goo blog サービス終了のお知らせ 

緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

日々の発見と思いのあれこれなど

初めての初釜

2019年01月24日 | 茶道
公民館でのお茶のお稽古、月二回なのであまり負担にもならず続けています。
先日は初釜でした。年末年始をはさんで約一月ぶりのお茶です。

着物を着てくるよう言われていたので、アマゾンで買ったリサイクルの訪問着を着ていきました。

帯は母の遺品。
名古屋帯です。
先輩の皆さんもそれなりの着物で来ていました。
お聞きすると「母の遺品」が結構多い。
お茶を習っていると家にある着物を活用できるので良いです。

着物はともかく、初釜の事。
私は初めてでした。
順番があって、順番通りに席入りし、お軸やら炉やらを拝見し、ズラリと並んで座りました。
歩く時は左側通行とのこと、人とすれ違う時は右肩が擦れる感じ。
座る時、忘れていて横から入って注意されました。
正面から入らないと・・・。

主菓子はお正月定番の花びら餅。一本の黒文字で突き刺して懐紙に取りました。
そういう取り方は初めて。

その後、濃茶をいただきました。
10人以上の人がいたのですが、たぶん茶碗の大きさに合わせて最初は3人分、次は5人分、お茶が点てられました。
私は5人の中の4番目、5人目の方に「少なく残してね」と耳打ちされました。
一碗のお茶を複数の人でいただくのですが、自分が多く飲み過ぎても、少なく飲み過ぎても後の人が困ります。
最後の人はすべて飲み切ることになっているので私に多く飲むよう頼んだみたいです。

濃茶、これも好き嫌いがあるみたいです。
味の問題ではなく、同じ茶碗の回し飲み自体、嫌う人もいるようです。
以前の教室で聞いた話だと、サーズが流行中は濃茶は禁止されていたみたいです。

濃茶が済むと今度は薄茶。
福寿草の形のらくがんと紅白の飴のお干菓子が配られました。
らくがん、前歯で挟んでカッキィーンと音立てて割って食べたら、懐紙に包んで割ってから食べなさいと注意されました。
私、前歯が丈夫だから・・・。(~_~;)
飴は懐紙に包んで持ってかえりました。

長時間の正座で足の甲が痛くなりました。
膝は何ともないのですが、甲にタコができそうです。
以前の教室でも甲が痛くて、そのことを言うとアシスタントの先生が、自分もそうだったけど甲に綿の入った足袋をはくようになってマシになったと言ってました。
私もソレ、買った方が良いかも。

ともかく無事に初釜は終了。
一つ一つ経験を重ねるのみです。

帰りがけ、先生が、お稽古でも着物を着てきてください、みたいなことを言われました。
一人の人が紬でも良いですかと問われ、先生はお稽古ならば紬OKと。
他の人が着てくるのなら、私も気軽に着られます。
なにせお茶歴ウン十年の人達とご一緒のお稽古ですから、私も気を遣ってます。



献茶式のことなど

2018年10月26日 | 茶道
旅行前のことですが、11月から習い始めることになった公民館の茶道教室の方からお誘いを受けて、近所の神社の秋季大祭の献茶式に行ってきました。
10月上旬のことです。

公民館の秋のお祭りのお茶会にも誘われていたのですが、急なことでいきませんでした。
前の半年通った茶道教室では、お茶会のことを聞くと、あっさり「お茶会、しません」と言われたので、エライ違い。

献茶式は、まず神様にお茶をお点てして、そのお下がりを副席でいただくような感じです。
神様にお茶を点てるのは茶道の先生クラスの人で、それ以外の人は臨席して拝見するのです。

一体どんな服装で行ったらよいか分からなかったのですが、取り敢えずカジュアルだけどドレッシーな雰囲気もあるワンピースで行きました。
私の場合、それでOKだったみたいです。
茶室でお茶をいただくということだったので白いソックスも持って行きました。

