先日、叔母が亡くなり金沢までお葬式に行ってきました。
まったく突然の事という訳ではありませんでした。
亡くなる2週間くらい前、母方のはとこの女性から連絡があり、叔母のお見舞いに行った方が良いと言われていたのです。
それで叔母の一人娘である従妹に連絡すると「お見舞いには来ないでください」とはっきりと言われてしまいました。
はとこが私に連絡したのは悪意のないお節介だったのですが、従妹にしてみれば自分の母親が入院していて最後が近い日々に、遠くから私に来られるのは迷惑だったようです。
また、従妹ははとこが私に見舞いに行くように言ったことも知らなかったようです。
私としてはお見舞いに行っても、従妹に面倒を掛けるつもりはなく、病院にだけ行って、顔を見て帰るつもりでした。
そんなことがあっての死の知らせでした。
兄は葬儀には行かず、私だけ行きました。(兄は元気ですが遠出は無理だということで)
私もそれなりに準備をしていれば良かったのですが、そんなに早く亡くなるとは思わず、慌ててしまいました。
仕事を辞めて以来、人のお葬式に参列すること自体、まったく無くなってしまい、6年近く前の自分の母のお葬式以来のお葬式参列になりました。
それはそれで親しい人の死がなく、良い事だったのだと思います。
我が家は大半の親戚が暮らす金沢から離れた関西に暮らしていますので、関わりが浅ければお葬式に呼ばれることもないのです。
いつあるか分からないお葬式に備え、私も喪服やら黒い靴は持っていました。
ところが、あまりにも年月が経っていて、出した黒靴の中敷きが劣化してカスのようなものが・・・。
それを落とそうとして靴の先を両手で持ってパンパンと叩くとヒール部分がバキッと音立てて割れ落ちてしまいました。
ひぇー、何を履いて行こう😰
お葬式の前夜の話です。
仕方なく、紺色の靴を履いて行くことになりました。(マナー違反です!)
靴だけではなく、お葬式用の袋物のサブバッグも問題ありでした。
何か黒いゴミが落ちていると思ったら、サブバッグの持ち手部分の黒くコーティングしてあるものが剥げてポロポロと落ちてきているのでした💦
いっそ全部剥がしてしまおうとも思ったのですが、実際にやってみるときれいに剥がれない。
諦めました。
金沢まで行くので絶対にサブバッグは必要です。
式場には持ち込まず、控室に置いておくことにして、模様入りの、フォーマル用でない黒地の手提げを持って行くことにしました。(これもマナー違反!)
6年近く、出して確認することがなかったのです。焦りまくりでした。
さらに問題が・・・。お札が無いのでした。
私は3万円包むつもりでしたが一万円札が1枚しかありませんでした。
昨今のキャッシュレス化で現金の持ち合わせは少なく、持っていても便利な5千円札と千円札に崩していました。
お札は当日、ATMで降ろして確保することにしました。
お葬式の控え室でも少し話題になったのですが、香典袋をいつも家に用意しておくのは何か悪いような気がするという人がいました。
でも香典袋も、バタバタで用意するのは、幾らコンビニですぐ手に入るといっても困ると私は思います。
実はこの春に、持っていた夏用の喪服が何十年も前に買ったものだったので新しく夏用の喪服を購入したのですが、その時も喪服を買うということに気持ちの上で何か引っ掛かるものを感じたのでした。
といっても、喪服がすぐに着られないと困るのです。
そんなこんなで、マナー違反の私は内心冷や汗かきながら朝早くに大阪駅から特急サンダーバードに乗りました。
金沢でのお葬式に参列したのは祖母のお葬式以来で何十年も前のことです。
どんなお葬式になるのか、親戚の間でマナー違反が取りざたされるのか、色々と考えてしまいました。
でも会場についてみると家族葬で、小さい子も含め、ほんの近い身内15,6名ほどのお葬式でした。
亡くなった叔母は母の妹で、姉妹は主に母の側の責任で若い頃は親しくはなかったようです。
でも晩年には仲良くなったようです。
母が80代に入った頃、母が叔母と電話で長話して、受話器を置いてから「あの子(叔母)はやっと私のことをお姉さんと呼んでくれたわ」と言ったことがあります。
私は内心『今まで一度もお姉さんと呼ばれたことがなかったのか』と妙に納得したものです。
母は娘の私も含め、身近な年下の親族の女性を敵対視、というかライバル視するところがあったのです。
ライバル視された方は、理由もなく攻撃されたり貶められたりで、当然のことながら軋轢があったのです。
母の名誉のために書いておくと、そんな母も晩年には穏やかになり、娘の私のことも否定的にではなく認めるようになっていました。
