◇ 風の様に在る道8 ◇
生は
もっと 奥深い
もっと 神秘的だ。
それを知る為には
二つに区分されている
この二次元の間を
運動する事によって
やがて あなたは
その相反する二次元とも
後にする事が 出来る様になる。
そして
さらに運動を続けて行くと
その運動は 物事への深い理解を与える。
それ自体が
良いか 悪いか
などと言う理解じゃない
その二つの間を
運動している間に
出くわす全ての物事に対する理解を
あなたに 与えてくれる
そうなって
始めて
あなたは 生と出逢える。
必要としなくなった運動は
どんどん落ちて行き
必要とする運動が 次々に現われる。
成長につぐ成長
真空は 活き活きとし死なない
常に流れ続けている 生き続けている
生と死を繰り返し続けている。
だから
常に 新たなる
真空さがある
この成長こそ無限だ
どこまでも
どこまでも広がる一方だ
それは 宇宙の様に果てしない
無限の広がりを持っている。
新しきものに出くわし
古きものを後にする。
次の瞬間
その新しきものは 古きものとなり死ぬ
息を引き取る 消え去る。
そして
新しきものと出逢う
毎瞬 これが繰り返されている。
この連続こそ生だ。
何かに
ぶら下がったり
一緒くたに 成っている暇なんて無い。
それが無限の成長だよ。
真空状態の中を
生は 通り抜けて行く
その生に 波長を合わせること。
ただし
真空状態の中しか
生は通り抜けられない。
あなたの
内側に 何かしら
ちょっとしたものでも有れば
もう 生を あなたは味わえない。
生は
流れ続けて来るけど
それは あなたの直ぐ脇を通り過ぎて行く
あなたは それに気づかない
あなたの内側が
真空状態となり その内側を
生が通過し続けている時にだけ あなたに成長がある
それは
やっぱり いつも言っている通り
あなたが 居なくなった時だろうね
あなたが 消え去った時だ・・・。
そして
それには最大のコツがひとつだけある
毎瞬 あなたが死に続けられる事だ。
本当は
生と死を
毎瞬味わえる事だと言いたいけれど
例えば あなたが20歳なら
あなたは20年間 生きても来たけれど
既に20年間 死んで来てもいるんだよ。
何も あなたは最後に まとめて死ぬんじゃない。
それまでの間も ずっと死に続けてもいるんだ。
生きて来ている自覚は有っても 死んで来ている自覚は無い
あなたは いつも
何かを 生かしっぱなしで
生の方だけは しっかりと握り続けているから
毎瞬
死ねる事だよ
毎瞬 壊し続けられる事。
毎瞬
死んでいる事に
気づき続けられる事
この気づきが
有りもしない思考や感情を
壊してくれることになる
「あっ・・・これって さっきのだ」ってね
たったの
それだけで既に無くなっているものを
ちゃんと無くしてくれるし 死なせてくれる。
あなたの中に真空地帯を
産まれさせてくれる。
嫌 そうじゃない
あなたの中に毎瞬 産まれ続けている
真空地帯に気づいて上げられる。
そこにこそ
新たな生は降り立ち続けているのだから
それを感知できること。
そうじゃないと
新たなる生が 入って来れないじゃないか
それが
出来ないでいるから
悩みは 生まれるし
恐怖も生まれて来てしまう。
なぜ恐がる?
無くなったものを・・・
既に無くなっているものを
ちゃんと“無くなっている”と自覚することは
ちっとも恐いことではない。
だって事実に対立したら
あらゆるものが恐くなってしまうよ。
あなたの恐怖は あなたの手で作り出しているんだ・・・。
死は恐くない
死は誕生でも在ることを
あなたが生きている内に簡単にレッスン出来る。
それが出来ないから
あなたは 活き活きとせずに
どんよりした 曇り空の様に 成ってしまう。
死の恐怖から解放されて歩く生
何の囚われも無くなってしまった生
そんな生を あなたにも ぜひ味合わせてあげたい。
あなたは
見事に晴れ渡った
生 そのものに成ってしまう・・・。
何であれ
あなたが ひとたび
何かに 囚われたりして
そのことについて 考え出した途端に
あなたは あなた独自の世界観を 持ってしまい
その
あなた独自の世界観で
ものを見始めれば
次々に
囚われを産み出し続け
あなたには 何ひとつ
リアルな あるがままを
見られなくなってしまうからだ。
誰に対しても
どんなことに対しても
決っして 偏るべきじゃない
その偏りが
囚われを産み出してしまう。
もっと
運動が必要だ
反対の極へ行って ものを見てごらん
それが 逆に見える
すると
どちらに 囚われたり 偏ったりする事は
自已を 捻じ曲げてしまい
そんな あなたで歩いたなら
すべてが狂いだしてしまうという事実を
あなたは目にすることが出来る。
私は
そのあなたの世界観を
あなた自身が作り出さなくなる道を伝えたい
最終的には
その一点だけを伝えている。
だが
その一点だけを見つめても
今のあなたが それとは ほど遠い位置に有るのなら
かえって その一点を見つめて歩く事は
あなたの障害となってしまう事に なりかねない
だから
私の言っている事にすら
捉われる必要はない。
それで
あなたが苦しくなって
しまうのならば
今はかえって
それから離れ出した方がいいだろう。
だが
それを機に
そこから あなたは あなたの生を
生き始めることだ。
この事にかぎらず
全てを あなたの意志で決定しだす。
全てだ
何ひとつ例外なく
あなたは あなたの意志だけで生き始める
すべて
自分の決めた事で歩き出す
すると エゴは その意志は太りに太る
やがて
その実は枝にしがみついては
いられなくなり一人でに 実の方から
地面にポトリと落ちて行く。
この地点にまで
今のあなたには
歩いてくる事が必要だ。
その地点で始めて
私の話しは 囚われる事なく
実感として聞きとれる。
実感で聞きとれたなら
頭で聞いている訳じゃないから
あなたの頭には こびりつかない。
あなたが
まだ理解できていないから
理解できるまでに成長していないから
それを頭で聞いてしまい
わからなくちゃいけないとした時に
あなたは 囚われだす。
それが頭に こびりつく。
もしも
実感で聞いたなら
その言葉は あなたの真空状態の中を
流れ通って消えてなくなる。
だから とらわれようがない。
エゴを
自己意志を
太りに太らし
それ以上 大きくなりようがなくなり
大地に
エゴの方から ポロッと
落ちて行く地点まで
歩き切っておいで。
そして
あなたが帰えってくる
それまで私は待っているから。
そしたら私の話しは
きっと うっとおしくはなくなるよ。
悪魔のさけび声には聞こえない。
それは
通り抜けて行く
風と同じ様なものだろう・・・。