グミの実のお味

私はグミの実を食べたことはありません。こちらは双極性障害の主婦、グミの実のブログです。

片足突っ込んでもうた

2012-05-24 21:16:31 | Weblog
気持が低迷し、心が迷子状態だったんだが、霧が晴れるようなイベントがあった。
そこで、私はすごく嬉しい気持ちになったのだが、ちょっと気持にしみ過ぎたらしい。
言葉につまるほど吸収してしまい、今までの様々なことを思い出し、これはこれで心が一杯。

そんなタイミングで、金環日食を迎えた。
実家の2階の窓から、椅子を運んでおにぎりや飲み物も用意して。
うろこ雲のような空は、次第に薄曇りになって、合間合間によく見えた。
もちろん、天候に恵まれ、リングもばっちり観ることが出来た。
なんせ、6時半から9時過ぎまで、張り切って観察していたもので。
ただ、母娘ふたりではしゃぎ過ぎてしまったのかも。

午後になって、3時のお茶の時間まで、母とふたり時間も忘れて語り合った。
私が子どもの頃お世話になった近所の人が癌でなくなったこと。
突然、遊びに来てくれた母の友人が夫婦ともに癌で余命幾ばくもないこと。
私の悩みを聞いてもらい、母の悩みも聞き、母への具体的な表現でアドバイスすると、私は涙ぐんだ。
涙はつたる程でなく、ただ感情があふれ出たのだ。
母も涙をこらえていた。

帰宅前に指輪やネックレスなど忘れたことに気づいた。
乗り換え駅で実家に電話して、お弁当を買って帰宅。
夫を待ちながら、もう一度実家に電話した。
あれほど話をしたのに、まだ話が広がり1時間以上電話が続いた。
帰宅した夫とお弁当を食べながら、夫への感情が優しくなっていることに気付いた
仕事の愚痴も話しやすいように相槌しながら、ここぞとばかり吐き出してもらった。
夫は、少し照れくさいのか、嬉しそうに視線を逸らしながらもたくさん話してくれた。

異変に気付いたのは、深夜のことである。
普段言いもしないような、人の悪口がポンポン出てくるのだ。
そして、夫には感謝の労いを涙ながらに伝える。
この感情の落差、いや感情の混沌ぶりは、躁転でいつも繰り返すパターン。
私も、ああやはり躁かと受け入れ、薬を増量して寝た。

翌日、昼過ぎに起きて、心のアイドリングが少し治まっているように感じた。
でも、1日では治まる訳がない。
食器を洗う音や、洗濯を干す時に外から聞こえる声が刺激となって、また空ぶかし。
今にも飛び出しそうな心を止めるには、幾分時間がかかるのは仕方ない。
せめて、害が出ないように借りていた漫画を読み貪った。
偶然だが、夫と一緒に借りていて、手元に20冊もあったのが幸いした。

躁に片足突っ込んで、今日で3日目になる。
土曜にあった予定もちゃんとキャンセル出来た。
家事を普通にやっても心が膨らんだりしない。
視界に入ってきた物から何か連想したりしない。
だから、今回は先手必勝だったのではないか。
なんて思うし、夫は今日飲んで帰るそうだ。

トリ先生は、私の気分が頻繁に高ぶることと、上がる速度と勢いを鑑みて投薬の変更を考えている。
引っ越しの前後は変薬なしで進めて欲しい旨伝えたが、自分でもなんだかがっかりした。
このくらい、許容範囲の高ぶりとして、気づいてから用心すればなんとかなるようになりたい。
またしても、私は躁転してしまった。
気づいてくれる人がいなかったら、きっと入院だっただろう。
ああ、情けない、何度繰り返すんだ。繰り返すほど、脳に影響するのに。

治らないのは分かっている。
でも、どうして外でのストレスをこんなにも受けやすいの?
共存しながら、ストレスの質量と自分の許容量と天秤にかけているのかな。
悔しい。どうして自分には成れないのだろう。

抱え過ぎない、ため込まない、気分転換。
いっぱいいっぱいの時にどんな手段でそうなれというのだ。
抱えないつもりで、結局持ち帰ることになる。
ため込まないつもりで、人に話してもまた悩む。
気分転換するつもりで、普段考えないことまで見えてしまった。

ちょっと、気づくの遅かったのかもしれない。
気持の負担と心の悲鳴。
どうなろうと、メンテナンスしながら、生きて行くしかないのだね。
次の診察まで、セロクエル600mgに増量(寝る前1回)で落ち着かせる予定。
トリ先生が大丈夫そうだねよかったねとか言ってくれるだろう、なんて思ってみた。

ああ、嫌だ!もうこりごりなのに。ふつうに社会参加したいのに!
乗りこなせない躁の波は、小波であろうと許せないっつーの!
それを受容しなければならないという理屈、どうすりゃいいのさ?!
時間、掛り過ぎだよ。焦るんだよ。時間は取り戻せないのに…。

なんだか不調

2012-05-18 14:01:47 | Weblog
最近、どうも思考回路がよろしくない。
ふとしたきっかけから、どわっと嫌な感情になり、なかなか納まらない。
つまり、悪い感情のまま止まらないのである。

具体的には、自分を責め、誰かを恨むといった考えだ。これが辛い。
激しく怒ったり泣いたり出来たら、いっそのこと楽なんじゃないか。
もやもや憑いてくるかのごとく、気持を切り替えたはずなのにじわじわ湧いてくる。

