恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より
第三章 天上界への道
◆本当の神は罰など当てない◆
「神のみ名において赦しません」などと戒める宗教がありますが、
そんなことは絶対にありません。
神の心の中には責め裁く思いはありません。
太陽の心と同様に、神の心は無限の赦しです。
ただし、私たちの心は人に嘘をついても自分自身に
嘘をつくことは決してできません。
良心があるからです。
この良心が私たちが罪過ちを犯した時、
人は誰も知らなくとも自らを責め裁きます。
私たちが罰を恐れるのも、
私たちの思いの中に自らを責めたり裁いたりする心があるからです。
しかし、それが悔い改めて真理に目覚めるためならいいのですが、
ただ不必要に自らに罪悪感を背負わせるためにだけ、
自らを責めさいなみ続けるのなら、
これも一つの業であり、心に潜む魔です。
その時、自分の心は必ず苦しむはずです。
また、責める対象が他人であってもやはり自分の心は苦しみます。
もちろん、この場合相手の心にまで苦しみを与えてしまいます。
その結果、自分の心を暗くし、人様の心をも暗くしてしまいます。
そして、同時に心は重くなり、光の量は減ってゆきます。
それはなぜかというと、神の御心にない心というには、
光に対する影となって心に闇をもたらし、光の量を減らすからです。
自分の心が明るくならなければ、
いくら宗教をやってもなんにもなりません。
正しい法を実践すれば、正しいものの見方と正しい心の持ち方と
正しい言葉の話し方と正しい行いというものが、
その人の身に必ず現らわされてきます。
古い人格は消え去り、
それまでとはまったく違う生まれ変わったかのような
神の子としての本来性が現れてきます。
神様は、「己自身を苦しむることなかれ、己を愛し、
己を愛するが如く他を愛せよ」
とおっしゃいます。
そしてまた、「汝らの喜びは我が喜びなり、
汝らの苦しみは我が苦しみなり」ともおおせられます。
「我が心と汝らの心と想念行為を照らし合わせよ、
もし我が心と離れし箇所に気づかばそれを悔い改めよ、
その時、汝らの魂は浄まれり」というのが神の御心です。
私たちの誤まてる行為さえも神様は大きな心で赦されておられるのです。
いつでも自ら間違いを反省によって知り、悔い改め、
つぐないの行為によって挽回するチャンスをくださっています。
だから、やり直しがきかないということも、
罰せられるということもありません。
自分の失敗なり過ちを素直に悔い改めて、
二度と再びその間違いを犯さないようにすればいいのです。
「人は先に過ちを犯せども後に過ちを犯さざれば、
その人の世間を照らすこと、
雲を離れてひとり輝く満月の如し」という仏典の言葉があります。
現れては消えて行く実体のない現象界の出来事にいちいちとらわれることなく、
過ちを繰り返さぬ前向きな努力をしていけば、過ちを犯して、
それを自覚したがゆえにかえって新しく生まれ変わり、
今度はより立派な人格となり、世間の人々に光を放つ存在となれることです。
希望を与えられる言葉だと思います。
内奥の神の御心罪深き この身を通し示す現わす。
我が行為 神の御心あらわさん 父(神)の御心世に示さんがため