神社はお祭りらしく賑やかな雰囲気。

子供だんじりです。


茶道教室の方々はもてなす側で、皆さんお着物。それも訪問着、色無地、小紋といった、シックでありながらも華やかな、いわゆる「柔らかもの」と言われる着物姿でした。
献茶式に参列するので、それなりの恰好でなければならなかったみたい。
もし茶道を続けるとすると、来年は私もお着物を着ることになる? この糞暑いのに!
(その日は暑くて半袖で十分だった。袷の着物は勘弁願いたい。)

献茶式に立ち会ったことは、私は初めてではなかったです。
私の亡くなった母が、ある新興宗教の熱心な信者で、そこの大祭でも献茶式がありました。
ただ、そこは千人単位で入れる祭殿で、壇上の献茶の様子ははっきりとは見えませんでした。
今回は近所の神社の社殿で目の前で見ることができました。
私は入ったばかりで、よく見れるように配慮されたのか一番前の列に座らされました。
神仏に対する献茶の所作は人に対するそれとは異なるみたいでした。

献茶式の様子は、写真に撮ることはルール及びマナー違反になると思い撮りませんでした。
(襟首掴まれて摘まみ出されそう💦)

献茶式が終わると今度は副席でお茶をいただきます。
茶道教室の皆さんは裏方でお手伝いに行かれました。
副席は社殿ではなく、神社の境内にある斎館で行われました。
通常、献茶式の副席は立礼が多いみたいなのですが、そこは待合の部屋もあり、きちんと設えられた広めのお茶室もありました。

待合で余計な荷物を置いて、茶席へ通されます。
余計な荷物といっても、お財布・カード・携帯がバッグに入っていて、要するに貴重品も置いていくみたいです。
昔は武士が刀を置いて茶室に入ったと同様な意味合いあるのでしょうか。

お茶そのものは茶道を知らなくても頂けるよう配慮されていて、中学生の男の子達やベトナム人のご夫婦も特に気負うことなくお菓子とお茶を楽しんでいました。
私も美味しく頂いて、お茶碗やら美しい水指やらも見させて頂いて。
その後は、さらに煎茶席まで用意されていました。

煎茶道というものがあると私が知ったのは最近のことです。
煎茶席は茶道の席よりもくだけた感じで、色々とその場で話がはずんでいました。(私は聞くだけ)
なんでも煎茶道の流派は1000以上もあるとか。
煎茶道があることさへ知らなかったのに、それが1000以上も流派があるとは
煎茶席でもお茶とお菓子を頂き、その日はそのまま帰りました。

副席と煎茶席の様子も献茶席と同様、写真には撮りませんでした。
というか、カメラは茶席に持って入れないので撮ることはできません。

帰りに撮った神社正面の写真。

それほど大きな神社ではないのですが中世からある由緒ある神社です。
夏には薪能も境内で催されます。

さて、その夜ですが、やはりお礼のメールくらいお誘い下さった世話人さんに入れておこうと思ったのですが。
よくよく考えて、私、さんざん飲んだり食べたりしてお金払ってないぞと・・・・。
いえいえ、基本、神仏に供えられたもののお下がりを頂いても、その代金を支払うことはない筈。
でも、あの上生菓子、安くはないぞ・・・・。一体誰が支払っているのか。

何だか段々不安になってきました。
『みどりさんとかいう新しく来られる人、さんざん飲んで食べてお金払わずに帰っちゃったわ』なんて思われてるかもと。
それで、メールでお礼かたがた代金のこともお聞きしました。
支払わなくても良かったとのことでホッ。

ネットで献茶式について調べてみると、献茶式の券を購入したというような記述もあるので、代金を支払わねばならないような献茶式もあるみたいです。(知らんけど)

というわけで、私の献茶式の副席デビューでした。(笑)



