りなりあ

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指先の記憶 第四章-47-

2013-08-21 17:06:40 | 指先の記憶 第四章

「おかえりなさい」
母屋の玄関で出迎えてくれたのは響子さんだった。
「楽しかった?」
「うん。とっても!」
母屋の台所で、響子さんに勧められたココアを飲む。
今日はデートだと決めた後、大輔さんが家に連絡してくれた。
兄の姿が見えないということは、兄は納得済み、ということだろう。
心配していたら玄関の前でウロウロと待っているはずだ。
「少し食べる?」
「大丈夫。遊んだし、いっぱい食べたの。今日は喜怒哀楽全部使った気がする」
おじいちゃんが言っていたように、大輔さんは私を怒らせてばかりだった。
最後に食べようと思っていたイチゴは取るし、味見と言って私のスープは殆ど飲んじゃうし。
でも、遊んでくれるのも大輔さん。
今日の出来事を聞いて欲しい私に、響子さんは優しい微笑を向ける。
「康太は雅司君と桐嶋さんの家に行っているわ。小野寺さんは今日は自宅に戻るみたい」
弘先輩の名前に、思わず緊張した。
「でもね、好美ちゃんが戻ってくるまで待つと言って…ずっと離れの玄関から動かないの」
「え?」
「小野寺さんに絵のことを頼んだのは私の父だから、拘束しているのが申し訳なくて。小野寺さんも好美ちゃんと遊園地、行きたかったでしょうね」
「…そうかな?誘われたことないよ?」
「帰ってきたこと早く教えてあげて」
そう言って、ココアのカップを載せたトレイを渡された。

◇◇◇

離れの玄関が見える廊下まで辿り着くと、そこは冷たい空気に包まれていた。
見ると、玄関が開いている。
弘先輩は私に気付いて振り向いた。
「弘先輩。玄関、閉めませんか?」
私の言葉に慌てて玄関を閉める。
暖房器具もなく、冷え冷えとしていた。
「ココア飲みます?」
私は床にトレイを置き、座る。
足元から冷えてきて、あまり長い時間座るのは避けたかった。
カップを両手で包むように持つ姿は、見ているだけで寒そうだった。
すぐにココアは冷めてしまったみたいで、弘先輩はそれを飲んでしまう。
トレイにカップを置く手が震えていた。
いつから、ここにいるのだろう?
「温かいもの持ってきますね。あ、それよりも母屋に行きませんか?お味噌汁かスープでも」
立ち上がろうとしたら、弘先輩に腕を掴まれた。
その指先が冷たくて、私は思わず振り払ってしまった。
でも座った状態で再び腕を掴まれると今度は抵抗できなくて、弘先輩の冷たくなった体に抱き寄せられた。
私の体から熱が奪われる。
体が震えた。
「良かった。姫野さんが戻って来なかったら、どうしようかと思った」
奥歯が、カチカチと音を立てる。
「哲也さんと会った?」
服の上からでも、弘先輩の指先の冷たさが伝わってくる。
「どうして哲也さんに会いに行くの?どうして大輔さんと、こんな時間まで遊ぶの?」
首元に触れる頬も髪も冷たい。
「弘先輩に、関係ないことです。わ、私が誰と会おうと…」
弘先輩の腕の力が緩んで、私は後退りし、ようやく大きく息を吐き出した。
でも、冷えてしまった体が震える。
「姫野さん、僕のこと嫌い?」
見上げて、私は首を横に振る。
「僕は姫野さんに振られたの?」
もう一度、首を横に振る。
振ったつもりなど、ない。
付き合えないと答えただけ。
今まで通りが良いと、望んでいるだけ。
違う…今まで通りじゃない。
既に、私と弘先輩は以前の環境から変化している。
憧れの先輩だった人が、今は父の絵に関わっている。
幻だと思っていた人。
祖母を亡くした日に見た幻だと思っていた。
弘先輩を想うと、あの日のことを思い出してしまうけれど、それでも弘先輩が私に見せてくれた世界は、私を現実から連れ出してくれていた。
弘先輩のことを考えると現実から逃げることができた。
でも、今は違う。
寂しさの原因に、弘先輩は関わっている状態で、この現実は私の心を救ってくれない。
怖い辛い寂しい。
弘先輩を想うと、マイナスの感情に私は侵食されるようになっていた。

◇◇◇

ちぃちゃんのお姉さんとお兄さんは、何も問わない。
以前から知っていたのかもしれない。
「ありがとうございます。でも、大丈夫ですか?このまま早川さんの家まで行くのは疲れませんか?」
「大丈夫。到着後は休ませてもらうことになっているし」
助手席からニコニコと笑顔を向ける、お兄さん。
「好美ちゃんの兄弟、どうにかならない?落花生が胡桃になっているし、そのおにぎり、めっちゃカチカチやん」
兄は、胡桃を殻のまま手の中で回している。
弟は、自分でおにぎりを作るといって、力いっぱい握っていた。
「食べ物は投げちゃ、ダメだからね」
「「りょーかい」」
2人揃って声を出す。
響子さんに留守をお願いして、私達は年末年始を寺本の家で過ごす。
弘先輩は、自宅に戻ったままだった。

◇◇◇

曾祖母は私のことを容子と呼んだり好美と呼んだり。
私は訂正しなかった。
ただ一緒に過ごしただけだったけれど、とても穏やかな正月だった。
舞ちゃんの御両親と会うことも出来た。
時間が必要なのだと、3人の姿を見て感じてしまった。
でも、きっと。
舞ちゃんが家族と暮らせる日が来るはずだ。
そして、私達も。
弟は私を姉だと理解しているのかどうか、分からない。
何度教えても、おねえさんとは呼んでくれない。

◇◇◇

当初の目的は、母にアトリエを見せることだった。
父との思い出が詰まる場所。
だから、私が汚してしまった桜の絵を弘先輩が修正していた。
でも、アトリエに残された絵には私の落書きが残ったまま。
絵自体は、鮮やかな色を取り戻していたけれど、黒い鉛筆の線が残っている。
「弘先輩は?」
玄関で会った日が最後だった。
冬休みの間は集中できると言っていたから、私達が留守にする間も弘先輩はアトリエに来る予定だったはずだ。
「父の家にいるわ。小野寺さんと父が話し合って決めたそうよ」
響子さんの声を、とても遠くで聞いたような気がした。



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