りなりあ

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指先の記憶 第四章-50・完-

2013-08-22 19:20:56 | 指先の記憶 第四章

「あなたにお見せしたい絵は、こちらです」
1枚の絵が運ばれて来て、カバーがとられる。
「やはり、姫野の花見には桜の絵が必要です。今回の花見の主役です。残念ながら、こちらは買い手が付きましたら彼の将来の為に売ります。蕾の絵のように買い戻すつもりは私にはありません。当日まで、たっぷりと堪能してください」
桜の木。
桜の花びら。
花びらが舞っている。
散っている。
寺本健吾の絵ではないと、その場にいる全員が思ったはずだ。
父の桜は散らない。
「…雨?」
地面が濡れている。
舞い落ちた花びらが濡れている。
「…この桜」
姫野のおじ様が、とてもやさしい微笑をしていた。
「弘…先輩は、この絵を描いていたんですか?」
「そうです。ずっと以前から描いていたようです。仕上げる為に来てもらいました」
以前から?
「弘先輩は、今はどこにいるのでしょうか?」
「さぁ?どうでしょうか。絵が仕上がった後は自宅に戻っていますから」
「家に行ってみるか?」
兄の問いに私は迷う。
「あ、でも…来てくれるかもしれないぞ?誕生日だし」
それは期待できない気がする。
この数ヶ月、ちゃんと会っていないし話していない。
「お兄さんは…家で待っていて。来てくれるかもしれないから。私…ちょっとコンビニに」
「コンビニ?」
「うん…春限定のチョコレート。今日、発売だから」
兄が笑う。
「お母さん」
母が、ゆっくりと立ち上がった。
「その絵…あとでゆっくりと見せてね」
母が、とても嬉しそうに頷いた。

◇◇◇

桜の木を見上げた。
咲き始めている。
当日は、綺麗な桜を見れそうだ。
その近くにある本屋へ向かった。
棚の高さが低い場所に来るのは、約3年ぶり。
目的の本の前に立つ。
兄の名前が書かれていた絵本。
私の名前を兄が書いてくれた絵本。
離れてしまう私に、兄が譲ってくれた母の絵本。
「懐かしいと、思ったんだ」
差し出された本を、あの時は受け取ることが出来なかった。
「僕が好きな本だったから、読めば元気になるんじゃないかと思って」
受け取った絵本は、何度も読んで欲しいとお願いした絵本。
「あの日が…命日だったと知ったのは、ずっと後で」
隣に立つ人は、とても悲しそうだった。
「何ひとつ、姫野さんの希望通りにできなくて、ごめん」
感情が読み取れない人だったのに。
「ずっと見ていたら、黒い線を消すことを、健吾先生が望んでいない気がして。処分せずに置いていたんだから。姫野さん達にとって思い出になるものを、消せなかった」
「ありがとうございます。母が…懐かしいと言っていました。私には記憶がありませんけれど、母にとっては私の落書きさえ…亡くなった父との思い出、ですから」
弘先輩が、ホッとしたように表情を緩めて、この数ヶ月ずっと悩んでいたのだと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「弘先輩…チョコレート…ごめんなさい」
情けなくて恥ずかしくて。
それなのに、弘先輩は笑う。
「どうして笑うんですか?」
「だって、姫野さん面白いから」
また笑う。
「私は必死だったんですよ?」
「そうだね。ごめん。だって怒っているのを見るのは初めてだったから」
それで笑うって、変だと思う。
「姫野さん。僕のこと嫌い?」
「大嫌いです」
「僕と付き合えない?」
「付き合えません」
「でも、最初に意思表示をしたのは姫野さんだよ」
「…私、ですか?付き合うって言ったのは弘先輩ですよね?」
「そうだけど。態度で示したのは姫野さんが先だよ?」
私は首を傾げた。
「だって、ぶどう狩りに行く前に僕の部屋で」
お、お、思い出したっ!
弘先輩に抱きついたのは私だ。
思ったように自由に動けなくて、顎の辺りだったけれど唇を寄せたのも私。
「あの状況から付き合えないと言われて…姫野さん、誰にでも、ああいうことするの?」
思いっきり首を横に振る。
今、哲也さんがチラッと浮かんだけど、思いっきり黒い鉛筆で塗り潰そう。
晴己お兄様はセーフだ。
身内だし、ちょっと膝枕ってだけだし、新堂晴己だし、妻公認だし。
「でも、付き合えないんだよね?」
問われて、頷いた。
「一緒に学校に行ったり一緒に帰ったりは出来るの?あ、僕、部活やめたから帰れる日は不規則になると思うけど」
「出来る限り、で、大丈夫です」
毎日とか、それは望み過ぎだ。
「お弁当は時々?」
頷く。
「晩御飯とかご馳走になっても良い?」
頷く。
私が作るわけじゃないけど。
「遊園地、行ける?」
「…根に持ってます?」
「うん。根に持ってる。行ける?」
頷く。
「手をつないでも良い?」
頷く。
「髪、触っても良い?」
頷く。
「頭、撫でても良い?」
頷く。
「僕以外の人、好きにならない?」
頷く。
え?
顔を上げると、とてもニコニコとした笑顔。
「だったら良いよ。付き合えなくても」
あれ?
なんだか、弘先輩のペースになってる気がする。
「帰ろうか?」
「…えぇっと…弘先輩、納得して頂けた、ということですか?」
「納得したよ。僕は姫野さんが好き。姫野さんは僕以外好きにならない」
当たっているけど、これで良いのかな?

◇◇◇

階段を上って、桜を見上げた。
毎年見てきた、裏庭の桜。
私が生まれる、ずっと前から咲き続ける桜。

誕生日だからと、弘先輩が買ってくれた本は、母の絵本だった。
幼い時から、ずっとそばにいてくれた大切な絵本。

そして、これからも、ずっと。


◇指先の記憶 完◇


 



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