◇全面降伏・・・◇
どうして
部分的では いけないのか
どうして全面的に認めなければ
役に立たないかを
イエスの
言葉を借りて 説明すると
イエスが
何人かの弟子達を 連れて旅をしていた。
その旅の途中
ある お金持の屋敷を
通りすぎようとすると
その屋敷の主が
イエスの一行を見つけて
召使いに 言いつけ
屋敷内に招き入れた。
そして
旅の疲れを癒した
イエスの一行が再び 旅を続けようと
身支度を
整えている時
その屋敷の主が イエスに言った
「 私を あなたの弟子にして下さい
もしも 願いを聞き入れて下されば
私は 私の今 持っているすべての財産の半分を
貧しき者達に ほどこします 」
それを聞いたイエスは…
イエスとは言わなかった?
首を縦には ふらなかった
「 何故半分なのか
あなたの 持っている すべてのものを
投げ打って 貧しき人達に与えられるなら
私は あなたを弟子にしょう 」
主は
困ってしまった
そこまでのつもりは
無かったからだ・・・。
そうして
こう思った
「 イエスという
この男は 何て事を言うんだろう
折角 私の持っている半分もを
失なおうという気でいるのに
今までは 半分だって そんな気にさえ成らなかった
それを この私が 折角 最大限に
こんなにも 考えて上げているのに
この男は 一体 何て事を言うんだろう
私の善意が伝わらない
こんな男の弟子になったところで 先が見えている 」
そう考え
その主は それを断ってしまった。
だって
それでは あんまりだ
半分までだったらいい
でも
全部だったら
今までの私が 私でなくなってしまう。
これが
あなた方の心と言うものだよ。
イエスは
今までの あなたなんか
消えて 無くなって欲しい
今までの
あなただったら
私の弟子になる事など
不可能だと言っている。
今までの
あなたで 有るから
苦しみや 悩みが生まれる。
それは
今までの あなただったら
必らず 生まれて来てしまう
悩みや 苦しみだから
まずは
一番の最初に
今までの あなたなど
無くなってしまう事が始まりだ。
にも拘らず
その最初の 第一歩が
一歩を踏み出せずに
半歩だとしたら・・・。
これはもう
話にならない。
半分までなら
捨てられると言うあなたが
今までのあなたの 人生全体に現れている。
それは
ずっと そうだった
あなたが まだ幼い頃からの歩き方だった。
ワンパターンだよ
もっとも重要な第一歩を
半歩しか踏み出さないあなたは
多分 ずっと そのままだろう・・・。
大切なのは
この一歩だ
なのに あなたは
半分は ちゃんと捨てたと言い張る。
そう
半分は確かに捨てたけど
残りの半分はどうした?
依然として
ちゃんと守っているじゃないか
そしたら それは自分を守っているという事に
関しちゃ以前と少しも変らない。
前の
まんまだ
これでは あなたは
何にもしてないのと同じ事になる。
全部を
捨てられない限り
たとえ 90%を捨てられたとしても
それは同じだよ
守っているのには変りはない
私も あなたに 同じ事を要求する
あなたが
もしも本当に
これに気づきたいのなら
「 ほとんど
間違っていた事は 認めたけれど
このひとつだけは 違います 」
なんて言うのは認めない。
100%だ
完全に全部だ
真実に対しての全面降伏だ・・・。
その時でなければ
私の言っている事など
あなたには 聞えないだろうし
私の
言っている事が
真実以外の何ものでもないことを
あなたは
実感として
捉える事は出来ないだろう。
実感で捉えることが出来なければ
あなたに 復活は 再生は起らないだろう。
いくら必死で こんな話しを
頭の中に掻き集めたところで
あなたには 何も起きはしないだろう。
そんなことを したところで
知識として持ち歩き
人に話して優越感に浸る事が出来る程度だ。
私は あなたに
そんなものを伝えたいわけでは無いのに・・・・・。