この道の果てまで・・・

ただ純粋に ただ一途に歩む時
突如として それまでとは まったく違う
次元の異なる大地が あなたの目の前に姿を現す。

人の気持ちの捉え方

2009-11-06 11:04:35 | Weblog




今日は 更に深く 

あなたの1番身近な人に
 
あなたが 知らずに与えていた痛みが

一体どんな痛みで有ったのかを

実感で味わう事をしていきます。




昨日の説明で少しは考えてくれましたよね・・・。

実際に書いてみた方もいれば 

頭の中の想像でやった方もいることでしょう。




相手に成って行く過程で 

多くの人達が1番最初に陥ってしまうのが

会話の部分は問題ないのですが 

相手の気持ちの部分を

気持ちを使わずに 頭で考えてしまい 

その頭で考えたものを気持ちとして

勘違いしてしまう事です。

これでは 全くと言っていいほど

相手には成れていませんし

相手の本当の気持ちも見えてきません。




なぜ相手の気持ちを解かる事が 

そんなに必要なのかというと

実は あなたのやっている毒の塊を

相手に流す事を止めたいだけでは無いのです。




あなたが成ろうとしている相手は
 
あなたにとって 最も身近な相手であり

言ってみれば 世の中で1番簡単に
 
あなたが成る事が可能な相手です。




誰よりも“相手に成る”と言うことが

最も簡単に出来る相手なのです。

その最も身近で簡単に解かることが出来る筈の

相手の気持ちを 解かる事が出来なければ 

それ以外の人達で有る 他人の気持ちを 

果たして解っているのでしょうか?




にも拘らず あなたは

“自分は他の人よりは

人の気持ちが解かっている方だ”と

感じたり勘違いしたりしていた訳なのです。

それは ひょっとしたら とても怖い事かも

知れませんよね・・・?




私の所で実施している 通常の講座の時に

「今迄 あなたが 人の気持ちを考える時に
 
一体どうやって あなたは人の気持ちを

考えて来ましたか・・・?」と

私が質問すると  多くの人の答えは こうです。




「もしも自分が その人の立場だったら 

どう思うのかと考えた時に出てくる気持ちが 

その人の気持ちで有ったり その人の立場に

立つことだと思っていた」と。




いかがですか? 
 
あなたの答えも 同じですか?




残念ながら 

このヤリ方で出てくる気持は

あなたの気持ちであって

相手の人の気持ちでは有りません。




何故なら あなたが 

あなたの立場に立っているだけだからです。

出てくるのは当然 あなたの気持ちだけです。

相手の気持ちに 近いものですら有りません。




これは解かりやすく言うなら こうです。

池で溺れている人を見て 自分は池の淵に

立ったままで 溺れている人を ただ眺めながら

「解かるな~あの人の辛さは 苦しいし 冷たいし
 
いつ死ぬのか解からない恐怖だって襲って

きているだろうし・・」と言いながら 

その人の立場に 立っているつもりに

成っているのと同じす。




果たして これで 池で溺れて

今にも死んでしまいそうな人と同じ立場に

立っている事に成るのでしょうか?

そして その人の気持ちや 痛みが 

本当に解かるのでしょうか?




そんな事は有り得ません。




もしも本当に解かりたいのなら簡単です。

池の中に飛び込み 例え あなたが 

泳げたとしても泳がずに溺れてみることです

条件を全て同じにして 初めて 少しだけ
 
その人の気持ちに近づく事が出来ます。

それでも厳密に言うなら まだ違うのです。




何故なら その池に溺れた場面までの

過去の体験のすべてが あなたと
 
その人とでは全く違うからです。

当然感じられ方は違いますよね・・・。

例えば その人が過去に

池で溺れた体験が有って 

あなたには無いのならば

その人の恐怖感たるや 

泳げる あなたが 今だけ

溺れる真似をするのと訳が違います。

あなたの想像を遥かに超えています。




だから 1番身近な人が1番簡単に 

あなたが成れる人なのです。

だって その人の情報を他の人よりは 

あなたが1番多く持っているでしょう?

