古代からのメッセージ ( 7 )
須賀の宮
さて、八俣の大蛇を退治した須佐之男命は、宮を作るための土地を出雲国に求めた。
そして、須賀という地に至った時、
「この地に来て、我が心はすがすがしい」
と言って、そこに宮を作り住むことになった。それで、その地を今は須賀というのである。
この大神(須佐之男命のこと。宮を作ったことからか、初めて大神と記されている)が、最初に須賀の宮を作った時に、そこから雲が立ち上った。
そこで御歌を作った。
『 八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を 』
( 雲が湧きいずる出雲の地に、雲のように幾重にも垣をめぐらし、妻を住まわせるために幾重にも垣を作っている。ああ、その幾重にもめぐらした垣よ。)
そして、須佐之男命は、足名鉄神(アシナヅチノカミ)を呼び寄せて、この須賀宮の長官に任じ、稲田宮主須賀之八耳神という名前を与えた。
こうして須賀宮を造営し、あの櫛名田比売と寝所に入り生んだ神の名は、八島土奴美神(ヤシマジヌミノカミ)という。
また、大山津見神の娘である神太市比売(カムオオイチヒメ)を娶って、二柱の神を儲けた。
八島土奴美神が、大山津見神の娘である木花知流比売(コノハナチルヒメ)を娶って儲けた子は、布波能母遅久奴須奴神といい、この神の子が深渕之水夜礼花神といい、この神の子が淤美豆奴神といい、この神の子が天之冬衣神(アメノフユキヌノカミ)といい、この神が刺国若比売(サシクニワカヒメ)を娶って生まれた子が大国主神(オオクニヌシノカミ)である。
大国主神は、またの名を大穴牟遅神(オオアナムシヂノカミ)といい、またの名を芦原色許男神(アシハラシコオノカミ)といい、またの名を八千矛神(ヤチホコノカミ)といい、またの名を宇都志国玉神(ウツシクニタマノカミ)といい、合わせて五つの名前を持っている。
☆ ☆ ☆
稲羽の兎
さて、この大国主神にはたくさんの兄弟の神々がいた。けれども、兄弟の神々たちは皆、国を治めることを大国主神に委ねた。
その理由というのは、次のような出来事があったからである。
その兄弟の神々が、それぞれ稲羽の八上比売(ヤカミヒメ)と結婚したいと思う心を持っていて、一緒に稲羽に行った時、大国主神に袋を背負わせて、従者の扱いのようにして連れて行った。
そして、気多の岬に着いた時に、赤裸の兎が倒れていた。
それを見た兄弟の神々はその兎に、
「お前は、この海水を浴び、風が吹くのに当たって、高い山の頂に伏せっておれ」
と教えた。
その兎は、兄弟の神々の教えに従って伏せっていた。
すると、その海水が乾いていくにしたがって、身体の皮が風に吹かれて裂けていった。
兎は、痛みに苦しみ泣き伏していると、一番最後にやってきた大国主神がその様子を見て、
「どうしてお前は泣き伏しているのか」
と尋ねた。
兎は答えて申し上げた。
「私は、隠岐島に居ましたが、ここへ渡ろうと思いましたが、渡る方法がありませんでした。そこで、海のわに(鮫のことらしい)をだまして、『私とお前と比較して、一族の多い少ないを数えたいと思う。この島から気多の岬まで、全員が並んで伏せよ。そこで私がその上を踏んで、走りながら声に出して数えながら渡ろう。そうすれば、私の一族とどちらが多いか分かるだろう』と言いました。
私がそう言いますと、わにたちはだまされて並んで伏したので、私はその上を踏んで声を出して数えながら渡ってきて、今まさに地面に降りようとするときに、『お前たちは、私にだまされたのだ』と私が言うと、一番端に伏せていたわにが私を捕えて、私の着物をすべて剥いでしまったのです。
このため、泣いて困っていたところ、先に行った大勢の神々が、『海水を浴びて風に当たって伏せていよ』と教えてくれました。それで、教えられた通りにしたところ、私の身体は、ことごとく傷ついてしまったのです」
とのことであった。
それを聞いた大国主神は、
「今すぐにこの河口に行き、真水でお前の身体を洗って、急いで河口の蒲の穂を取って敷き詰めて、その上に横たわって転がれば、お前の身体はきっともとの肌のように治るだろう」
と、兎に教えました。
早速兎が教えられた通りにすると、その身体はもとの通りになった。
これが、稲羽の白兎なのである。今は、兎神という。
そして、その兎は大国主神に、
「先に行った大勢の神々は、きっと八上比売を手に入れることは出来ないでしょう。従者のように大きな袋を背負っていても、あなた様が手に入れるでしょう」
と申し上げたのである。
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須賀の宮
