第三章 ( 十八 )
お部屋に入られた法親王は、いつもより頼りなげで、いつものように末々までもの愛情を約束する様子も少しなげやりのように見えました。
「形は世を変えるとともに変わるとしても、お互いに逢うことさえ絶えなければそれでよいと思う。どれほどすばらしい上品上生の台(ジョウボンジョウショウのウテナ・仏教における極楽往生の最上位)であっても、そなたと逢えないのであれば辛いだろうから、たとえどんな藁屋の床であっても、そなたと一緒に居られさえすればよいと願っている」
などと、夜もすがらまどろみもせず、語り続けられるのでした。
夜がすっかり明けてしまい、いざお帰りになろうとされると、その方向は垣根続きでこの家の主人が住んでいる所に当たり、人目が多く、世間を忍ぶ姿がさらされてしまうことになり、この日はそのままお留まりになることになりました。
空恐ろしいことではありますが、わけを知っている稚児一人の他はこのことを知らないはずですが、この家の主である姫さまの乳母の家族たちが、まったくご存知ないとも思われず、どのような噂をされているのかと姫さまはお気にされていましたが、法親王がほとんど無頓着なご様子なのは、いったいどういうことなのでしょうか。
この日は、姫さまはご養生を兼ねてゆったりとお過ごしになられました。
しかし、法親王のお心は、激しい怨念と戦っておられたのでしょうか。
「あの出雲路での有明の夜の辛い別れから、そなたが急に雲隠れしてしまったと聞いたが、愚痴を言う術もなく、五部の大乗経を自分の手で書き写したが、自然のうちに一巻に一字ずつそなたの筆跡をまねて書き加えたのは、必ず次の世界で今一度そなたと契りを結ぼうとの大願あってのことだった。ひどく情けない心だと思うだろう。
この経の書写は終わったが、まだ供養を果たしていないのは、この次そなたと同じ世界に生まれた時に供養をしようと思うからなのだ。竜宮の宝蔵にお預けしておけば(仏教説話からの引用か)、二百余巻の経の供養を、きっとこの次生まれてくる時まで延期することが出来るのだ。
だから、私が死んだ後、荼毘に付す時には、この経を薪に積み添えてもらおうと思うのだ」
などと申されるのです。
さすがに姫さまも、あまりにも激しい妄念に身の竦む思いのようでございましたが、
「ただ一つの御仏の蓮台のもとに往生できることをお祈りください」
と申し上げられました。
しかし、法親王の御心には届かない言葉のようでございました。
「いや、私はなおそなたとの契りが名残惜しいので、今一度人間として生を受けたいと心に決めて、死んでしまえば空しく空に立ちのぼる煙となるのが世のならいだが、そうなっても、そなたの近くからは去らないつもりだ」
などと、真剣に話されていましたが、突然、たった今目覚めたかのような表情になり、汗もぐっしょりとかいているのです。
「どうなさったのですか」
と、姫さまも驚いて声をかけられますと、
「私の体が鴛鴦(オシ・おしどり)という鳥になって、そなたの体の中へ入ったと思ったが、このようにひどく汗をかいているのは、あまりに思いつめたため、私の魂がそなたの袖の中に留まっていたのだろうか」
などと申され、
「昨日も帰らなかったのに、今日もこのままというわけにはゆくまい」
と仰って、お出になられました。
月が沈もうとする方角の山の端には横雲がたなびいて白んでゆき、東の山は、ほのぼのと明るくなって来る頃でございました。
* * *
お部屋に入られた法親王は、いつもより頼りなげで、いつものように末々までもの愛情を約束する様子も少しなげやりのように見えました。
「形は世を変えるとともに変わるとしても、お互いに逢うことさえ絶えなければそれでよいと思う。どれほどすばらしい上品上生の台(ジョウボンジョウショウのウテナ・仏教における極楽往生の最上位)であっても、そなたと逢えないのであれば辛いだろうから、たとえどんな藁屋の床であっても、そなたと一緒に居られさえすればよいと願っている」
などと、夜もすがらまどろみもせず、語り続けられるのでした。
夜がすっかり明けてしまい、いざお帰りになろうとされると、その方向は垣根続きでこの家の主人が住んでいる所に当たり、人目が多く、世間を忍ぶ姿がさらされてしまうことになり、この日はそのままお留まりになることになりました。
空恐ろしいことではありますが、わけを知っている稚児一人の他はこのことを知らないはずですが、この家の主である姫さまの乳母の家族たちが、まったくご存知ないとも思われず、どのような噂をされているのかと姫さまはお気にされていましたが、法親王がほとんど無頓着なご様子なのは、いったいどういうことなのでしょうか。
この日は、姫さまはご養生を兼ねてゆったりとお過ごしになられました。
しかし、法親王のお心は、激しい怨念と戦っておられたのでしょうか。
「あの出雲路での有明の夜の辛い別れから、そなたが急に雲隠れしてしまったと聞いたが、愚痴を言う術もなく、五部の大乗経を自分の手で書き写したが、自然のうちに一巻に一字ずつそなたの筆跡をまねて書き加えたのは、必ず次の世界で今一度そなたと契りを結ぼうとの大願あってのことだった。ひどく情けない心だと思うだろう。
この経の書写は終わったが、まだ供養を果たしていないのは、この次そなたと同じ世界に生まれた時に供養をしようと思うからなのだ。竜宮の宝蔵にお預けしておけば(仏教説話からの引用か)、二百余巻の経の供養を、きっとこの次生まれてくる時まで延期することが出来るのだ。
だから、私が死んだ後、荼毘に付す時には、この経を薪に積み添えてもらおうと思うのだ」
などと申されるのです。
さすがに姫さまも、あまりにも激しい妄念に身の竦む思いのようでございましたが、
「ただ一つの御仏の蓮台のもとに往生できることをお祈りください」
と申し上げられました。
しかし、法親王の御心には届かない言葉のようでございました。
「いや、私はなおそなたとの契りが名残惜しいので、今一度人間として生を受けたいと心に決めて、死んでしまえば空しく空に立ちのぼる煙となるのが世のならいだが、そうなっても、そなたの近くからは去らないつもりだ」
などと、真剣に話されていましたが、突然、たった今目覚めたかのような表情になり、汗もぐっしょりとかいているのです。
「どうなさったのですか」
と、姫さまも驚いて声をかけられますと、
「私の体が鴛鴦(オシ・おしどり)という鳥になって、そなたの体の中へ入ったと思ったが、このようにひどく汗をかいているのは、あまりに思いつめたため、私の魂がそなたの袖の中に留まっていたのだろうか」
などと申され、
「昨日も帰らなかったのに、今日もこのままというわけにはゆくまい」
と仰って、お出になられました。
月が沈もうとする方角の山の端には横雲がたなびいて白んでゆき、東の山は、ほのぼのと明るくなって来る頃でございました。
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