少なくとも 他人よりは過去の事でも 

多少は聞いている筈ですから・・・。




さあ再び挑戦してみましょう。




相手に成ろうとし 

相手の気持ちを解かろうとした時に

多くの人が1度目に陥ってしまうのが 

この様に頭で考えた気持ちを

相手の気持ちだと勘違いをしてしまう事です。




そして次に陥ってしまうのは

相手の気持ちの部分を頭で考える事は 

やめてくれるのですが・・・。

今度は全てを感情で書いてしまうのです。

感情が気持ちだと勘違いしてしまうのですね。

確かに頭は使いませんが・・・。

これは 皆さん 最初に書いてくれたものより

ずっと早く書き上げてしまいます。




当然ですよね。

だって最初は頭を使って

考えながら書いたものです。

今度は感情ですから 考えませんし
 
ずっと早く書けてしまうはずです。




でも それは ここで言う
 
気持ちというものでは無く

“文句や注文”の羅列になってしまっています。




此処までの事を 少し別の角度からの

話しによって説明したいと思います。




私達の中には 3つの次元が存在しています。

違う言い方をするなら
 
私達は3つの次元を同時に生きています。




1つ目の次元は“社会的 生の次元”

2つ目の次元は“自然的 生の次元”

3つ目の次元は“存在としての 生の次元”




1つ目の “社会的 生の次元”

というのは 沢山の人間が争うこと無く

生きて行く為に作り出した人間独自の世界 




例えば 道徳で有ったり 

理想の人間の姿を追い求める次元で有ったり

簡単に言うと あるべき論の世界と

捉えれば解かりやすいかも知れません

完全に頭の次元であり 私達の実感で言うなら 

それは思考する次元です。




2つ目の “自然的 生の次元”

というのは 動物達と同じく

本能の次元です。私達自身の生や 

自我を守ろうとする為なら

他とも平気で争い合ったり

殺しあったりする 生(ナマ)の次元です。

私達の実感で言うなら 感情の次元が

その自然的な生の次元に1番近いかも知れません。




3つ目の “存在としての 生の次元”

私達は この次元でも 

確かに生きているのですが 

この次元としての自覚は 

とても薄く感じづらいものに成っています。

何故なら 直ぐ上の次元である 

感情の次元が 余りにパワフルで

どちらかと言えば 静かに立ち昇る

蝋燭の炎の様な この次元を多くの人は

感じられなく成っているのかもしれません。

私達の実感で言うなら 

心情の次元と言っておきます。




更に解かりやすく説明すると

1つ目の思考の次元というのは 

例えば「明日は何時に家を出て あのバスに乗って

会社についたら これをやって あれをやって」と 

全て当たり前の様に 考えていない様で 

ちゃんと無意識に頭で考えながら行動している部分を言います。

もうひとつ別の言い方をするなら 建て前の世界です。

此処で生きている人からはパワーは余り感じられませんし
 
魅力も感じられないかも知れません。

従って異性からも余り好感を持たれないかも知れません。




2つ目の感情の次元は そのままです

「うるせ~とか 馬鹿野郎~」とか

「文句が有るなら言ってみろ~」とか

力で相手を威嚇したり 制圧しようとする世界です。

誰でも直ぐに実感できる 言葉や行動や表情や雰囲気や
 
自分の中の その場所から出ている 全てを言います。

凄くパワーが有ります。魅力も有ります。

でも単純ですし どちらかと言えば 馬鹿です(笑)




若い頃 私も これでしたから良く解かります。

今でも少し名残が有るのかな?(独り言です)




人と争うことが多く 毒も沢山 

撒き散らしてしまいます。

そして その毒は最後には自分に向かいます。

あなたのパワーは 相手も切りますけれど
 
自分も切ってしまいます。

確かに 一時的な完成を築き上げることは

出来ますけれど 長続きしません。

何故なら 無理をして 背伸びをし続けているからです。

一体 その無理や背伸びがいつまで続きますか・・・?




此処は思考の部分で有った 

建て前の世界の対極で有る 本音の世界です。




周りの人達を見て下さい 多くの人が 

このどちらかに重心を置いて生きています。

思考の人 感情の人・・・・そして その両方を

行ったり来たりしながら使い分けている人・・・。




















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