雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

ドラマがいっぱい ・ 小さな小さな物語 ( 1793 )

2024-08-04 08:06:49 | 小さな小さな物語 第三十部

パリ五輪、熱戦が続いています。
序盤戦は、わが国はメダルラッシュと表現したいほどの好成績で、日ごとにテレビを見る時間が長くなっている状況です。
多くの人が評価し、テレビでも再三紹介されていますが、セリーヌ・ディオンさんの愛の賛歌は、実にすばらしかったと思います。
開会式は私には少々長すぎて、うとうとする時間もあり、何だか義務感のような気持ちで最後まで見ようとしていましたが、あの最後の絶唱は、感動などといった言葉では表現できないほど衝撃的でした。
開会式全体をプロデュースした人は、あの最後の最後のクライマックスに大きな期待を抱いていたのでしょうが、おそらく、その期待を何倍も超えていたのではないでしょうか。

競技が始まりますと、あらゆる場面にドラマがちりばめられている感があります。競技そのものや、勝敗にまつわる悲喜こもごももさることながら、そこに至るまでのエピソードなどは、まさにドラマそのものといえます。
同時に、「ドラマであれば評価されないような感動」も数多く見られます。
例えば、柔道の阿部詩さんが、二回戦で敗退した後の号泣シーンは、私もライブで見ていましたが、実に辛く胸に迫りました。この号泣に対しては、一部から批判もあるようですが、演技で出来るものではなく、関係者ばかりでなく見ている人の多くに辛い気持ちを共有させ感激を与えたことでしょう。ただ、ドラマとして、あの場面に号泣シーンを取入れても評価されることはないでしょう。
もう一つ挙げさせていただきますと、男子体操の団体と個人の金メダル獲得です。どちらも、相手の大きなミスに恵まれたものでしょうが、相手をその状態に追込むだけの成績があったればこそなのですが、もし、この状況をドラマにしても感動は得られないでしょう。
やはり、スポーツとドラマは別物のようです。

わが国の選手に限ったことではありませんが、この晴れの大会に出場するまでの紆余曲折は、それぞれにドラマチックな経過を経ています。
そして、本番での最高演技を目指して、さまざまなチャートが描かれているのでしょうが、果たして何人の人が目的に到達することが出来るのでしょうか。その目的が高ければ高いほど、海路の波は高く、無念の涙を流す人も少なくないことでしょう。
近代オリンピックの提唱者として知られるクーベルタン氏は、「オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」という言葉を残していますが、改めて心に刻みたいものです。

ただ、この言葉は、クーベルタン氏のオリジナルなものではないようです。
1908年のロンドン大会は、米英の関係がとても悪い状態での開催だったようです。そうした背景もあって、米国の聖公会第十五代首座主教のエセバート・タルボット氏が米国の選手団に語った訓話から引用したもののようです。
また、その大会の時に、クーベルタン氏は次のような言葉を残しています。
「自己を知る、自己を律する、自己に打ち克つ、これこそがアスリートの義務であり、最も大切なことである」と。
一流のアスリートへの道は、身体を鍛え、技を磨くだけでは及ばないようです。
アスリートにほど遠い身としましては、せめて、「自己を知る」に挑戦するとしますか。


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