りなりあ

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指先の記憶 第四章-43-

2013-08-15 11:05:12 | 指先の記憶 第四章

噂や想像とは違い、太一郎氏は孫に囲まれた普通のおじいちゃんだった。
現役を引退したからなのか、この場に彼の鎧など不必要なのか。
「太一郎さん」
名前を呼ぶと、太一郎氏が面白いくらいに表情を強張らせた。
「近いうちに妖怪に会いに行きます」
太一郎氏が目を大きく開けて、そして私の右後ろを睨む。
「好美さんっ」
賢一君が叫んでいた。
太一郎氏が姫野の当主の事を妖怪と呼んでいると聞き、私はその呼び名を気に入ってしまった。
「私、どう考えても平常心ではいられない状況が続いていますが、意外と楽しい毎日です」
出来る限り、祖母の口調を真似してみた。
得体の知れない物体を見るように太一郎氏の視線が私に注がれる。
「ですから、あまり深く考えないでくださいね」
太一郎氏の目が泳ぐ。
昨日、賢一君が家を訪問してくれた。
太一郎氏は、どうしても仏壇に参ることができないらしく、賢一君が代理で来てくれた。
和歌子は健吾の妻、姫野の嫁。
例え離婚していても、健吾が他界していても、太一郎氏の認識は変わらないらしい。 
初めて雅司君を抱いた祖母は仏壇の前で泣いていたが、その時の祖母の気持ちは私には分からない。
祖父母や両親が経験した事の真実や当人達の本心を、全て知る事など出来ない。
「祖母や父に顔向けできないと考えていらっしゃるのなら、そのようなこと気にしないでください。大人の男女の間に子どもが生まれた、ただそれだけのことです」
独身男女の間に子どもが生まれた。
大人として社会人として、自分達で対処しなくてはいけないことだ。
早川修司さんと鈴乃さんと同じように心配するのは、ちょっと違う気がしていた。
「雅司を不憫に思いますか?」
太一郎氏は何も答えてくれない。
「結婚せずに子どもを生んだこと。親と暮らせないこと。でも、ご安心ください。私の父は祖母1人に育てられましたが、立派に社会人として成功しています。短命だったのは残念ですが、こうして兄と私がいます」
自らの父の命を、残念と表現した自分自身が、ちょっと寂しくなる。
でも、もう父はいない。
私達は生きていかなくてはいけない。
実際、祖母は太一郎氏に助けられていたはずだ、精神的な面で。
祖母1人で父を育てたわけではない。
新堂栄吉の存在もあった。
「私は母と離れ、兄は父と離れましたが、私達を不憫だと思いますか?」
思って当然だ。
不憫だと不幸だと哀れだと、そう思われて当然だ。
でも、この人に哀れな目で雅司君を見て欲しくなかった。
現役から引退し年を重ねた事実はあるけれど、でも今も現役で頑張れる人だと思う。
それに、どう考えてみても、強そうな人がいないのだ。
目の前にいる、偏屈だと頑固だと言われた人しか、強さを誇示できない。
「どう生きていくのか、決めるのは雅司自身です。私達が力になれない時、雅司に頼れる従兄姉の方達がいてくださること、とても心強く思っています」
3歳児相手に何を言っているのかと自分で思いながら、そして足が痺れてきて少し焦る。
「太一郎さんには今まで充分にしていただきました。祖母に代わりお礼を言わせてください」
私は畳に指を揃え、頭を下げた。
ゆっくりと顔を上げて驚いたままの瞳を見る。
「お礼など…言ってもらう立場ではない」
太一郎氏が視線をそらした。
「私は、この先ずっと容子さんと健吾君に詫び続けなければいけない。今までも、これからも、何ひとつ容子さんの役に立てない。私達は和歌子さんの力になれなかった」
太一郎氏が畳の上で拳を握り締めた。
「そうですか…それならば直接、祖母と父に詫びてください」
再び太一郎氏が私を見た。
「私は祖母が既に他界しているから、祖母に代わってお礼を言いたいと思っただけです。でも、太一郎さんは生きていますよね。ご自分の言葉で祖母に。近々来て頂けるのをお待ちしています」
太一郎氏は何かを言おうとするけれど、それは声にはならない。
なぜ、彼が自分自身を責めるのか?
その必要など、全くない。
こうして弱い姿を他人である私に見せる必要など、ないのだ。
「これからも雅司を宜しくお願いします。できれば、勝手なお願いですが少々厳しくしてください。」
太一郎氏が問うように私を見る。
「だって、私、雅司君に嫌われたくないもの。嫌われ役は太一郎先生にお任せします」
声も口調も元通りになった私を、太一郎氏が見る。
そして、しばらくして大声を出して笑った。

◇◇◇

弘先輩は兄のお弁当を食べなくなった。
私達が一緒に食べる回数が減ったからだ。
兄が作った動物達が戯れるようなお弁当の噂を耳にした弘先輩から一緒に食べるのはやめようと言われた時、正直、私は嬉しかった。
クラスの女子との会話は楽しい。
今まで、1人暮らしの私とクラスメイトではお互いに気を使ってばかりだった。
でも、今の私は自分自身にたっぶりと時間を使っている。
それだけではなく、周囲の人が私の為に時間を使ってくれている。
普通の女子高生の生活は、楽しい。
そして、弘先輩とお弁当を食べない理由が、もうひとつある。
「おはよう姫野さん」
「おはようございます。昨日も遅くまで起きていたでしょ?」
兄が味噌汁を置く。
「好美。手伝え。せめて弘先輩と自分の分は用意しろ」
「私、弘先輩の体が心配です」
「でも、できるだけ早く仕上げて確認してもらわないと」
私と弘先輩は兄を無視する。
「小野寺さん。作業するのなら電気消してしてください。明るいと好美ちゃんが気にして眠らないから。睡眠不足は美容の大敵です」
毎日ではないが、弘先輩は父のアトリエに寝泊りしている。
姫野本家を初めて訪問した日から状況が変わった。
でも、私はその日の事を忘れたい。
祖母お気に入りの和菓子店で、丁寧に作られた和菓子を私は運んでいた。
着物にも慣れていた。
足も痺れていなかった。
緊張はしていたけれど、姫野は身内だし、それほど緊張は強くなかったと思う。
床、磨きすぎなんだよ、きっと。
ツルッと滑って、エイッと踏ん張って、気付いたら当主の頭に和菓子が着地した。
その時の細かいことは思い出したくない。
兄も響子さんも、麗子さんも晴己お兄さまも、誰も助けてくれなかった。
泣きそうになる私から目をそらした。
それに反して妖怪は、じっと私を見ていた。



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