叔母との間も仲の良い姉妹関係になって、よく長電話を楽しんでいました。
親子や兄弟で敵対したまま亡くなる人もたくさんいるので、母が80歳を過ぎて関係を改善したのは、それはそれで大したことだったと思います。
叔母は母とは異なり、穏やかで優しい人でした。
お別れの時、従妹が「お母さん、お母さん」とお棺に泣きすがるので、参列者も皆ウルウル。
後で従妹は、お葬式には義理ではなく、本当に泣いてくれる人を呼びたかったので家族葬にして良かったと言っていましたが、参列者がウルウルしていたのは従妹の涙にもらい泣きした部分が大きかったのでした。
従妹の人選のせいか、お葬式は終始和やかな雰囲気で、思い出話などして、本当に良いお葬式でした。
金沢のような大きな地方都市で、家族葬がどれほど一般的なのかは分かりません。
関西では家族葬が一般的で、その上で香典や供花も辞退するのが通例になってきています。
ただ、金沢でも、お葬式の控室で他の方と色々とお話していて、世代交代が行われて、葬儀や墓に対する考え方も変わってきたことは分かりました。
とりわけ驚いたのは、私が両親のお墓の話をした時の反応でした。
私達兄弟は結婚しなかったのでお墓を立てても守る人はいません。
私の父は晩年、それなりに考えて父が若い頃に出た実家の墓に入るよう手配していました。
そのことは親戚の人達も知っていました。
母の方は自分も山の中にあるその墓に入ることは嫌がって墓には入らないことにしたのでした。
それでお骨はどうしたのか、控室でも興味津々で聞かれました。
母の遺骨は母の遺言に従って京都の東本願寺に納骨したのでした。
そう話した時、その場がオオッと小さくどよめきました。
そして口々に「お墓はいらない」とか「私は散骨でいい」とか言い出しました。
母が夫の実家の墓に入らなかったことも「気持ちはよく分かる」と。
その時が一番、人の意識を垣間見た思いがしました。
お葬式は滞りなく終わり、私は日帰りで帰途につきました。
ところが特急サンダーバードは湖西線付近で強風の為に近江高島駅で1時間以上も停車。
その後も強風の為、時速25キロのノロノロ運転。
夜の9時前には帰れる筈が、家に着いたのは11時過ぎになっていました。
旅路は滞りなく、とはいかなかったのでした。
今回のお葬式では自分の終活も含め、色々と考えることがありました。
12月に入り、刺繍を施した色紙を掛け軸にかけてみました。
刺繍は母が刺したものです。
母が作った刺繍の色紙が何枚かあるので季節ごとに替えて飾ることにします。
ボランティアでは恒例の研修会でリース作り。
私が作ったものです。こちらは玄関に飾りました。
いよいよ年末です。
予定はギッシリ。頑張らねば
フォーマルの靴とサブバッグも買っておきます。
まったく突然の事という訳ではありませんでした。
亡くなる2週間くらい前、母方のはとこの女性から連絡があり、叔母のお見舞いに行った方が良いと言われていたのです。
それで叔母の一人娘である従妹に連絡すると「お見舞いには来ないでください」とはっきりと言われてしまいました。
はとこが私に連絡したのは悪意のないお節介だったのですが、従妹にしてみれば自分の母親が入院していて最後が近い日々に、遠くから私に来られるのは迷惑だったようです。
また、従妹ははとこが私に見舞いに行くように言ったことも知らなかったようです。
私としてはお見舞いに行っても、従妹に面倒を掛けるつもりはなく、病院にだけ行って、顔を見て帰るつもりでした。
そんなことがあっての死の知らせでした。
兄は葬儀には行かず、私だけ行きました。(兄は元気ですが遠出は無理だということで)
私もそれなりに準備をしていれば良かったのですが、そんなに早く亡くなるとは思わず、慌ててしまいました。
仕事を辞めて以来、人のお葬式に参列すること自体、まったく無くなってしまい、6年近く前の自分の母のお葬式以来のお葬式参列になりました。
それはそれで親しい人の死がなく、良い事だったのだと思います。
我が家は大半の親戚が暮らす金沢から離れた関西に暮らしていますので、関わりが浅ければお葬式に呼ばれることもないのです。
いつあるか分からないお葬式に備え、私も喪服やら黒い靴は持っていました。
ところが、あまりにも年月が経っていて、出した黒靴の中敷きが劣化してカスのようなものが・・・。
それを落とそうとして靴の先を両手で持ってパンパンと叩くとヒール部分がバキッと音立てて割れ落ちてしまいました。
ひぇー、何を履いて行こう😰
お葬式の前夜の話です。
仕方なく、紺色の靴を履いて行くことになりました。(マナー違反です!)
