恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より
第二章 必要なのは正しい生命観の確立
◆魂の修行という生命の目的を知ること◆
私たちはなんのために生まれてきたのでしょうか。
誰しもがこんな疑問をいだいたことがあるかと思います。
子供の頃になぜ自分はここにいるのかとふと思ったり、
青年期に自分の生きる道を模索して、
どんな生き方をしたらいいのかと思ったり、
また社会に出て障壁にぶつかり、このままでいいのか、
私の本当のなすべきことはなんなのかなどと悩んだりしたことは、
どなたにでも経験のあることと思います。
人生とは、人との出会いの中で展開してゆきます。
そして、あらゆる出来事を通して、悩み苦しむのです。
人と出会えば出来事が起きて来ます。
この出来事により、私たちは魂の修行をさせていただきます。
魂の修行とは、人間は人それぞれに素晴らしい面もあれば、
また素晴らしくない面もあります。
その素晴らしくない面を素晴らしくするためにこの世に
生まれて来ています。
自分の持っている悪い癖、欠点の修正です。
なくて七癖、あって四十八癖というほど、
人はそれぞれの心の癖を持っています。
その癖は遭遇する出来事によって引き出され、強く出て来ます。
わるく出る癖もよく出る癖もありますが、
特にわるい癖のほうは「業」と呼ばれています。
しかし、自分の欠点を直らないものと決め込んでいる方もおられます。
人間は不完全なのが当たり前だと信じていらっしゃいます。
赤ちゃんを見ると人間は生まれながらの天使であるとわかります。
それが成長するにつれて、心が曇ってゆき、天使失格となってしまいます。
縁ある赤ちゃんで一番早く合掌してくれた方は、
生後一か月で抱きかかえられながら
モミジのような手を合わせて綺麗に合掌してくれました。
また、生後九カ月で、
ハイハイがやっとできる赤ちゃんが綺麗に正座して合掌してくれました。
浄心庵にその写真があります。
正に小さな汚れなき仏像のようです。