雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

三河の入道伝 (2) ・ 今昔物語 ( 19 - 2 ) 

2023-01-23 14:23:58 | 今昔物語拾い読み ・ その5

       『 三河の入道伝 (2) ・ 今昔物語 ( 19 - 2 ) 』

      (   ( 1 ) より続く )

その後、三河の入道寂照(大江定基)は、「震旦(シンダン・中国)に渡り、尊い聖跡(ショウジャク・神聖な遺跡)を巡拝しよう」と思う心が生じて、すぐに渡る準備をしていた。
ところで、寂照の子に、[ 欠字。僧名が入るが未詳 ]という僧が比叡山にいた。寂照は震旦に渡るにあたって別れの挨拶をするために比叡山に登り、根本中堂に参り、日枝神社に詣でて帰るついでに、その子の僧坊に行き、戸を叩くと、戸を開けて僧坊の縁側に出てきた。
七月の中旬頃のことなので、月がたいへん明るく、寂照は縁側で子の僧に向かい合って、「私は尊い聖跡などを礼拝したいという願いを持っていたが、この度震旦に出かけようと思っている。帰ってくることは難しいことなので、顔を見るのも今宵が最後だ。お前は、必ずこの山に住んで修行し、学問を怠ることなく積むのだ」と言った。
寂照が涙ながらに語るのを、子の僧も涙を流すこと限りなかった。
このように、子供に別れを告げ、京に帰ったが、子の僧は大嶽(オオタケ・比叡山の主峰)まで見送った。月はたいへん明るく、露は辺り一帯に白く置かれていた。虫の音はさまざまに鳴き乱れ哀れを誘う。すべてがもの悲しく身にしみて胸に迫る。
下の方まで送ったが、寂照は「すぐ帰りなさい」と言うと、霧の中に姿を隠していったので、そこより子の僧は泣く泣く帰っていった。

その後、寂照はすぐに震旦に渡り、かねてからの念願通りにあちらこちらの聖跡を巡拝した。
皇帝(宋
の帝、真宗)も寂照が来るのを待ち受けていて、深く敬い帰依された。
そして、ある時のこと、皇帝は国内の優れた聖人たちを召し集めて、仏堂を飾り、僧への供物を整え、心を込めて供養する法会を催された。
その折、皇帝は、「今日の斉会(サイエ・僧に食事を供養する法会。)に給仕の者は入ってはならない。ただ、前においてある鉢をそれぞれが飛ばして(飛鉢=托鉢の鉢を通力により飛行させる術。)、食事を受け取るが良い」と仰せられた。その本心は、日本の寂照を試すためであった。

そこで、仰せに従って、最上位の和上(僧)から始めて、順々にそれぞれの鉢を飛ばして食事を受け取っていった。寂照は、出家年次からすれば浅かったので、一番下座に着いていたが、寂照の順番になると、自分で鉢を持って立ち上がろうとすると、それを見た人が「どうして鉢を持つのか。鉢を飛ばして受け取りなさい」と言った。
すると、寂照は鉢を捧げ持って、「鉢を飛ばせることは、特別の行法であり、その行法を修得して始めて飛ばせることです。ところが、この寂照は未だその法を習っておりません。日本の国では、昔はその法を習得した人がいたと伝え聞いておりますが、この末世ではその行法を行う人はおりません。もう絶えてしまったからです。されば、どうして私が鉢を飛ばすことが出来ましょうか」と言って座ったままでいると、「日本の聖人の鉢、遅いぞ遅いぞ」と責め立てるので、寂照は困り果てて、心を込めて「故国の三宝よ、どうぞお救いください。もし私が鉢を飛ばせなければ、故国のために大変な恥をもたらします」と念じると、寂照の前にある鉢は、にわかに独楽(コマ)のようにくるくると回転して、前の僧たちの鉢よりも早く飛んでいき食事を受け取って戻ってきた。
これを見て、皇帝を始め大臣や百官たちは皆礼拝し尊んだ。それから後、皇帝は寂照に帰依すること限りなかった。

また、寂照が五臺山(ゴダイセン・中国にある霊山の一つ。)に詣でて、種々の功徳を修したが、その一つとして、湯を沸かして僧たちに入浴させることになった。その折、まず僧たちが供膳の席に居並んでいると、見るからに汚げな女が、子供を抱き一匹の犬をつれて、寂照の前にやって来た。その女は、できものだらけで何ともひどく汚い。
これを見た人たちは汚がって、大声を上げて追い払おうとした。すると、寂照はそれを制して、女に食べ物を与えて帰らせようとした。ところが、この女は、「わたしの体にはできものができていて堪え難いほど辛く苦しいので、湯浴みさせていただこうと思って参りました。ほんの少しのお湯で、私に入浴させてください」と言った。
人々はこれを聞くと、いっそう罵って追い払う。女は追われて後ろの方に逃げ去り、ひそかに湯屋に入って、子を抱きながら犬を連れて、じゃぶじゃぶと音を立てて湯を浴びた。人々はその音を聞くと、「たたき出せ」と言いながら湯屋に入ってみると、かき消すように姿が消えていた。人々は驚き怪しんで、外に出て見回してみると、軒の辺りから上に向かって紫の雲が光を放って昇っていっていた。
人々はこれを見て、「さては、文殊菩薩が姿を変えて、女となっておいでになったのだ」と言って、泣き悲しんで礼拝したが、もはやどうすることも出来ない。

これらの話は、寂照の弟子の念救(ネング・僧の人とも日本人で土佐の人とも。)という僧が、寂照と共に中国に渡ったが、帰朝した後に語り伝えたものである。
中国の皇帝は、寂照に帰依して、大師号を与えられて円通といった。
これも機縁によって出家して、このように他国において尊ばれることになったのである、
と語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆      

 

 


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