5月に開催される大阪能楽大連吟のお稽古開始のオリエンテーションの時、能楽の先生から自分が出演する大槻同門会能の案内がありました。
案内によれば先生が演じられるのは「井筒」でした。
それで「井筒」の説明も受けたのですが、同時に別の人の演じられる「葵上」の説明も受けました。
たまには能楽も良いかなと、なんとなく興味を持って前売り券を購入しました。
その日の演目です。
先日、観に行ってきましたが、あいにく睡眠不足状態。
絶対眠くなるなと思っていたところ、やはり眠くなりました。
必死に目をこじあけて鑑賞。
他の観客はというと、やはり俯いている人が多く、寝ている様子。
「井筒」の説明も事前に聞いていたのですが、何ともよく分からない内容で、世阿弥の自信作の夢幻能とか。
夢幻能というのは能の分類の一つで、旅の者が見た夢幻のようなものだから、半分寝ながら見てちょうど良かった、というのは言い訳です。
間に短い狂言が入り、それはちゃんと観てました。
次は「葵上」でした。
それも事前に先生の説明を聞いていました。
能楽の「葵上」は女性の嫉妬を描いた傑作なのですが、単に嫉妬の醜さや怖さを描いているのではありません。
主人公の六条の御息所は高貴な女性で、教養も知性もあり、強い矜持心も持ってます。
もちろん前の皇太子妃という身分の高さや美貌といったものも持ち合わせているのです。
だから意識の上では嫉妬に狂うなんて醜いことはしたくないし出来ない筈なんです。
でも、就寝中は理性の力が弱まり、心の奥底の光源氏の正妻の葵上を憎いという気持ちが生霊となって体から出てしまうのです。
決して彼女自身は葵上を害したいと思っていないのに、彼女の無意識が葵上に取り付いて苦しめるという難しい役どころなのです。
始まってから最初のうちはやはり睡魔との闘い。
気が付くと頭がガクッとなっている。
でもシテ(主人公)の六条の御息所の嫉妬心が抑えがたく激し始めると眠気が次第に失せ、舞台に目をこらすことになりました。
それはシテの演技だけでなく、囃子方や地謡の効果でもあったと思います。
能のそういう演出って凄いです。
やがて般若の面を付けて鬼の姿となった六条の御息所と、それを調伏しようとする横川の小聖との闘いのシーンはまさにド迫力。
眠気が吹っ飛んじゃいました。
「葵上」では六条の御息所はたとえ鬼の姿になっても気品を持って演じなければならないようです。
これは上松松園が描いた六条の御息所
対してこちらは葛飾北斎が描いた鬼になった六条の御息所
帰り道、前を歩いていた中年の男性が興奮気味に「悪いのは光源氏だろ。なのに葵上を恨むとは・・」と連れの人に語っているのが聞こえましたが、恋愛って善悪で計れないんだよね。
一つ教訓。能楽を観に行く前の晩は早めに寝ましょう。
でないと観劇中、睡魔との闘いになってしまう。
案内によれば先生が演じられるのは「井筒」でした。
それで「井筒」の説明も受けたのですが、同時に別の人の演じられる「葵上」の説明も受けました。
たまには能楽も良いかなと、なんとなく興味を持って前売り券を購入しました。
その日の演目です。
先日、観に行ってきましたが、あいにく睡眠不足状態。
絶対眠くなるなと思っていたところ、やはり眠くなりました。
必死に目をこじあけて鑑賞。
他の観客はというと、やはり俯いている人が多く、寝ている様子。
「井筒」の説明も事前に聞いていたのですが、何ともよく分からない内容で、世阿弥の自信作の夢幻能とか。
夢幻能というのは能の分類の一つで、旅の者が見た夢幻のようなものだから、半分寝ながら見てちょうど良かった、というのは言い訳です。
間に短い狂言が入り、それはちゃんと観てました。
次は「葵上」でした。
それも事前に先生の説明を聞いていました。
能楽の「葵上」は女性の嫉妬を描いた傑作なのですが、単に嫉妬の醜さや怖さを描いているのではありません。
主人公の六条の御息所は高貴な女性で、教養も知性もあり、強い矜持心も持ってます。
もちろん前の皇太子妃という身分の高さや美貌といったものも持ち合わせているのです。
だから意識の上では嫉妬に狂うなんて醜いことはしたくないし出来ない筈なんです。
でも、就寝中は理性の力が弱まり、心の奥底の光源氏の正妻の葵上を憎いという気持ちが生霊となって体から出てしまうのです。
決して彼女自身は葵上を害したいと思っていないのに、彼女の無意識が葵上に取り付いて苦しめるという難しい役どころなのです。
始まってから最初のうちはやはり睡魔との闘い。
気が付くと頭がガクッとなっている。
でもシテ(主人公)の六条の御息所の嫉妬心が抑えがたく激し始めると眠気が次第に失せ、舞台に目をこらすことになりました。
それはシテの演技だけでなく、囃子方や地謡の効果でもあったと思います。
能のそういう演出って凄いです。
やがて般若の面を付けて鬼の姿となった六条の御息所と、それを調伏しようとする横川の小聖との闘いのシーンはまさにド迫力。
眠気が吹っ飛んじゃいました。
「葵上」では六条の御息所はたとえ鬼の姿になっても気品を持って演じなければならないようです。
これは上松松園が描いた六条の御息所
対してこちらは葛飾北斎が描いた鬼になった六条の御息所
帰り道、前を歩いていた中年の男性が興奮気味に「悪いのは光源氏だろ。なのに葵上を恨むとは・・」と連れの人に語っているのが聞こえましたが、恋愛って善悪で計れないんだよね。
一つ教訓。能楽を観に行く前の晩は早めに寝ましょう。
でないと観劇中、睡魔との闘いになってしまう。
やはり源氏物語中 一番怖いお相手ですね
光源氏より年上だったから?