靴だけではなく、お葬式用の袋物のサブバッグも問題ありでした。
何か黒いゴミが落ちていると思ったら、サブバッグの持ち手部分の黒くコーティングしてあるものが剥げてポロポロと落ちてきているのでした💦
いっそ全部剥がしてしまおうとも思ったのですが、実際にやってみるときれいに剥がれない。
諦めました。
金沢まで行くので絶対にサブバッグは必要です。
式場には持ち込まず、控室に置いておくことにして、模様入りの、フォーマル用でない黒地の手提げを持って行くことにしました。(これもマナー違反!)
6年近く、出して確認することがなかったのです。焦りまくりでした。
さらに問題が・・・。お札が無いのでした。
私は3万円包むつもりでしたが一万円札が1枚しかありませんでした。
昨今のキャッシュレス化で現金の持ち合わせは少なく、持っていても便利な5千円札と千円札に崩していました。
お札は当日、ATMで降ろして確保することにしました。
お葬式の控え室でも少し話題になったのですが、香典袋をいつも家に用意しておくのは何か悪いような気がするという人がいました。
でも香典袋も、バタバタで用意するのは、幾らコンビニですぐ手に入るといっても困ると私は思います。
実はこの春に、持っていた夏用の喪服が何十年も前に買ったものだったので新しく夏用の喪服を購入したのですが、その時も喪服を買うということに気持ちの上で何か引っ掛かるものを感じたのでした。
といっても、喪服がすぐに着られないと困るのです。
そんなこんなで、マナー違反の私は内心冷や汗かきながら朝早くに大阪駅から特急サンダーバードに乗りました。
金沢でのお葬式に参列したのは祖母のお葬式以来で何十年も前のことです。
どんなお葬式になるのか、親戚の間でマナー違反が取りざたされるのか、色々と考えてしまいました。
でも会場についてみると家族葬で、小さい子も含め、ほんの近い身内15,6名ほどのお葬式でした。
亡くなった叔母は母の妹で、姉妹は主に母の側の責任で若い頃は親しくはなかったようです。
でも晩年には仲良くなったようです。
母が80代に入った頃、母が叔母と電話で長話して、受話器を置いてから「あの子(叔母)はやっと私のことをお姉さんと呼んでくれたわ」と言ったことがあります。
私は内心『今まで一度もお姉さんと呼ばれたことがなかったのか』と妙に納得したものです。
母は娘の私も含め、身近な年下の親族の女性を敵対視、というかライバル視するところがあったのです。
ライバル視された方は、理由もなく攻撃されたり貶められたりで、当然のことながら軋轢があったのです。
母の名誉のために書いておくと、そんな母も晩年には穏やかになり、娘の私のことも否定的にではなく認めるようになっていました。
叔母との間も仲の良い姉妹関係になって、よく長電話を楽しんでいました。
親子や兄弟で敵対したまま亡くなる人もたくさんいるので、母が80歳を過ぎて関係を改善したのは、それはそれで大したことだったと思います。
叔母は母とは異なり、穏やかで優しい人でした。
お別れの時、従妹が「お母さん、お母さん」とお棺に泣きすがるので、参列者も皆ウルウル。
後で従妹は、お葬式には義理ではなく、本当に泣いてくれる人を呼びたかったので家族葬にして良かったと言っていましたが、参列者がウルウルしていたのは従妹の涙にもらい泣きした部分が大きかったのでした。
従妹の人選のせいか、お葬式は終始和やかな雰囲気で、思い出話などして、本当に良いお葬式でした。
金沢のような大きな地方都市で、家族葬がどれほど一般的なのかは分かりません。
関西では家族葬が一般的で、その上で香典や供花も辞退するのが通例になってきています。
ただ、金沢でも、お葬式の控室で他の方と色々とお話していて、世代交代が行われて、葬儀や墓に対する考え方も変わってきたことは分かりました。
とりわけ驚いたのは、私が両親のお墓の話をした時の反応でした。
私達兄弟は結婚しなかったのでお墓を立てても守る人はいません。
私の父は晩年、それなりに考えて父が若い頃に出た実家の墓に入るよう手配していました。
そのことは親戚の人達も知っていました。
母の方は自分も山の中にあるその墓に入ることは嫌がって墓には入らないことにしたのでした。
それでお骨はどうしたのか、控室でも興味津々で聞かれました。
母の遺骨は母の遺言に従って京都の東本願寺に納骨したのでした。
そう話した時、その場がオオッと小さくどよめきました。
そして口々に「お墓はいらない」とか「私は散骨でいい」とか言い出しました。
母が夫の実家の墓に入らなかったことも「気持ちはよく分かる」と。
その時が一番、人の意識を垣間見た思いがしました。
お葬式は滞りなく終わり、私は日帰りで帰途につきました。
