私が受講しているシニアの学校の総合文化科でのお出掛けで、京都に行ってきました。
今回の講座は「絵画から読み解く京都の寺社」で、八坂神社(祇園社)と清水寺が取り上げられました。
1回目は座学で先生の話を聞き、2回目は実際に京都を歩きながら先生のお話を伺いました。
先生は昔の絵地図などを多用されて話されるのですが、何を隠そう私は地図が読めない女。
あーだこーだと言われても頭の中の地図と一致しません。
ですから、ここで書くことはテキトーです。
あまり信用しないで下さい。
簡単にいってしまうと、江戸時代の中頃までの京都は鴨川から西側にしか一般の人は住んでいなかったらしいのです。
そして鴨川の河原というのが広大なものだったらしく、今の河原町は鴨川の河原だったみたいです。
八坂神社と清水寺は鴨川の東側にあり、一般の人達は橋を渡ってお詣りしていたとのことです。
昔は京都中央部の鴨川の東側一帯はほぼ全部、八坂神社の土地だったみたいです。
実質、田畑が広がっていたらしいです。
京都の南座です。
屋根の下のひさしの部分に二つの丸い物が立てられた場所があります。
矢倉(櫓)と言われるもので、官許の芝居小屋には必ず立てられるのだそうです。
南座も東側にありますが、昔はもっとたくさんの芝居小屋があったとか。
芝居小屋だけでなく、祇園の花街など遊ぶ所はその近くに一箇所にかためられて建てられたみたいです。
そういえば、役者のことを昔はと言いましたが、今では差別語に当たるということで放送禁止用語です。
受講生は阪急の四条河原町で集合し、四条大橋を渡って八坂神社へと歩きました。
あの辺りの道、私は若い頃に何度も歩いている筈なのですが、距離が伸びたような気がします。
単に私の足が弱ったというだけなんでしょうけど。
八坂神社です。
修学旅行生がワンサカいました。
先生の説明を聞きながらなので写真はスナップ写真だと思ってください。
本殿です。
八坂神社辺り、地形的には鴨川へと下る傾斜地で、決して住みよい場所ではなかったとか。
受講生は八坂神社の中を通り抜けて清水寺へと向かいました。
八坂の塔ですが、八坂神社の塔ではなく、別のお寺の塔です。
二年坂、産寧坂と、観光ルートです。
こんな坂、昔は何とも思わず上がっていったものですが、今では加齢やらコロナフレイルやらでヘロヘロになりました。
というわけでやっと清水寺に着きました。
清水寺は完全に山の中腹に建てられていますから絶景が多いです。
見えている塔は安産祈願の子安の塔です。
受講生はえっちらおっちら子安の塔まで歩きました。
清水寺は何度も行ったことがあったのですが、舞台だけ見て帰っていたので色々と初体験となりました。
子安の塔から望む清水の舞台です。
清水寺の語源となった音羽の瀧の水を飲む人達。
私は飲まなかったですが霊験あらたかだそうです。
途中に縁結びにご利益がある地主神社もありました。
清水寺と一口で言っても色んなものがあるのですが、それもお寺が存続して行く為の仕掛けの意味もあったとか。
そうやって参詣人を増やそうとしたわけです。
京都の神社仏閣はその時々の政権の権力者とせめぎ合って生き延びてきたのですが、とりわけ明治以降の神仏分離には打撃的な影響を受けたみたいです。
それまでの日本は神仏習合でしたので。
この日の京都、観光客は修学旅行生を中心に多かったです。
でもインバウンドの頃と比べると全然です。
今も歴史は続いているといった感の講座でした。
今回の講座は「絵画から読み解く京都の寺社」で、八坂神社(祇園社)と清水寺が取り上げられました。
1回目は座学で先生の話を聞き、2回目は実際に京都を歩きながら先生のお話を伺いました。
先生は昔の絵地図などを多用されて話されるのですが、何を隠そう私は地図が読めない女。
あーだこーだと言われても頭の中の地図と一致しません。
ですから、ここで書くことはテキトーです。
あまり信用しないで下さい。
簡単にいってしまうと、江戸時代の中頃までの京都は鴨川から西側にしか一般の人は住んでいなかったらしいのです。
そして鴨川の河原というのが広大なものだったらしく、今の河原町は鴨川の河原だったみたいです。
八坂神社と清水寺は鴨川の東側にあり、一般の人達は橋を渡ってお詣りしていたとのことです。
昔は京都中央部の鴨川の東側一帯はほぼ全部、八坂神社の土地だったみたいです。
実質、田畑が広がっていたらしいです。
京都の南座です。
屋根の下のひさしの部分に二つの丸い物が立てられた場所があります。
矢倉(櫓)と言われるもので、官許の芝居小屋には必ず立てられるのだそうです。
南座も東側にありますが、昔はもっとたくさんの芝居小屋があったとか。
芝居小屋だけでなく、祇園の花街など遊ぶ所はその近くに一箇所にかためられて建てられたみたいです。