自己抑制が そんな形で 生霊として現れるなんて、あの時代ですね
思い出したんです
子供の頃(TV白黒時代)伊丹十三さんが 光源氏を演じたドラマが あって、 出演する女優さんが そうそうたるメンバー
検索してみたら そのドラマ内で 六条御息所を演じたのは 「岸田今日子さん」でした
もっと美人の女優さんでも良かったかも。
舞台を見ていて、あんなの(鬼になった六条御息所)に取り憑かれたら、そりゃあ病気になって死ぬわと思いました。
ド迫力でしたよ。
私は嫉妬はされませんから安心ですけどね。
葵上、気の毒。
横レスすみません
伊丹十三の光源氏にも異議あり!です😆
もともと光源氏を演じられるのは長谷川一夫と宝塚の春日野八千代だけといわれてます。
岸田今日子も伊丹十三もどうしても年取ってからのイメージが強いのですが若い頃は雰囲気が違っていたのかもしれない。
他の俳優陣を見ると「小山明子(藤壺)、丘さとみ(葵の上)、富士真奈美(紫の上)、藤村志保(夕顔)、吉村実子(明石の方)、中村玉緒(空蝉)、岸田今日子(六条御息所)、加賀まりこ(女三宮)。男性陣は山本学(頭中将)、河原崎長一郎(柏木)、田村正和(夕霧)」
紫の上が富士真奈美だなんて、絶対おかしいと思うんですけどね。
父親のコネで 役が付いたとか言われてたような
ドラマと言っても 舞台みたいな大道具で芝居仕立てなのが 独特でした
丁度 源氏物語、現代訳を読んだばかりで興味が あったので観ました
私も検索して 富士真奈美の紫の上には 異議です
何故か 六条の御息所に興味があって 俳優は 誰か? チェックしてしまいます
(映画で竹下景子さんもやっていたかな)
宇治に源氏物語のミュージアムが あるらしいの
行ってみたいです
私などは雪深い北陸の片田舎暮らしではなかなかそのような機会もありませんが。
松園の御息所がいいですね。
彼女の苦悩が見事に描かれているように思います。(私なりに)
あの長編に御息所が無かりせば、単なる好色物語かとも。なんて思います。
六条御息所は圧巻ですね。私は登場の女性の中で彼女が一番好きです。
生霊など心理学的にも頷けます。
>教養も知性もあり、強い矜持
仰る通りです。「矜持」それはやはり「知性と教養」でありプライドなのでしょう。
ふと、車争いの場面が脳裏に。久々に源氏を繙いてみましょうか。
失礼致しました。今宵これにて。
伊丹十三、公家顔ですが、どうみても腹に一物あるような悪公家顔。
宇治の源氏物語ミュージアム、私も一度は行きたいと思ってます。
以前、宇治に行った時、そこまでは行ききれなかった。
先生の説明も聞いていて、能楽師の立場から六条御息所をどう演じるかで、そのような六条御息所像になるらしいです。物語の解釈としてもそれが正しいのでしょう。
松園の六条御息所は凄絶な美しさがありますね。
嫉妬に狂いながら嫉妬に狂う自分が許せない、そんな矜持が感じられる絵だと思います。
たまにはお能を見るのも良いものでした。