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緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

日々の発見と思いのあれこれなど

11月です。

2021年11月11日 | 茶道
11月は茶人のお正月だそうです。
八十八夜で摘んだお茶の葉を壺にいれ、封をして蒸らしておきますが、その封を切ってその年の新茶としていただくのが11月だからだそうです。
それともう一つ、11月には炉開きも行われます。
茶室がすっかり冬仕様になるわけです。

その時に行われる茶事を口切の茶事というのだそうです。

いつもはお花が飾られる床の間に茶壷が飾られています。

先生のお宅でのお稽古の場合、人の稽古も見るので長時間正座する関係上、本来の茶席なら座布団は用いないのですが、足が痛くならないよう座布団が許されています。
ところがその日、座布団を置こうとすると先生に止められました。
口切の茶事のお稽古をするのに、茶壷を転がすので座布団は邪魔になるのでとのことでした。

茶壷を転がすって・・・
どんなことするんやー、って感じでした。

要するに、客として招かれて茶壷を拝見するのに、茶壷を自分の前に置いて、転がすようにして茶壷の景色を見るからでした。
ゴロンゴロンと転がすわけではないのでした。
この日は茶壷の拝見の仕方を学びました。

茶道を習って知ったのですが、茶道における道具を見るということの重要性。
亭主が客を招いた場合、どういう道具で客を楽しませるかが問われるからみたいです。
新しい道具を手に入れて、そのお披露目の為に茶会が開かれたりもするのです。
茶道が総合芸術と言われる所以なのですが、見る時は本当につけつけと見ます。
当然、道具を傷つけたり、汚したりしない拝見の仕方というのが決まっているのでした。
茶壷の拝見の仕方なのですが、それなりに複雑で、もう忘れました(~_~;)

口切の茶事では、客が懐石や主菓子をいただいている間に、中の茶葉を石臼で挽き抹茶にします。
先生の経験によれば、そうやって石臼で挽いたお茶はあまり美味しくないんだそうです。
今ではお茶屋さんが挽いて作った抹茶の方が美味しいらしいです。
昔は亭主が自分が手に入れた茶葉の入日記(納入明細書)を客に見せて、客のリクエストに応じた茶葉を挽くこともあったらしいです。

私も茶道のお稽古が生活の一部となり、茶道に慣れてきた感もあります。
もちろん、お点前の方はまだまだ全然です。
でも、先生宅のお稽古で交わされる焼き物や塗り物の話など、今まで知らなかったことばかりなので、面白く学んでいます。



              




これはミツバアケビの実。
なぜか我が家のミツバアケビの実は開くことがありません。

開いたゴヨウアケビの実は茶道仲間に差し上げたのですが、皆さん玄関に飾ったとの事。
私も玄関に飾ろうと思ったのですが、葉っぱ大好きな方がおり、引きずり降ろしていました。

こいつです。


ヘソ天して誤魔化してもダメ!!


危険ですから写真だけ撮ることにしました。

庭仕事、次はいよいよ柿の実採りです。
なかなかの重労働です。

柿の葉、綺麗なので集めました。

柿落ち葉の掃除もこれから大変です。


掛軸、どう扱う

2021年09月22日 | 茶道
今時、床の間のある家なんて少ないかもしれません。
我が家にはあります。
60年近く前に建てた家ですので。

当時の木造一戸建てには、床の間のある和室は珍しいものではなかったのです。
我が家が珍しいのは、そういう和室が未だにリフォームもされず、そのまま残っていることです。


こうやって写真に撮って見るとかっこいいですね。
実はあちこちボロボロなんです。

掛軸は、近寄って見るとこんなの。

表千家の永田宗伴宗匠の瀧直下三千丈という文字です。
中古品をネットで買いました。(プチプラです(-_-;))

でも下に置いている置物が多すぎ。
他に置き場所がないもんですから 💦

置物はともかく、問題は掛軸です。

公民館の茶道教室で先生から軸飾りの説明を受けました。
茶の湯では掛軸が主役のお茶事があるらしくって、その時の作法を簡単に習いました。
何か由緒のある掛軸が手に入った時などに、人に見て貰う手順なんですが、掛軸をどう扱うか学んだわけです。

