浄心庵・長尾弘先生「明来闇去」

 ~ 誰れもが幸せになれる御教え ~

明来闇去

2021-01-28 00:23:05 | 明来闇去
 
   恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

          第五章 心の曇りをとるための反省

          父母の恩を知り孝養を尽くすき


人生航路はなかなか厳しいもので、晴れた穏やかな日もあれば嵐の日もあり、
それにともない凪いだ海もあれば、荒れ狂う海もあります。
私たちはそうした海を航海していかなくてはならないわけですが、その際に
必要な人生の進むべき方向を示す指針を与えてくれるのが航海で言えば
羅針盤にたとえられると思います。

何をするにつけても、親が喜んでくれ、
その親の喜びの大きいほうを取っていきますと、
人生は間違いなく進むことができます。
長い人生では右か左かと迷い悩む局面も多々あります。
その時に親の喜ぶ道を選ぶという羅針盤を持っていない方は、人に頼ります。
つまり、拝み屋さんに頼ったり、自分の崇拝者に依存してしまったり、
あらゆる宗教の門を叩くうちに変な教団にひっかかってしまったりします。
何もそんなものに頼らなくても、両親の喜ぶほうへ進めば、間違いはないし
不幸になることもありません。

なぜかと言いますと、この世の中で誰よりも父母は常に子の幸せを思ってくださり、
その後ろには神がおいでになるからです。
私の父はよく「八人の子の中でお前の所に来た時がいちばん心が安らぐ」と
言ってくれたものです。
父が何度も同じことを私に話しても、
今はじめて聞かせてもらったかのような顔をしてそのまま受け容れていたので、
父としては居心地がよかったのではないかと思います。
しかし、実際に常に新しい気持ちで聞いたのです。

こちらが耳にタコができるほど聞かされても嫌な顔はいっさいしないで、
何回でも気持ちよく聞くものですから、きっと心が休まるのでしょう。
何回同じことを聞いても損をするわけでもありませんから、
逆らわないようにさせてもらっていますと、親はすごく喜んでくれました。
朝までしゃべってくれて、私は寝ながら「さようか」「さようか」と
聞かせてもらったことがありました。

「そうですか」と父の相手をするべき母も、「ようあれだけ話しがあったものだ」
とあきれていました。
親に対してはそのように尽くすべきだと思います。
私たちは、お父さんお母さんのご縁をいただかなかったら、
この世の存在は許されませんが、
両親は生まれた時からずっとそばにいてくださり、あまりにも親しすぎて、
親のありがたさが認識できないのです。


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