みさこのひとりごと

徒然なるままに思いついたことを書き綴っていきます。

頼久寺と延命寺

2010-11-01 14:45:13 | 旅行
頼久寺と延命寺

 

先日のことです。親睦の旅で岡山県は高梁市の成羽にある頼久寺と延命寺に行ってきました。

文字通り命が少し延びたような気がします。気のせいかな?

そこで頂いた精進料理の工夫に驚かされました。詳しくは下の写真をご覧ください。

 

頼久寺庭園

干支の馬

羊一緒に

蛇ヶ足もとにまるまっている

よく手入れのされた庭園

庭園その2

庭園その3


天柱山安国頼久寺は、臨済宗永源寺派に属し、その草創は不詳であるが、 暦応2年(北朝年号1339年)足利尊氏が再興して備中の安国寺と号した。
当時、中国から帰朝して備中備後路を巡錫中の寂室元光禅師(正燈国師)を迎請して、開山第一祖とした。
後に永正年間(1504年)備中松山城主、上野頼久公は寺観を一新した。    頼久公は、大永元年に逝去したので、頼久の二字を加えて    安国頼久寺と寺号を改称した。平生はただ頼久寺と呼んでいる。
  尚、当山の御本尊は聖観世音菩薩で、備中西国第5番の札所であり、 昭和63年3月に開創された瀬戸内観音霊場第13番の札所でもある。(こちらを参照

延命寺

延命寺本堂


寺の名前をズームイン
延命寺は、元和2年(1616年)岡山より訪れた龍宜和尚が、当時長崎で流行していた疫病を治す事と港を出入りする多種の船舶の海上安全を祈願する為に建立されました。
その後まもなく、長崎奉行直々のお達しで「長崎界隈総祈願所」として宗旨・宗派にこだわらず、今でいう全市民的な盛り上がりを見せて参りました。
京都総本山仁和寺との関係も深く、代々住職は、真言宗発展の為多大な貢献をして来た事もつとに知られております。又、入口の山門は、明暦3年(1657 年)第二世住職尊覚和尚の時、長崎奉行所立山役所の門をそのまま移築したもので(形式は変わっていないが、現存は門扉のみ)、当時の奉行所との親交も深かった事がうかがえます。(参照ページ


ベンガラの里もここから遠くはない



豪華に見えますがこれ、精進料理なんです

右上のイカの刺身の正体は海藻で出来ているんですよ。一の膳右の上はなすびのきんぴらです。
良くできていると思いませんか?