本格的な軸飾りは床の間に巻いた掛軸を立て掛けておいて、亭主と客のやり取りがあって、亭主が客の前で掛軸を掛けます。
でも、私がそんな機会にあずかることは、亭主の立場であれ客の立場であれ、一生ないです(断言!!)。

というわけで、茶道では軸飾りというものがあるということだけ覚えておいて、お勉強したのは掛軸のかけ方と外し方、そして掛軸の巻き方です。
一応、我が家には床の間もあることだしね。

家で練習です。
とりあえず掛けてあった完全に季節外れの瀧の掛軸を外しました。

上の写真は外した掛軸を畳の上に置いたところ。

掛軸を掛けたり外したりする棒のことを矢筈(やはず)というのですが、矢筈を持つとなぜかそのまま掛軸を外したくなります。
でも待って! そこは我慢。
矢筈は掛軸の横の床の間の壁に立てかけておくんだそうです。

矢筈は立てかけておいたまま、まず両手を使って掛けてある掛軸を下から巻いていきます。
写真くらい巻き込んだら、左手で巻いた掛軸を持ったまま、やっと矢筈を右手に取り掛軸を外し、そのまま床に掛軸を置くのです。それが上の写真の状態です。

やり方を知らない頃は掛軸を巻かないまま外し、バッサバッサと音を立てながら掛軸を床に置いてました。
そんなことをすれば掛軸が傷むの当たり前です。
必ず、ある程度巻き上げてから、外さなければならないみたい。
外して床に置いた後、最後まで掛軸を巻いていきます。

そこからも正しいやり方があるんだそうで・・。
風帯の処理です。
ところで風帯って何? ですが、上から下がっている2本のビラビラのことです。
そもそも掛軸は中国から入ってきたもので、中国では屋外に掛軸を掛けることもあり、風帯は元々は鳥除けだったそうです。
今では飾りという以外完全に意味のないものです。


まず右側の風帯を上に上げ、左側の風帯を折り込んでいきます。
心配しなくても風帯に折り型が付いているのでその通り折ります。
ただ、この時も、風帯を手で無遠慮に持ったり触ったりしてはいけない!!

風帯の先端に短い紐が少し出ているので、そこを持って扱うんだそうです。
風帯の裂地が傷まないようにする為だそうです。

風帯の裂地は、掛軸がそれなりに良い物だと掛軸の本紙の上下にある一文字と呼ばれる部分と同一の裂地を用いているそうなんです。
我が家の瀧の掛軸も同一の裂地を用いています。
それなりの物だったんでしょうか。

福田美術館に行った時、🐘の柄の織り込まれた一文字を面白いと思ってブログにもアップしたのだけれど、風帯がどうだったか注目しなかった。残念。

掛軸の扱い方に話を戻すと、それからが最難題、紐の巻き方です。

紐は3重に巻きます。1回目は真ん中、2回目は右寄り、3回目は左寄り。
後側に交差した部分が重なるように巻きます。

その後、紐の掛ける部分右側の手前から輪状にした紐を入れ(上の写真の状態)、次に左後ろ側から先の輪状の紐を入れます。

長さを揃え、出来上がりです。
このやり方だと解く時、右の紐を引くだけで綺麗にほどけ、かつ保存時に掛軸が緩むということもなく、紐の見た目も美しいのです。

本式には紐を巻く時に、傷まないように紙をはさみ、そのはさみ方も決まっています。
我が家では、そこまではやりません。
本格的なやり方を知りたい方は「軸飾り」で検索すれば動画で見ることもできます。

外した掛軸の代わりに掛けた掛軸。

伊藤若冲の竹虎図の模倣画です。
兄がどこかの美術館のショップで買ってきた掛軸です。

掛ける時も外す時同様、巻いたまま掛けます。
今までは畳の上に掛軸を広げて、バッサバッサいわせながら掛けてました。
これで私もようやく正しい掛け方を身に付けたみたいです。

茶道教室では、自分ちには床の間はむろんのこと畳の部屋さえないという人達もいました。
先生曰く、利休さんは二畳の茶室も作っている。床の間がなければ壁に直接掛ければ良い。
小さい掛軸もあるので、ちょっとした空間に掛軸を掛けて楽しむことはできる。
色々と工夫してごらん、ということでした。