茶道教室 顛末

2018年10月04日 | 茶道
4月から始めた半年間限定の茶道教室ですが、9月で終了しました。

少し長くなりますが、この半年間の私の体験を書いておきます。
関心のない人はスルーしてください。

教室に通っていて、3か月ほどして、何かおかしいと思うようになりました。
たとえば、客としてお茶をいただく時、2度、時計回りに茶碗を廻して正面で飲むことを避けます。
その後、飲み口を指で拭って、今度は元に戻すように反時計回りに2度廻すと教えてもらった筈だと思い、そうすると、先生から廻し方が逆だと指摘されました。
なんだかおかしいと思いながらも言われた通りにしたのですが、それでもおかしいと思って、家に帰って、買っていたテキストやDVD、またネットで調べたりしても、やはり私のやり方が合っているのです。
ところが次回行くと、また同じことを指摘されます。先生の言うことだからと思い、その通りしますが、やはり納得がいかず、私の勘違いなのかと思い、帰って色々と調べても私の方が正しいのです。
次に行っても同じ指摘が繰り返されます。
「本当にそうなのですか?」と念を押すと先生は「いつも時計廻りです」という答え。
一緒に習っている人にそれとなく聞いてみると「先生が勘違いしただけでしょ」とのこと。
でも、同じ人に同じ勘違いを3回も繰り返すものでしょうか。
似たようなことは別にもあって・・・。

私は茶道を習うのは初めてです。
だから何も知りません。
先生に言われたら言われた通りにするしかないのです。
おまけに、決して覚えの良い方ではありません。
それでも『おかしい』と思うようになりました。
同時に、先生の口調がとてもキツクなってきました。
あれこれ頭ごなしに言われていると、自然と泣きそうになる程キツイのです。(泣きはしませんが。)

どうやら先生に嫌われているらしいとは分かりました。
しまいにお茶の稽古に行くのが嫌になってきました。
でも60歳過ぎて登校拒否みたいな子供っぽいこともできません。
そこで、先生にあれこれ言われないように、前日に手順を予習して、所作をすべて記憶して行きました。

すると、その日のお稽古では、まだ次の動作に移っていないのに「今、あなたは間違ったことをしようとした」となじるように言うのです。
何もやっていないし、先生が言うような間違ったことをやろうともしていないのに間違ったことをやろうとしたと怒られるのです。
そのようなことが同じ日に二度ありました。

それで分かったのですが、その先生は私に難癖をつけるためだけに難癖をつけているのだと。
このような教室に通っても、茶道を学ぶことはできないと思いました。

そうは言っても、その頃には、お稽古はあと3回を残すのみとなっていましたし、その教室は、その先生と、あと2名、助手の先生がいて、いつもその先生に教わるわけではなかったので、とにかく我慢して通おうと思いました。
半年分の受講料は前払いで、途中で止めても戻ってはこないのです。
ただ、茶道に対するモチベーションはドカ下がりに下がりました。

最後の3回は、先生が他の受講生にどのように教えているかしっかりと見ました。
すると、物覚えが私以上に悪い人が複数いましたが、私の時みたいにキツイ言い方はしていないことが分かりました。

私は特別に嫌われていたらしいのです。その原因については分かりません。
友人に相談したりしたのですが、着物を着て行ったのが悪かったのではと言われましたが違うように思います。(私は着物の許可を得ていましたし、先生達は3人ともいつも着物)
私が先生の何か気に障るような事を、言うなりするなりしたのかもしれません。

先生の言動から私が何となく理解したのは、先生自身、茶道が嫌いらしいということ。
人物が特定されてしまうので詳しいことは書けませんが、家が家業として茶道を教えていて、茶道をマスターしないと家の中で居場所がなくなるので、大変な努力して先生になったらしいということ。

私が通っていたその教室は、全国各地で展開されている半年間の初心者向けコースだったのですが、先生によれば、そこの教室が終った後の受講生の進路について、家元がいる本部に報告が必要とのことで、受講生全員が進路を聞かれました。

同じクラスの人の中には、教えてもらった先生の茶道教室に通う人もいれば、しばらく(数年)間を置くという人もいました。
私は知人が近くの公民館で茶道教室があることを教えてくれていましたので、私は近くの公民館で習うと答えておきました。

ところが公民館の茶道教室は、電話して聞いてみると流派が違うのです。
気持ちはまるで乗らなかったのですが、半年間の教室が終わった時点で一度見学に行くことにしました。

終了してから受講生だけで初めてランチ会を催しました。
それまで教室が終わるとさっさと帰る人ばかりで、話をすることもあまりなかったのです。
ランチ会では、受講生の一人は先生に対し批判的でした。
理由は性格のキツさ。助手の先生に対する言い方が、そばで聞きたくないほど酷かったということでした。
確かにそういうこともあったと思い出しました。
ただ、他の受講生はよく分からない様子。
私は黙っていました。