ところが特急サンダーバードは湖西線付近で強風の為に近江高島駅で1時間以上も停車。
その後も強風の為、時速25キロのノロノロ運転。
夜の9時前には帰れる筈が、家に着いたのは11時過ぎになっていました。
旅路は滞りなく、とはいかなかったのでした。
今回のお葬式では自分の終活も含め、色々と考えることがありました。
12月に入り、刺繍を施した色紙を掛け軸にかけてみました。
刺繍は母が刺したものです。
母が作った刺繍の色紙が何枚かあるので季節ごとに替えて飾ることにします。
ボランティアでは恒例の研修会でリース作り。
私が作ったものです。こちらは玄関に飾りました。
いよいよ年末です。
予定はギッシリ。頑張らねば
フォーマルの靴とサブバッグも買っておきます。
冠婚葬祭は地域のしきたりやその家の考え方が色濃く反映されますね。
参列するほうも、高齢になると参列すること自体も難しくなりますし。
お墓のありかたも変わりつつありますし、
今は旧態依然の考え方との軋轢の時かもしれません。
私も友人の葬儀に駆け付けた時、久しぶりに引っ張り出した黒のパンプスが
歩くとどうもカンカン音がすると思ったら
ヒールの底が外れていました^^;歩くうちに割れて取れたようです。
脱いだらストッキングの指先も真っ黒。
靴も鞄も皮は大丈夫でもそういうところがダメになります。
高級品を大事にストックしておいても意味ないと思いました。
お見舞いを辞退されることも多いです。
私の父も叔母も友人も、辞退でした。
お疲れさまでした。ご冥福をお祈りします。
大阪は すっかり 家族葬、御香典は、遠慮が 主流になりました
あります あります
お葬式で バッグや靴に問題発生
久しぶりに着たら 喪服のウエストが・・・ なんてことも
おかあさまの色紙 素敵です
サンダーバードのこと ニュース速報で 見ました
巻き込まれたんですね
冠婚葬祭、特にお葬式や墓は、今は急激な変化の時期みたいですね。
お葬式を要らないという人もいますが、残された人の気持ちの区切りとして必要なようにも思います。
私など、残す人もいないのでお葬式は要りませんが。
靴はショックでした。
買うにしても時間がないし。
高価なものはいりませんね。
しまっておかず、普段も使う黒の靴という位置づけでしょうか。
今はパンプスを履くこともあまりないのですが。
お見舞い、従妹に来ないでくださいと言われた時は軽くショックだったのですが、お葬式が終わって二人になった時、はとこがお節介という話になりました。(笑)
母の葬儀の時も香典・供花は辞退していたのですが、母の死を知った北海道出身の友人から、後日、当然のように私にお香典を渡された時は驚きました。
大阪流とは違うようでした。
問題発生、実は黒のストッキングも古い物で、破れたり電線がいかないかヒヤヒヤしてました。
何とかもってくれましたが。
普段、黒のストッキングなんてはきませんしね。
常備しておくのもどうも・・・。
サンダーバード、缶詰めになっていた時、朝まで動かなかったらどうしようと思いました。
2時間以上の遅延でしたので特急料金の払い戻しはありました。
喪主の性格にも影響されるかなぁ。
バッグも靴も杞憂でよかったですね。
お母さまの刺繍久々のアップですね。
優しくて可愛い刺繍ですね〜
臨場感の中で一気に読了させて頂きました。
色々な思いが胸中を交錯致しております。記せば長くなりそう
なので、機会を改めさせて頂きます。
福井の私には「金沢」や「サンダーバード」は日常的な言葉なので親近感を持たせて頂きました。
向寒の砌、ご自愛専一にと念じます。
従妹は一人娘でしたので、自分の母親の介護は大変だったでしょうが、お葬式は自分の思い通りにできたのではないでしょうか。
母の刺繍、引き出しに仕舞いっぱなしでしたが飾ってみました。
目に付く場所に飾るのも母が知れば喜ぶかと思い・・・。
私も親戚に会うのは母の葬儀以来でした。
叔母の死で、私の中で一つの世代、一つの時代が終わったと感じました。
そして私もラストスパート。
自分自身の終活を考えねばなりません。
yo-サン様の終活の話などもまた聞かせて下さい。
やさしい表情、ていねいに刺してありますね。
ほっこりしました♪
みどりさんの手作りのリースもすてきですね。
土台から作られたのでしょうか。
アレンジを変えれば季節が変わっても楽しめそうですね。
家には色んな色紙があって、全部断捨離で捨てた方が良いかもと思ったのですが、それもあんまりだし。
色紙が飾れる掛け軸を買って飾ることにしたのでした。
リースの土台、ボランティアの方が山で野生の蔓物を採ってきてくださり、土台だけ簡単に作ってあったのです。
それに色々と巻き付けたり飾ったりしました。
クリスマスまでの飾り物です