和風テイストのインテリアとして、家でのお稽古の時に楽しみなさいということだと思います。
万年ビギナーの私も、家では肩肘張らず楽しめばよいと思っています。


楽茶碗 脱臭成功しました。

2021年05月22日 | 茶道
よくあることのようですが、茶道で用いる抹茶碗、実際に使おうとすると、臭くって使えないことがあるようです。
原因の一つはカビだそうです。

使用後、仕舞う時に、しっかり乾燥させずに箱の中等に仕舞って、湿った部分にカビが生え、次回、使おうとするとカビ臭くて使えないんだそうです。
こういう事は古い抹茶碗でよくあるそうです。
避けるにはよく乾燥させてから仕舞うことだそうです。

新しい茶碗が臭くて使えない時もよくあるそうです。
私が経験したのがそれでした。

白の楽茶碗。新古品です。楽天で買いました。
着物などではよく新古品という言い方をします。
未使用なんだけど一度は人の持ち物だった品物のこと。私が買ったのはそれ。
去年の秋、いよいよ濃茶の点前を習い始めたので、濃茶の練習用に買いました。

ところが濡らしてみると、物凄く臭い。
土臭いのでした。
台所に置いておいただけでも、台所中、土臭いのです。

完全に乾くと匂いも消えるのですが、お茶を点てるには濡らさないわけにはいきません。
ですから、実質、お茶には使えません。
見た目、気に入っていたお茶碗なので、ネットで調べて匂いを消す方法を色々と試してみました。

茶道の先生にもお聞きしました。
分かったことは、先生も、そこの生徒さんも、私と同じ経験をしていることでした。
新しいお茶碗を買ったけど、濡らしてみると臭くて使えなかった。
匂いを消すために試した方法も皆だいたい同じ。
皆さん、匂いが抜けず、結局、諦めたみたいです。

私を含め、試した方法を書きだしてみると、
煮沸する。
米ぬかの中に入れておく。
緑茶で煮出して、その後、一晩漬けておく。
ひたすら天日干し。
何度も薄茶を点ててみる。といったところです。
こうした方法でも匂いは薄まりますが、気にせずお茶を頂けるレベルにはなりません。

ネットに載ってはいたけれど、皆さんが試していない方法が二つありました。
一つは、濡らして500Wの電子レンジで10分間チンする。
(楽茶碗って脆そうだからチンしている間に割れそうです。)
もう一つは、米ぬかをドロドロに溶かした水に三日三晩漬ける。
(茶碗もドロドロに溶けそうです。)

私は後者を試しました。
生の米ぬかを用意して、水にドロドロに溶かし、その中によく乾かしておいた抹茶碗をすっぽりと、全部浸かるように入れました。
待つこと三日三晩。
引き上げて、洗って嗅いでみたところ、微かにクッキーのような匂い。
それなら気になりません。
2度ほど薄茶を点てたところ、クッキーのような匂いも消えました。

匂いの消えた白楽の抹茶碗です。

上から見たところ。細かな貫入(ヒビのような模様)が入っています。

これは紙製の箱。


この茶碗、茶道の先生にも見ていただき、色々と説明してもらいました。

先生曰く、基本、楽茶碗は無地で模様が入ることはないそうです。
箱にお題茶碗と書いてあるので、そこから推測して、お題というのは宮中歌会始めの題のことで、新年の記念としてその年の題にちなんだ模様を付けたのではないか。
茶碗の銘が「葛屋」つまり草葺屋根の家なので、その年の題は住居とか家とかではなかったか。
記念品として同じようなものがたくさん作られ、配られたのではないか。

高価な物ではないことは、私も買っているので分かっていました。
たぶん前の持ち主はこの茶碗を記念品としてか何かで貰ったのであり、思い入れもなく、一度も使われることなく茶道具屋に売られ、楽天に並ぶことになったみたいです。

安物ですが、手に持つとホッコリと馴染む良い雰囲気の茶碗です。
先生もその茶碗で飲まれて「これは良いよ。家でこのお茶碗でお茶を点てなさいよ」とおっしゃいました。

ただ、楽天で、実物を見ずに安物を買ったことについて「たまには実物を見てちゃんとした物を買うように」ともいわれました。
眼を養うという意味で、ちゃんとした物を、身銭切って買う必要もあるみたいです。
(そうやって買った高価なお茶碗でも、濡らすと臭くて使えないことがあると思うと『なんだかなぁ』ですが。)
なるほどと思うような購入の仕方なども教えていただきました。

