二日続けて「森林環境税」の勉強会に参加をした。一昨日は県議会での「講演会」。昨日は「森林・木材・環境アカデミー」主催による「シンポジュウム」である。
この「シンポジュウム」がドコで開催されたか?と申し上げますと、アノ高名な「東京大学」の「弥生講堂」なるところであります。
モチロン、「弥生講堂」は生まれて初めて行くところですが、東大そのものは、昔、学生時代に根岸に下宿していたこともあり、チョクチョク、如何にも東大生のような顔をして構内を徘徊していたので、よく知っている(早稲田にも下宿していたこともあり、自分の大学以外ばかりで、下宿しているのはコンプレックスの表れか?)・・・その東大弥生講堂に向かうべく、新幹線に飛び乗ったのであります。
新幹線に乗ったときの楽しみは往復の時間に誰からも邪魔をされずにユックリと本が読めることである。昨日は議会図書館から借り出したばかり(お金がないので本はモッパラ借りることにしている)の「佐藤優」の「日米開戦の真実」を持参しての旅である。
10ページも読まない間にいつものように睡魔に襲われ、目が覚めたときは新横浜を過ぎていた。自分の意志の弱さを後悔しながら、眠気を覚ましつつ、大慌てで昼食の「サンドイッチ」をホウバッた。
教えられたとおり、東京駅から山手線で駒込まで、そこで地下鉄に乗り換え、「東大前」で降りると「弥生講堂」まで徒歩1分。
「安田講堂」のような重々しいところを予想していたが、そんな予想とは大違い。「弥生講堂」はこじんまりしたモダンな建物で、収容人員はおおよそ300人くらいか?集成材を骨組みとした明るい近代建築である。
グルッと見渡すと、約7分の入り。自治体関係者が多いような感じである。後方には本県のA環境部長の姿も見える。
講演に先立って「林野庁長官」が挨拶。「国産材の自給率の向上」と相まって「市場」も底を打ち、徐々に国産材へとシフトしてきている・・・と述べられたが、そんなに上向きになっているとはドウシテモ実感できない。
つづいて東大法学部教授である「中里実」先生による「森林環境の保全と地方税」と題する講演。これが実に面白かった。
「地方税」の話も興味深いモノであったが、「環境」と言う「言葉」の胡散臭さ、イカガワシサをものの見事に指摘したその鮮やかさはある意味では胸のスク思いであった。
いわゆる「環境」に携わっている人たちや「環境」運動をしている人たちが、往々にして「環境」と言う言葉の意味を自分自身で「定義」をしてしまい、その自分で定義した「環境」を守ること以外の事を一切受け付けない・・・排除をしてしまう「環境ファシズム」に陥ってしまっているキライがある。むしろ、人間は誰でも、環境を少しづつ汚しながら生活していると言う自覚・・・その慎ましやかさ、謙虚さが必要である。
しかも、自治体が独自課税をしようとするとき、イロイロと反対論が吹き出てくるが、「環境」と言う言葉を使うことによって、反対できなくなってしまう。言わば、「葵の御紋」の付いた「印籠」なのである。
この「環境」なる言葉のいかがわしさを鋭く指摘したのである。
胡散臭い、いかがわしい「環境」と言う言葉が冠詞として付いているA部長はどんな気持ちでこの話を聴いていただろうか?
「森林環境税」・・・まだ、まだ議論の余地が???
この「シンポジュウム」がドコで開催されたか?と申し上げますと、アノ高名な「東京大学」の「弥生講堂」なるところであります。
モチロン、「弥生講堂」は生まれて初めて行くところですが、東大そのものは、昔、学生時代に根岸に下宿していたこともあり、チョクチョク、如何にも東大生のような顔をして構内を徘徊していたので、よく知っている(早稲田にも下宿していたこともあり、自分の大学以外ばかりで、下宿しているのはコンプレックスの表れか?)・・・その東大弥生講堂に向かうべく、新幹線に飛び乗ったのであります。
新幹線に乗ったときの楽しみは往復の時間に誰からも邪魔をされずにユックリと本が読めることである。昨日は議会図書館から借り出したばかり(お金がないので本はモッパラ借りることにしている)の「佐藤優」の「日米開戦の真実」を持参しての旅である。
10ページも読まない間にいつものように睡魔に襲われ、目が覚めたときは新横浜を過ぎていた。自分の意志の弱さを後悔しながら、眠気を覚ましつつ、大慌てで昼食の「サンドイッチ」をホウバッた。
教えられたとおり、東京駅から山手線で駒込まで、そこで地下鉄に乗り換え、「東大前」で降りると「弥生講堂」まで徒歩1分。
「安田講堂」のような重々しいところを予想していたが、そんな予想とは大違い。「弥生講堂」はこじんまりしたモダンな建物で、収容人員はおおよそ300人くらいか?集成材を骨組みとした明るい近代建築である。
グルッと見渡すと、約7分の入り。自治体関係者が多いような感じである。後方には本県のA環境部長の姿も見える。
講演に先立って「林野庁長官」が挨拶。「国産材の自給率の向上」と相まって「市場」も底を打ち、徐々に国産材へとシフトしてきている・・・と述べられたが、そんなに上向きになっているとはドウシテモ実感できない。
つづいて東大法学部教授である「中里実」先生による「森林環境の保全と地方税」と題する講演。これが実に面白かった。
「地方税」の話も興味深いモノであったが、「環境」と言う「言葉」の胡散臭さ、イカガワシサをものの見事に指摘したその鮮やかさはある意味では胸のスク思いであった。
いわゆる「環境」に携わっている人たちや「環境」運動をしている人たちが、往々にして「環境」と言う言葉の意味を自分自身で「定義」をしてしまい、その自分で定義した「環境」を守ること以外の事を一切受け付けない・・・排除をしてしまう「環境ファシズム」に陥ってしまっているキライがある。むしろ、人間は誰でも、環境を少しづつ汚しながら生活していると言う自覚・・・その慎ましやかさ、謙虚さが必要である。
しかも、自治体が独自課税をしようとするとき、イロイロと反対論が吹き出てくるが、「環境」と言う言葉を使うことによって、反対できなくなってしまう。言わば、「葵の御紋」の付いた「印籠」なのである。
この「環境」なる言葉のいかがわしさを鋭く指摘したのである。
胡散臭い、いかがわしい「環境」と言う言葉が冠詞として付いているA部長はどんな気持ちでこの話を聴いていただろうか?
「森林環境税」・・・まだ、まだ議論の余地が???
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます