◇ 全ての知恵を越えたる智慧 ◇
* すべてが落とされた後に
あなたは再び世間に帰り着く・・・ *
私達は今日まで
自分自身の問題で
周囲に負担をかけ合う馬鹿げた事を
気づかぬままに生きていた
それも さも当然のように
それらに気づき
あらゆる事を あなた自身の
問題として引き受けた時
それは 例え
理不尽で99%の原因が相手に有る様に
見える問題さえも相手の中に事の原因を見い出し
相手の所為にするのではなく
それは
とても難しいけれど
あなた側の1%の中に
原因を見い出せた時
そんな癖が あなたについたら
事は
既に 解決に
向かい始めてしまう
こんな事が
出来る様になる事は
当り前の事であって
決っして誇れる様なものでも
誉められる様なものでもない。
常に
その辺に 視点が定められていたら
あなたの成長は 止どまるところを知らない。
もっと もっと当り前になって行く
まるで当り前すぎて 人の目には映らない。
あなたは
居るのか 居ないのか 解らない
まるで存在感が無い・・・。
必要も無いのに
自己を誇示するような
見せかけの つまらない
存在感と云うものが まったくと云っていいほど無い。
でも あなたは
一歩一歩 着実に当り前になって行くし
あらゆる事をやって行く。
そして
あなたは常に
真のあなた自身を生かす。
常に
活き活きとしている
まるで存在感がない・・・。
しかし
ごく感度の良い人間達になら
理解できる本当の存在感がある・・・。
大きな引力
「空」本来の人間の 在り方
当然なる人間の生き方
あたり前な生。
ただ
まだ そこに至らない
人達から見たら
その生は
本当に途方もない
有り余る生だよ。
けれども
そこに至った人達は
口を 揃えて言う
ただ
当り前になっただけだと。
だから
私の話しを通して
あなたを連れて行きたいところは
今までは
内面が異常なのに
外側では正常を
当り前を 装っていたものを
内面を正常に
当り前になってもらい
勿論 外側も 正常に当然なってくる
それで
世間に帰えれば
何ひとつ
問題は生まれ出さない。
混乱は
生まれ様が無い
なんでも全てが 可能に成り 長続きする
本当の人間の生だ。
ところが
多くの人達が
一番 引っ掛かってしまう所は
今まで内面が
異常だったのは知っているから
その異常さを 混乱さを
外に
見せない為に
必死で戦って 外側に正常さを作り出して
装っていた。
これは
その次元に いる人にとっては
非常に意味があった。
しかし
今度は内面が 正常になり
当り前になっているから
外側に正常さを作り出そうなどという
馬鹿な事はしない。
内面が
正常になったその人の周囲には
正常な空気が流れ出ているだけで 防壁がない。
すると
世間に歩み出て 行く事によって
そのものが 壊されてしまう様な感覚を持ち
それを
守ろうとする様な考えや
無意識から出てくる守りの癖と
一諸になってしまう・・・。
本能的な防御と一諸になってしまう。
こうして
またもや わざわざ自分で
混乱を作り出してしまう・・・。
それは
あなたが
もっとも奥深い場所に有る
まだ一歩も歩いたことの無い
一見 ひ弱そうに見える 本物の自己で 空間で
世間への一歩を踏み出した時に 消え去り
まさに
当り前の生を
楽しむ事が出来る様になることだろう。
今まで 私は
第四の知恵講座を終了した人達に
この内側の内面の混乱を 治める為に
ただ「空」に
至る道のみ 説いて来た。
「空」に至る道に
重点を置いて話して来た。
と言うのは
まだ 多くの人が
この「空」の状態にさえ
至っていなかった為に
そこを 力説せざるを得なかった。
だが
今 第四の知恵 以降
この「空」に至る道を歩んで来た人達の為に
100%そこに生ききった人達の為に
「さらなる道」を開示したい。
もっと
当り前になる為に
人は まず「空」に
至らなければならない。
それは
内側の 内面の
混乱を治める為の
たった ひとつの可能性だ。
そして
ここが イエス ブッタと
様々な人達の至った
ごく 当り前のところだ。
だが
僧侶でも無く
山に 篭って
生きて行くのでも無い あなたは
もし
此処で
立ち止まった
ままでいては 生きられない。
世間に生きる
あなたは この「空」で
立ち止まったままでいると
更に深い混乱を引き起こしてしまう。
この「空」に達し
混乱を治めた
あなたの内側は 内面は
静かになり
「空っぽ」に 成る
これを 私は 正常状態という。
この
正常状態を
今度は 世間の中に 持ち帰える。
正常状態の
「空」に至った状態で
ありと あらゆる事を実践する。
これが
ちょっとばかり
勇気がいる・・・。
なぜなら
まず始めに
あなたが 当たり前の様に身に着けていた
防壁が バリアーが 今は既に 無い。
本能的に備わっている防壁を超えるのは
とても難しいからだ・・・。
そして次に
以前の あらゆる事を
やっていた時の 基と成っていた
原動力と成っていた 見栄や 憎しみや
何も かもが もはや 無い。
それを基に
何かを やっていた基がないから
勢いが出ない・・・。
勢いとなる基も 無い
「空」のまま世間に入る事は
とても恐い・・・。
そこで
此処までの事を
成長課程で得た知識を
基にして 入ろうとする
これも当然駄目だよ
元の木阿弥に成ってしまう。
何も
無いまま
ありとあらゆる事をして行くと
目の前の
ありと あらゆる事柄の
問題が目につく
今までは
当り前にして
やっていた事が
問題だらけである事に 気づく
その自分の
目の前にある問題を
ひとつ ひとつ 片付けて歩く
何ひとつ問題は
無くなってくる
すべてが可能になる。
すると
その積極性は
内面の「空」に
豊かさ 深みを与え出してくれる
そして
その豊かさ
深みのついた「空」は 内面は
外側の
積極性の手助けとなる
深く純粋な視力を与えてくれる
何ものにも基づく事のない ただの視力だ。
その視力で
行動を起こす
その積極性は 運動だ
更に内側の「空」に 深みを与える。
静かなる物と
ダイナミックな運動とが
本来なら 互いに対立してしまうもの同士が
互いに共存し
互いを補ない合い
高め合い 活かし合う
それが
1人の人間の中で
素晴らしい調和によって 活きている
自からの手で(自からの内面が)
自からを助ける事が(自からの外側を運動を助ける)
成長という結果を 産み出す。
それに連らなる様に
表らわれ出る様々な結果は
全て こちらは満たされた後にやって来るものばかりだ
だから見返りなど必要としないし求めない。
視点は
あくまで
内側の成長にあり
そこで満たされ続けられる。
外側に
現れる結果を見て
そこに視点を 合わせている
そんな薄っぺらい 幸福感じゃない・・・。