焼き物の話から、信楽焼の窯元の主催する本格的なお茶事の話になり、コロナが収束したら皆で行こうということになりました。
去年からお茶会もお茶事もすべて中止で(というかそれ以外のイベント的なものも大半が中止なのですが)、お稽古ばかりなのですが、コロナが収束したら皆でそれこそ弾けまくるんじゃないかと思います。

ちなみに私のワクチンの予約は、かかりつけ医で1回目は7月中旬、2回目は8月上旬に決まりました。
菅さんの言う、高齢者は7月末までになんてのは無理みたいです。


                    


雨の中、庭のお花達が元気です。
ホタルブクロは三つの花を咲かせました。


一日花のデイリリー(ヘメロカリス)も毎日違う花を咲かせ続けています。


梅雨時の花の定番、アジサイも咲きました。


サツキももうすぐ満開です。


鬱陶しい日々ですが出口があると信じて日を送っています。

4時間ルール 「茶是常識」

2021年03月24日 | 茶道
遅まきながら、最近、茶道には4時間のルールがあることを知りました。
正確には、茶事は4時間を目途に行うということです。

茶事というのは、本来の正式な茶会のことです。
私も一度だけ経験しました。⇒ここ

茶事はお料理をいただいたり、濃茶と薄茶をいただいたり、結構色んなことをします。
それに掛かる時間が4時間程度ということらしいです。

そこから敷衍させて、人の家に招かれた場合、滞在時間は4時間を目途に帰るべしということみたいです。
もちろん、行った先で何かの作業があるような場合は別です。

私がそれを知ったのはたまたま家にあった本「百の手すさび」で、です。
この本、他のお茶関係の本と一緒に紐でくくられて家のベランダに置かれていました。
紙資源のゴミの日に出すためです。
本は4、5冊ありました。その内の2冊。

正確にいうと、この本は滋賀県にある美術館、ミホミュージアムで行われた展覧会のカタログです。

私の兄はミホミュージアム友の会の会員で、展示が変わるごとにカタログが送られてきます。
そのカタログが毎回分厚くて重いし邪魔なので一括して捨てようと思ったらしいのです。
チラと見て、お茶関係の本だと分かったので私が貰いました。

カタログと言うとつまらなさそうですが、実際には出展された茶杓の写真だけでなく、色々論考も掲載されていて、読んでも面白いものでした。

その内の一つ、コラムに書かれていたのが「茶是常識」でした。


このコラムの内容は要約すると、益田鈍翁が茶の湯に出会って、そこから生活態度を学んだというようなこと。
この益田鈍翁というのは、本名は益田孝、三井財閥の基礎を築いた実業家で、同時に高名な数寄者、つまり茶の湯好きな人です。
(2019年京都国立博物館で展覧会があった佐竹本三十六歌仙絵巻を、1919年に37分割する音頭を取った人としても有名)

彼は1848年に生まれて1938年(昭和13年)に91歳で亡くなっています。
当時としては長生きだったのですが、元々は体の弱い人だったらしいのです。
その彼が30代で茶道と出会い、生活態度を茶の湯の決まりに則って健康を維持したらしいのです。

その一つが一汁三菜の食生活。
そもそも彼は茶事以外の会食の場には行かなかったようです。
茶の湯は禅の教えが基礎にあるので、食事もとても質素なものなんです。
それが良かったと彼は言っているわけです。

ただ、実際の茶事の懐石は質素とは言えないように私には思えます。
基本となっている一汁三菜自体、結構おかずが多いと思います。(そこに香の物はカウントしないのが通例)
栄養バランスも良くて現代でも推奨ものです。

私が子供の頃の家の食事は、言葉の正しい意味で質素で、量に不足はないものの、汁物がないことも多く、ご飯+二菜くらいでした。
それを考えると贅沢なのです。

まして明治大正の頃の財界人が催す茶事の懐石は、亭主のおもてなしの気持ちの表れか、フランス料理風にアレンジしたもの等工夫が凝らされていたみたいです。
はっきり言って物凄く贅沢なものだったでしょう。

