浄心庵・長尾弘先生「明来闇去」

 ~ 誰れもが幸せになれる御教え ~

明来闇去

2020-11-14 00:32:27 | 明来闇去

           恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

           第四章 「思い変え」こそ幸せの扉を開ける鍵

          ◆人間は環境の中よりも思いの中で生きている◆


私たちはこの環境の中に肉体を持って生きていると思っています。
そして、幸不幸を左右するのも環境だと思っています。
私はこんな環境だから幸せになれないのだとか、
別の職場に移りさえすれば幸せになれる筈だとか言って、
私たちは何でも環境のせいにしたがります。
が、果たして本当にそうでしょうか。

この肉体が空気、水、太陽によって育まれ、雨露をしのぐ屋根の下に住んで、
家庭や職場といった人間関係を含む環境の中に生きているのは確かです。
では、空気がきれいで、水が良くて、気候も温暖で、十分な広さの家を持ち、
家族に囲まれ、生活の糧を得るための職場が与えられたら、
毎日は幸せと言えるのでしょうか。

誰が見てもうらやむような完璧な環境の中にあっても、
本人の心が満足していなければ幸せとは言えません。
ダイヤモンドやサファイアの輝きに燦然ときらめくたくさんの照明と、
大理石の床や金の壁や銀の柱で荘厳された御殿のような大邸宅に住み、
金銀財宝に埋もれて暮らしている人がいるとしましょう。

しかし、やれ床が冷たいだの光がまぶしすぎるのだと言って心に
不平不満をいだいたり、
泥棒が入って財宝が奪われたりしないかという不安や恐怖の思いを
持っていたらどうでしょう。
その人の心は決して満足でも平安でもなく、はたから見るほど
幸せではないはずです。

一方、古い諺にある「竹の柱に茅の屋根、筵を垂らして壁戸の代わり」
というような粗末な家でも、
この竹の柱のお陰で屋根を支えてもらい、茅の屋根のお陰で雨露をしのぎ、
筵のあるお陰で風を防いでいただくと思えば、そこは天国です。
質素な生活をしていても、わずかな物で足りていることの幸せに
常に心が感謝に満ちていることでしょう。
すると、どんな環境の中にあっても、
心の持ち方さえ感謝と喜びに向いていれば、
その人は幸せだということになります。

私たちは現在与えられている環境や境遇に対して、
それをそのまま有難く感謝して受け取ることがなかなか難しく、
何かにつけ不足な点を見つけては嘆いているものです。
感謝の理由を挙げるよりは、不満の理由を挙げるほうが得意です。
ところが、心の羅針盤が感謝のほうに向いていれば、
朝起きて太陽を見ても、顔を洗っても、
ご飯をいただいても、お手洗いに入っても、道を歩いても、
常に有難いはずです。

反対に不満のほうに向いていれば、何を見ても、
何をしてもつまらないでしょう。
人間関係も環境の一つです。
親切で温かい人々に囲まれ愛されていても、
独り心に深刻な悩み事をかかえていれば、
決して幸せとは言えません。
周囲の人も他人も心の中に入って思いを変えるわけにはまいりません。
反対に厳しくつらいことの多い職場などの人間関係でも、
それを精神を鍛えるためのいい機会であると思えれば、
かえってそれらの人々の存在が貴重に思え、
そういう環境にも感謝できます。



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