9月の終わり頃、公民館の茶道教室に見学に行くと、そこは私くらいの年齢の女性達ばかり。
半年通った教室とは雰囲気が異なり、人も多く、おしゃべりの花が咲いていました。
そこで思わず出来た一句。

姦しや お茶のお稽古 秋の午後

ただ、流派が違うので、見ていると、所作が何から何まで少しずつ違います。
その茶道教室では、私のように流派を乗り換えた人も多くいるとのことで、最初は大変ですよと言われました。
そこの先生からも「今まで習ったことはすべて忘れて下さい」と言われました。

公民館のお稽古は月に2回で、家から近く、月謝も前の教室に比べると安いものでした。
負担にはならなさそうなので11月から行くことにしました。
続くかどうかは、もちろん分かりません。

以上が顛末です。



最近、公民館の茶道教室の世話人さんから、近所の神社の献茶式で先生のお点前が見られるので是非見に来て下さいという電話がありました。
その翌朝、私は印象的な夢を見ました。
その夢は、この半年間の経験を、私の心が私なりに受け止めた夢のようなので記しておきます。

私は窓のない薄暗い部屋の中にいます。
沢山の棚があり、どの棚も上から下まで、切断された血まみれの手足が隙間もないくらいにびっしりと並べられていました。
おまけに、手足は切断された面を私が通る方に向けて置いてあったので、部屋全体が凄惨なまでに血まみれの様相でした。
私は気持ち悪さを堪えながら何とかその部屋を通り抜け、奥の白いドアを開けました。切断された手足の並べてある棚はドアの間際まで続いていたのですが。
私が隣室に入ると、そこは明るい会議室のような部屋で、数人の人達が隣の部屋のことなどまるで知らぬ気に和やかに話していました。
私は血まみれの部屋を思い起こしながら「あの部屋には耐えられない」と独り言なのか、頭の中で思うか、しました。
場面は変わり、私は鉄道のターミナルのような駅で乗っていた列車を降り、違う列車に乗り換えるようです。
乗り換える列車は違うホームから出るので、階段を上がって連絡橋を通って行かなくてはなりません。
人が多く、なかなか大変そうでした。
場面はまたも変わり、私はおくるみに包まれた健康そうな赤ん坊を抱いています。
おくるみを開いてみると赤ん坊はうんちをしていました。
そこで私は『あらあら、きれいにしてあげなくちゃ』と思いました。
そこで目が覚めました。


この夢は久しぶりに見た記憶に残る印象的な夢でした。
ふだんは夢を覚えていません。

目覚めてすぐ、夢の中での列車の乗り換えは、現実には茶道の流派の乗り換えを意味しているのではないかと思いました。
そこで、落ち着いて夢全体の意味を考えてみました。
この夢全体は、最初は紛うことない悪夢でしたが、最後は赤ん坊を戸惑うこともなく抱いていて、今後も面倒をみるらしい、悪くない印象の夢でした。

夢が私の半年間の茶道体験を意味しているのなら、最初の凄惨な部屋は茶道教室での体験が象徴化されたものだと思えます。
考えてみれば茶道のお稽古は、具体的な形として一挙手一投足を学ぶのです。
夢では、動かし方を学ぶべき手足が切断されて血まみれになって並べられていました。
その状況に私は耐え難いほどの嫌悪を覚えていました。

その部屋を通り抜けて、次の明るい会議室のような部屋は、教室を終了してからの受講生達とのランチ会を表しているようです。
列車の乗り換えは茶道の流派の乗り換えを意味すると考えて間違いないと思います。
最後に登場する赤ん坊は、新しい教室での新たな可能性を表しているようです。
そこの先生が言われたように前の教室で教わったことは全て忘れて、それこそ赤ん坊に戻って、一から出直しということだと思います。
夢は一つの体験を整理し、まさに一つの体験として受け止めましたという私の深層からのメッセージのようでした。

我ながら、なかなか大変なようですが、元々は生活を豊かにする為に茶道をやろうと思っていたのです。
できれば、そういう方向で行けたらなと思います。