ただ、さすがに茶事では、一つ一つの料理の量も上品に抑えられて、あっさりとしていた筈です。
彼は財界人でしたので、酒宴にでも招かれればご馳走攻めだったと思います。
彼はお酒は飲めなかったので食べる一方になり、それは避けたのだと思います。

ちなみに茶事ではお酒も出ますが、料理にはお酒の肴の意味はなく、だから最初からご飯も出てきます。
茶事の料理はあくまでお茶を美味しく飲むためのものなんです。
やたらめったらお酒を飲まないだけでも健康には良い筈です。

もう一つ、『これは 』と私が思ったのが冒頭の4時間ルールです。
茶事とは関係なく、長っ尻というのか、人の家によばれて、なかなか帰らない人がいます。
5時間でも10時間でも、それこそ日が暮れても、寝ないでも、人の家でおしゃべりしたい人というのがいるのです。

招いた方は「帰って下さい」とは言えません。(内心、二度と招くもんかとは思いますが)
そこで、滞在は4時間と決めていたなら、招く方も招かれた方も本当に助かります。
それを常識とするということらしいです。

そういうわけかどうか、益田鈍翁は「茶是常識」という言葉を好んだみたいです。
実際それが心身に優しかったのだと思います。
正直、人との長時間の交流が苦手の私にも大賛成の常識です。
よんだりよばれたりの人との交流は、ご馳走と同じで、4時間程度の短時間だからこそ意味があると思うのです。

ところが益田鈍翁のエピソードを読んでいると、常識的とは思えないことも書かれています。
若かりし頃、彼がまだ茶道に興味がなかった頃の話です。

知人の家に行くと、羊羹が置いてあったそうです。
甘い物に目がなかった彼はそれを食べる為に近くにあった茶杓で羊羹を切り、パクついていたそうです。
それを見つけた知人の茶道の師匠から大目玉を食らったという話です。

幾ら甘い物が好きだからといって、知人の家の羊羹を許可なく勝手に食べるかなって思います。
しかも茶杓で切るって・・・・💦
後に大茶人と呼ばれることになる益田鈍翁らしいお話です。

茶人に好まれるという侘助の花です。



断捨離寸前にデビュー

2020年11月26日 | 茶道
昔、むかーし、亡くなった母が人から貰ったらしい茶碗が一つ、食器置き場に置いてありました。
大きさも微妙に大きいし、一つだけだし、何に使うもんやら分かりませんでした。
たまに紅白なますのような酢の物を作って入れたでしょうか。

でももう何年も使わないし、邪魔になるし、捨てようと思って出してみました。
それではたと気がついたのです。
これは抹茶碗だと。
抹茶を点てるお椀じゃないかと。


模様の入り方など、どう見ても抹茶碗です。
茶道を習い始めて3年、私もようやく抹茶碗が抹茶碗だと分かるようになったのか(笑)。
20年近く、正体が分からなかったとは、いやはや、情けない話です。

この話を先生宅のお茶のお稽古の時に話したところ、先輩が「それ、公民館のお稽古の時に持ってきて」というので、その次の公民館のお稽古時に持っていきました。
(私は隔週で公民館と先生宅の稽古に月計4回通っています。)

かくして、断捨離寸前のお茶碗が多くの人前に晴れてデビューしたのです。
「安物の茶碗ですけど」と謙遜して言うと、いつも辛辣な物言いの先輩の一人は「そうやね、上から見たら真円やわ。大量生産品やね」と。
『言うか、それを!!』
でも一つ勉強、口造り(口をつける部分)が真円だと機械で作った大量生産品だと考えてよい。

離れた場所で聞いていると、この茶碗について皆が色々と言ってました。
「こんな茶碗あった?」という問いには誰かが「みどりさんの家の蔵出しの茶碗です」と答えています。
私の家、蔵なんてあったっけ。

先生も遠くから目ざとく見つけて「あの茶碗は初めて見る」と。
そしてじっくり見ると「あんまり使っていない茶碗やな。こなれていない。今の時期には丁度いいわ」とか。
こんな茶碗でも使いこむとこなれるのかしら。

無事にデビューもすみ、今では家の食器棚に飾ってたまにお茶を点ててます。