恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より
第三章 天上界への道
◆神を知りたければあの太陽を見なさい◆
完全に調和している神仏の心に自分の心がどれだけ近づいたか、
その度合いに応じた光の量があり、同じレベルの者同士が住む区域が、
明暗さまざまな段階に分かれています。
それがこの世でも魂の高さや低さ、霊格の違いなどという形で現れてきます。
神仏の心と己の心との違いを知ることです。
ところが、神仏の心とはどんなものか、神とはどのようなお方かを知らないと、
自分の心がそこからどれぐらい近いか、また隔たっているかもわかりません。
神を知りたければ、あの太陽を見なさい。
太陽の心とは太陽の熱と光に象徴される無償の愛です。
太陽は、自らの身を犠牲にし、自らの身を燃え上がらせ、自らの生命を燃焼させ、
その結果として現れる熱と光を放出して生きとし生けるものに
エネルギーを与えています。
この熱と光こそは神の慈悲と愛です。
地球がいただいている熱カロリーは一秒間に石炭二百万トンを
燃やすほどのものだそうですが、
それでもお日様から請求書が来たこという話は聞いたことがありません。
神の御心もこれと同じで、与え放しの愛です。
私たちは、人に何かしてあげたと言ってはつい見返りを期待したり、
要求したりします。
期待がはずれると相手を恩知らずと決めつけ、かっかりしたりします。
もし、与えること自体に喜びを見出すことができたなら、
どんなにか心が楽になることでしょう。
これこそが神様の本当のお気持ちなのです。
そして、本当の幸せというものもここから実感できるはずです。
得ること、取ること、奪うことばかりを求めていれば、
あくなき欲望のためにいつまでたっても心に安らぎはありません。
私たちも本質は神であり、神様とまったく同質同根の生命をいただき、
内に偉大な神の分け御霊をいただいております。
私たちが結果や見返りを期待することなく、
人のため世のために一生懸命に善き行いを積み重ねていったならば、
神様の御心をこの現象界の肉体次元に具現することが出来る筈です。
太陽の心とは、完全なる無差別平等です。
いかに社会的地位、名誉の高い方であっても、
また低い方であっても、いかに金持の方で
あっても、また貧乏な方であっても、健康な方にも、
感謝する人にもしない人にも、
宗教を信じる方にも信じない方にも、
まったく同じ量の熱光(神の慈愛)を与え給うのです。
もちろん、国境や言語や皮膚の色の違いをも超越してのことです。
太陽はどんなものにも差別なしに熱と光を与え給います。
それと同じく神も、私たちに対してまったく
差別なしに慈悲と愛を与えられています。
それを私たちは自覚できないでいるだけです。
知らないということは無智です。
無智なるがゆえに、
その大いなる愛と慈悲とをもって私たちを包んでくださる
神の懐の中に生かされながら、
私たちは神の子として当然行うべき愛を知ることも、
慈悲を行うこともできないでいるのです。
神様の御心を私たちが行い、実践させていただくこととは、
すべての人を好き嫌いなく、
すべての人に慈愛の心で接することです。
それは自分自身の幸せのためです。
太陽の心(神様の慈愛)は、人の過ちに対して絶対に
責め裁きをなさいません。
どのような罪深い者でも、すべて赦してくださっています。
バチなどお当てになりません。
完全なる赦しの心が神の御心です。
ただ、天に唾する時は、その唾は太陽(神)には届きませんが、
必ず自分にかかってきます。