そういえば、役者のことを昔はと言いましたが、今では差別語に当たるということで放送禁止用語です。
受講生は阪急の四条河原町で集合し、四条大橋を渡って八坂神社へと歩きました。
あの辺りの道、私は若い頃に何度も歩いている筈なのですが、距離が伸びたような気がします。
単に私の足が弱ったというだけなんでしょうけど。
八坂神社です。
修学旅行生がワンサカいました。
先生の説明を聞きながらなので写真はスナップ写真だと思ってください。
本殿です。
八坂神社辺り、地形的には鴨川へと下る傾斜地で、決して住みよい場所ではなかったとか。
受講生は八坂神社の中を通り抜けて清水寺へと向かいました。
八坂の塔ですが、八坂神社の塔ではなく、別のお寺の塔です。
二年坂、産寧坂と、観光ルートです。
こんな坂、昔は何とも思わず上がっていったものですが、今では加齢やらコロナフレイルやらでヘロヘロになりました。
というわけでやっと清水寺に着きました。
清水寺は完全に山の中腹に建てられていますから絶景が多いです。
見えている塔は安産祈願の子安の塔です。
受講生はえっちらおっちら子安の塔まで歩きました。
清水寺は何度も行ったことがあったのですが、舞台だけ見て帰っていたので色々と初体験となりました。
子安の塔から望む清水の舞台です。
清水寺の語源となった音羽の瀧の水を飲む人達。
私は飲まなかったですが霊験あらたかだそうです。
途中に縁結びにご利益がある地主神社もありました。
清水寺と一口で言っても色んなものがあるのですが、それもお寺が存続して行く為の仕掛けの意味もあったとか。
そうやって参詣人を増やそうとしたわけです。
京都の神社仏閣はその時々の政権の権力者とせめぎ合って生き延びてきたのですが、とりわけ明治以降の神仏分離には打撃的な影響を受けたみたいです。
それまでの日本は神仏習合でしたので。
この日の京都、観光客は修学旅行生を中心に多かったです。
でもインバウンドの頃と比べると全然です。
今も歴史は続いているといった感の講座でした。
秋の清水寺はいいでしょうね。
以前、NHKのブラタモリで清水寺の歴史について説明していたのですが、その内容をすっかり忘れてしまいました(^o^)
その時は、ほほー、おおっーとか色々感動したんですけどね(笑)
フレイル全開の私にはあの階段を見ただけで目眩しそうです。もう二度と行けなさそう。
確かに清水寺、色々な仕掛けがあり面白いです。
昔から観光で食っているお寺さんだったのでしょうね。
でも、明治以降も舞台から飛び降りる人がいたとか。
それは西方浄土に行く為だったそうです。
飛び降りても怪我だけして死ねそうにないですけど。
よく目にする清水の舞台は、子安の塔から撮ったものなんですね。今年改修工事が終わったんでしたっけ?見学するにはいいタイミングでしたね。
距離感、今月奈良に行くのですが斑鳩に足を伸ばします。前回行ったのは大学時代なので、長く感じるんだろうなぁ〜と今からビクビク(苦笑)
10年ぐらい前だったか、この時期の夜のライトアップに行きました。
下の階段からずっと通路も舞台もすごい人でぎゅうぎゅう詰め。
紅葉もきれいだったけど情緒もへったくれもないほどの人波でした。
それを思えば今の人出はずいぶんマシですね。
京都、他にもたくさん見どころがあるのに、
観光客は一部の場所に偏っているような・・・。
普通の観光ガイドの方が面白いかもしれません。
何しろ地形とか地図とかから話すので。
それこそタモリさん抜きのブラタモリ風。
写真は正確には子安の塔の少し手前から撮ったと思います。
子安の塔から撮ると真正面になって面白くないので。
kebaさん、お仕事なさって、いつも歩いてらっしゃるから長くは感じないですよ。
奈良旅行、ご夫婦で楽しんできてください。
でも京都なら外せないです。
今はそんなに人も多くないので観光に行くには良いですよ。
インバウンドの頃はクラブツーリズムでも、聞いたこともないようなお寺に行くツアーがあったりして、あれは人出を避けて穴場に行くツアーだったんだなと今にして思います。
旅行社も色々と考えていたんでしょうね。
これくらいの混み方が よろしいですね。
南座の北側に美味しい(鰊)蕎麦のお店が ありましたが、今はどうなのかな ?
八坂さんの 西向きの門のところに 占いのおばさんが 居ました
友達に連れて行かれて見て貰ったけれど
全然 当たって無かった
清水寺の樹々も色づき始めましたね
シーズンになると 凄い人、人、人
今年のライトアップは、催されるのかしら ?
紅葉の頃はもっと混むんじゃないかしら。
南座の隣に蕎麦屋さん、確かあったように思います。
にしんそばですよね。
清水寺のライトアップ、今年はどうなんでしょう。
コロナの状況によるのでしょうね。
紅葉は、何も清水寺でなくてもと思います。