りなりあ

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指先の記憶 第四章-48-

2013-08-22 19:20:27 | 指先の記憶 第四章

冬休みが終わり学校が始まると、弘先輩は姫野本家から学校に通うようになった。
そして、サッカー部を辞めてしまった。
ただ、遠くから彼を見るだけで、まるで中学生の時に戻ったみたいだった。
校舎内での偶然の出会いを期待したり、放課後の部活を短い時間だけ眺めたり。
ファンクラブの皆と、サッカーの試合を見に行ったこともある。
応援は楽しかったけれど、行くまでの待ち合わせも行った後の皆との会話も楽しかった。
私に、普通の女子中学生の生活を与えてくれたのは、松原先輩と弘先輩だった。
遠くから眺める日々は楽しかった。
あの頃と違うのは、弘先輩が私に気付いてくれること。
たぶん、気付いている、と思う。
手を振ってくれれば確定するけれど、弘先輩は遠くから私を見て、そしてまた歩き出す。
3階の窓から通路を見下ろすと、歩いている弘先輩が立ち止まって見上げてくれる。
だから、私が通路から見上げた時、そこに弘先輩を見つけた時は凄く嬉しかった。
それなのに、どうして会えないのだろう?
響子さんは本家に帰ると弘先輩に会うみたいだった。
弘先輩に買って行った和菓子やケーキを私にも買ってきてくれる。
最初は、それが嬉しかったけれど、どうして響子さんが会えて私が会えないのか分からなかった。
贅沢になってしまったのだと思う。
高校生になって、先輩達との距離が近付いてしまったから。
亡くなった人に会えないのは寂しいけれど、生きている人に会えないのも、とても辛い。
生きているはずの祖父と母に会えないのは、どこかで諦めていた。
でも、弘先輩に会えない事を諦める事が出来なくて…やっぱり贅沢になってしまっているみたいだ。
「好美ちゃん。ちょっと、温度高いかも」
「難しいね…やっぱり買おうかな」
響子さんと話したくない時もあった。
でも、1ヵ月も過ぎると避け続けることが不可能になってくる。
一緒に住んでいる。
家族とは、こういうものなのかと思った。
生活していくには意思の疎通が必要で、ずっと機嫌悪く過ごすわけにはいかない。

◇◇◇

「姫野」
廊下に近い席でお弁当を食べていた時、名前を呼ばれた。
一緒に食べていた女子だけでなく、クラス中が沸き立った。
「チョコレートは?」
「松原先輩。私が用意していると思いますか?」
「思わない。俺の分はなくても…代わりに渡そうか?」
弘先輩のことを言っているのだと、分かった。
響子さんと話せるようになったのは、バレンタインのチョコのおかげ。
相談したことで、私達は以前のように話せるようになった。
「姫野さん」
その声に、松原先輩が一歩下がる。
「バレンタイン」
前部長の市川先輩だった。
松原先輩の指示で和穂が動いてから、私は男子生徒達から呼び出されることはなくなった。
ただ、市川先輩のことだけを松原先輩は気にしていた。
強く言えない相手だし、話しかけることを禁止する訳にもいかず。
でも、そんな心配は不必要で、市川先輩に声をかけられたのは、とても久しぶりだった。
気を遣ってくれていたのだと、改めて感じた。
だから、この場は穏便に終わらせたいけれど、私が貰って良いのだろうか?
女子から渡すものだと思うけれど。
「姫野さん。好きだよね、ここの和菓子」
見覚えのある紙袋から取り出された透明の袋。
かわいいハート型。
「落雁?」
紙袋は、いつもの和菓子屋さん。
でも、透明の袋に張られたシールは。
「大阪、ですよね?」
不思議に思って市川先輩を見た。
「紙袋は使わせてもらえるけど、パッケージとか包装紙とか使えないんだ。売り物にならない品に使うわけにいかないし。シールは大阪の店で買った商品が、たまたま上手く剥がれたから」
ドライヤーでシールを剥がした日を思い出す。
「あの…前から気になっているんですけれど」
紙袋の絵とシールの模様。
「似てますよね。この2つの店」
市川先輩が、とても不思議そうに私を見る。
「似ているって、同じ人のデザインだし…あれ…ちょっと待って。康太に確認したほうがいいのかな?僕は今日はそれを話すつもりじゃなく」
市川先輩が焦り始める。
「えーっと、これ。僕の手作り」
落雁を指差す市川先輩。
「姫野さん。うちの店のご贔屓だよね?」
「う、うちの店、ですか?」
「正確には僕の親戚の店だけど。大阪も親戚が開いた店。売り物じゃないから簡単な包装だけど、大丈夫。味は自信あるから。姫野家はお得意様だから、いつか話そうと思っていて。それに、今年は花見を復活させると聞いたから。できれば、見習い中の僕の味見を」
「そういうことは、早く言ってくださいっ!」
立ち上がって叫ぶ私に、市川先輩が驚く。
「隠し事されるの、これからは嫌なんですっ!今まで実はこうでした、とか、知らないと思うけど、とか。そんなことばっかりで。それに、市川先輩、卒業するまで私に話しかけない約束でしたよね?」
そんな約束ではなかった気もするけれど。
溜まっていた苛々が、ここで爆発してしまった。
その時、ものすごい力で後ろから口を塞がれた。
「すみません。俺が全部悪いんですっ!」
兄の声が直接頭に響いて、痛い。
「何も好美に話さなかった俺が悪いんです」
先輩に向かって叫んでしまったことを後悔し始める。
「ごめん須賀。僕は知っていると思っていたから。須賀和歌子さんの絵本は僕も持っているし」
「俺も今、凄く驚いています。まだ、気付いていなかったのかって。わざわざ説明する必要もないのに…うっ」
兄が脇腹を押さえた。
「なに…するんだよ…本の裏表紙見れば分かるだろ?画風で分かるだろ?何から何まで全部説明しなきゃいけないのかよ?」
「当たり前でしょ?私、何にも覚えていないんだよ?」
「母さんの仕事と、それは別だろ?今も続けている仕事なんだ」
正直、母の仕事には興味を持っていなかった。
私には母が何を好きか嫌いか、どんなことで幸せを感じるのかが重要だった。
知りたい事の中に、母の仕事は含まれなかった。
小さな時から大切にしてきた絵本も、仏壇に供えられる和菓子の包装紙も。
ずっと、私の傍には母がいたのだと、今になって気付く。
「松原先輩。荷物、ここにどうぞ」
私は、袋に入れていたものを机の上に置くと、空になった袋を松原先輩の前に差し出し、抱えているチョコ達を入れてもらう。
そして、その袋を兄に押し付けた。
「松原先輩の教室まで持って行って」
兄が怪訝な顔で私を見下ろす。
「松原先輩。持ってください」
私は机の上に置いたものを指差した。
不思議そうに松原先輩が見て、袋の文字を読んでいる。
読んで理解した、というのが分かって余計に私は苛々とした。
ヨーロッパにも住んでいたとか聞いたことがある。
「弘先輩、どこにいます?連れて行ってください。市川先輩。ありがとうございます。いただきます」
ハートの可愛い落雁を、私は机の中に大切に入れた。



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