さて、八俣の大蛇を退治した須佐之男命は、宮を作るための土地を出雲国に求めた。
そして、須賀という地に至った時、
「この地に来て、我が心はすがすがしい」
と言って、そこに宮を作り住むことになった。それで、その地を今は須賀というのである。
この大神(須佐之男命のこと。宮を作ったことからか、初めて大神と記されている)が、最初に須賀の宮を作った時に、そこから雲が立ち上った。
そこで御歌を作った。
『 八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を 』
( 雲が湧きいずる出雲の地に、雲のように幾重にも垣をめぐらし、妻を住まわせるために幾重にも垣を作っている。ああ、その幾重にもめぐらした垣よ。)
そして、須佐之男命は、足名鉄神(アシナヅチノカミ)を呼び寄せて、この須賀宮の長官に任じ、稲田宮主須賀之八耳神という名前を与えた。
こうして須賀宮を造営し、あの櫛名田比売と寝所に入り生んだ神の名は、八島土奴美神(ヤシマジヌミノカミ)という。
また、大山津見神の娘である神太市比売(カムオオイチヒメ)を娶って、二柱の神を儲けた。
八島土奴美神が、大山津見神の娘である木花知流比売(コノハナチルヒメ)を娶って儲けた子は、布波能母遅久奴須奴神といい、この神の子が深渕之水夜礼花神といい、この神の子が淤美豆奴神といい、この神の子が天之冬衣神(アメノフユキヌノカミ)といい、この神が刺国若比売(サシクニワカヒメ)を娶って生まれた子が大国主神(オオクニヌシノカミ)である。
大国主神は、またの名を大穴牟遅神(オオアナムシヂノカミ)といい、またの名を芦原色許男神(アシハラシコオノカミ)といい、またの名を八千矛神(ヤチホコノカミ)といい、またの名を宇都志国玉神(ウツシクニタマノカミ)といい、合わせて五つの名前を持っている。
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稲羽の兎
さて、この大国主神にはたくさんの兄弟の神々がいた。けれども、兄弟の神々たちは皆、国を治めることを大国主神に委ねた。
その理由というのは、次のような出来事があったからである。
その兄弟の神々が、それぞれ稲羽の八上比売(ヤカミヒメ)と結婚したいと思う心を持っていて、一緒に稲羽に行った時、大国主神に袋を背負わせて、従者の扱いのようにして連れて行った。
そして、気多の岬に着いた時に、赤裸の兎が倒れていた。
それを見た兄弟の神々はその兎に、
「お前は、この海水を浴び、風が吹くのに当たって、高い山の頂に伏せっておれ」
と教えた。
その兎は、兄弟の神々の教えに従って伏せっていた。
すると、その海水が乾いていくにしたがって、身体の皮が風に吹かれて裂けていった。
兎は、痛みに苦しみ泣き伏していると、一番最後にやってきた大国主神がその様子を見て、
「どうしてお前は泣き伏しているのか」
と尋ねた。
兎は答えて申し上げた。
「私は、隠岐島に居ましたが、ここへ渡ろうと思いましたが、渡る方法がありませんでした。そこで、海のわに(鮫のことらしい)をだまして、『私とお前と比較して、一族の多い少ないを数えたいと思う。この島から気多の岬まで、全員が並んで伏せよ。そこで私がその上を踏んで、走りながら声に出して数えながら渡ろう。そうすれば、私の一族とどちらが多いか分かるだろう』と言いました。
私がそう言いますと、わにたちはだまされて並んで伏したので、私はその上を踏んで声を出して数えながら渡ってきて、今まさに地面に降りようとするときに、『お前たちは、私にだまされたのだ』と私が言うと、一番端に伏せていたわにが私を捕えて、私の着物をすべて剥いでしまったのです。
このため、泣いて困っていたところ、先に行った大勢の神々が、『海水を浴びて風に当たって伏せていよ』と教えてくれました。それで、教えられた通りにしたところ、私の身体は、ことごとく傷ついてしまったのです」
とのことであった。
それを聞いた大国主神は、
「今すぐにこの河口に行き、真水でお前の身体を洗って、急いで河口の蒲の穂を取って敷き詰めて、その上に横たわって転がれば、お前の身体はきっともとの肌のように治るだろう」
と、兎に教えました。
早速兎が教えられた通りにすると、その身体はもとの通りになった。
これが、稲羽の白兎なのである。今は、兎神という。
そして、その兎は大国主神に、
「先に行った大勢の神々は、きっと八上比売を手に入れることは出来ないでしょう。従者のように大きな袋を背負っていても、あなた様が手に入れるでしょう」
と申し上げたのである。
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