン・仏の教えを四種に分類したもので、その内容は広範で難解らしく、阿難はそれを修得するためには学ぶことがある、と答えたものらしい。)を修得するためです。また、女の事に関しては決して愛欲心はありません。ぜひ、私を堂の中に入れて座に着かせてください」と。
迦葉は、「そなたは、まだ修得の程度が低い。速やかに無学の域まで修得すれば、中に入れて座に着かせよう」と言った。
阿難は、「私はすでに無学の域まで修得しています。速やかに入れてください」と言う。
迦葉は、「無学の域に達しているというのであれば、戸を開かずとも神通力をもって入れば良い」と答えた。

そこで阿難は、鍵穴より入って中の羅漢たちに加わった。すると中にいた九百九十九人の阿羅漢たちは、不思議な思いになった。
これによって、阿難を法集の長者(編集主幹)と決めた。
そこで阿難は、高座に昇り、「如是我聞(ニョゼガモン・我は仏の教えをこのように聞いた、といった意味で、多くの経典はこの言葉で始まる。)」と言った。その時、集まっている阿羅漢たちは、「我が大師釈迦如来が再びよみがえられて、我らのために法をお説きになられるのか」と疑い、偈(ゲ・仏教の真理を詩の形で述べたもの。)を説いて声を合わせて誦した。
 『 面如浄満月 眼若青蓮華 仏法大海水 流入阿難心 』
 ( メンニョジョウマンゲツ ゲンニャクショウレンゲ ブッポウダイカイスイ ルニュウアナンシン )
 ( 前の二句は、阿難の容貌を仏の尊顔の如し、と称え、後の二句は、偉大にして無尽蔵の仏の教えを大海の水にたとえ、それらが阿難の心に会得されたと賞賛したもの。)
このように誦して、褒め称えること限りなかった。その後、大小乗の経を結集した。

されば、仏の御弟子の中において、阿難尊者は優れた人物であると皆が知ることとなった、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

 



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2 コメント

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今昔は読ませますね。 (yo-サン)
2020-02-10 09:27:35
その先行的な霊異記から今昔になると、大乗仏教の本質が見事に描かれていますね。
仏伝によりますと、阿難(アーナンダ)は、いつも釈尊のお傍に仕え、種々お世話をされ
ました。また、記憶力抜群であったので、結集では参集のお弟子さん達の前で、釈尊の
仰ったことを正確にお話されたそうです。そこで皆が「そうだ、その通りだ」と認めますと、
「経典」(まあ、当時は口承でしょうが)として成立しました。

昨日も必要があり墓参しました。久々に袈裟を懸けて「仏説阿弥陀経」を読誦しました。
序章には長々と聴聞されたお高弟達のお名前があります。勿論、阿難さんのも。
粉雪の舞う寒い日でしたが、お経を読みながら、遠く古の釈尊の説法に思いを馳せて
おりました。すみません。つい私事を連ねてしまいました。どうぞご寛容に。
北陸路yo-サンこと・釈豊照でした。
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ご教示 感謝します (雅工房)
2020-02-10 20:59:51
釈豊照さま
いつも ご教示いただき感謝いたしております。
当ブログの今昔物語につきましては、言葉の誤訳はもちろん、大意さえ受け取り方を間違えているものがあるのではないかと、心細さを抱えながら読み進んでいます。
ただ、今昔物語の魅力の一つは、「読み手の力に応じて相応の示唆を与えてくださる」ことのように感じていますので、ずうずうしく読み続けたいと思っています。
今後ともよろしくお願いいたします。
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