今いる場所から離れてみても、おもむろにキャベツの千切りをしても。
時間を置いて、状況から感情や背景を分析めいたことをしてもダメ、夫に内容を話してもダメ。
なぜだか、気持が全然慰められないので、他の嫌な体験まで思い出す始末。

ああ、どうした私?
自信消失、情緒不安定、後悔。
軽く焦燥感があって、引っ越しの段取りもあまり進まない。
面倒だとか忙しいとかではないのだけど、やりたくない。

ああ、中核にあるのは何なのだ?
引っ越しへの抵抗?
済んでしまえば、住んでみたら、なんともなくなる?
あまり不安なことはないはずなのに・・・。

いまの社宅に4つ窓があって、その内3つからは緑色の木々が見える。
ちょうど、換気扇の下の椅子に座ると緑の見える窓が視界に入り、もうすぐ見れないのかと思う。
たったそれだけ、毎日毎日、同じ場所から同じことを思っている。

換気扇の下の椅子は、私のささやかな休憩場所だ。
コーヒーを飲んだり、タバコを吸ったり、ぼんやり待ったり。
忙しくないような日も、そこにたたずみに行くのが好きで。
だから、最近は毎日のように悲しくて惜しい気持になる。

外へ出て、公園に行ってみた。
窓枠よりずっと大きく広がる木々。
風に吹かれて、枝がしなり葉の音が響き渡る。
とても美しくてどこか怖かった。
やはり、私の調子が変なのだろう。

でも、文字にしてみたら落ち着いたみたい。
うん、大丈夫。
理由はそれだけでなくとも、すこし進めたような気がする。

マヨケチャ活用法

2012-05-07 15:22:26 | Weblog
とても暑かった日、実家へ帰省した。
早いと1時間半で着くのだが、断続的な渋滞により4時間掛った。
高速道路では窓を開けてはいけないと冷房をつけるも夫から寒いと苦情。
日差しも相なって、私はとにかく暑い。
冷たい飲み物を飲んでは、渋滞の中尿意を我慢することになる。
でもやっぱり暑いので、クーラーを徐々に低く設定しては夫に切られての繰り返し。

なんとか夫の家に着いたが、夕方から頭痛と吐き気がひどくなり、夕食を目の前に、
「私、体調が悪いので、2階で休んできます。お先に召し上がっていてください」
と2階へ駆け込んだ。

とにかく涼しくして横になろうとエアコンのリモコンを手にすると、電池が入っていない!
ふとエアコン本体に目を向けると、コンセントさえ入っていないではないか!エコめが!
机に上って手をのばしたが届かず、もう無理だと座り込んでしまった。

心配した夫が部屋に来てくれたのだが、言葉を制し「まずクーラーをつけて頂戴!」。
夫も私と同じ行程を踏み、電池を用意しやコンセントを入れてくれたので、ようやく部屋が涼しくなってきた。
「何もしなくていいから、ごはん食べてきて」と伝え、横になった。
頭がガンガンして気持が悪い。これは、もしや熱中症か。暑いの我慢してたしなぁ…。

夕食を済ませた夫が、冷たい飲み物とプリンを持ってきてくれた。
少し口に含ませただけで吐き気。体内に取り込めない。
「濡らしたタオルを持ってきて」。
夫は、おしぼりと体温計を持ってきた。
お礼もせず「わかった」と答えた私。
たぶん言った通りでないのが不満だったのだ。

余裕がないというのは自分を正直にさせるものなのか、おしぼりが臭くてしょうがない。
熱は、36.2℃という普段の平熱より低いのにも関わらず、背中から上の方にかけて熱く頭は依然として痛い。
1時間ほどして、ようやく起き上がる気になった。
飲み物を体に入れて、身体の中から冷やそうと、また一口飲んでみた。
ちょっと気持ち悪いけど、少しずつならまだ飲めそうだった。

試しにプリンを口にすると、また吐き気。 でも、さっきよりは良くなっている。
横になっては、一口飲んで、しばらく様子を見て、またプリンへ。
状態は、徐々によくなって行った。
なんだ、2時間冷やせば、熱中症なんて軽いもんだ。

しかし、翌日も翌々日も背中からかーっと暑さを感じて、頭痛に悩まされた。
熱中症って、治ったと思っても何日か引きずるのだろうか。
予兆となる背中の暑さを感じたら、すぐに冷やすと頭痛からは免れたが、やはりしばらく続いた。

自宅で冷やすのに一番便利だったのは、マヨネーズとケチャップを脇に挟むこと。
丁度いい具合に挟まるし、ペットボトルのような水滴がつかない。
濡れたタオルのように引っ繰り返さなくてもよいのでまたいい。
しかも、挟んだままの状態で、楽に移動も可能。
これは、すごい発見だ!

夫は一言「変なの」と興味を示すことはなかったが、見た目変でもとっても実用的なのになぁと思った。

違う・・・

2012-04-27 20:42:56 | Weblog
私の中に湧いた強い抵抗を貫きたかった訳じゃない。
ねじ伏せてやろうという気もなかった。
押し付けたいというのとも違う。

ただ、その凝り固まった考えに疑問や提案を伝えたかった。
その上で否定されるなら受け入れよう。
ただ、聞いて欲しかった。

きっとプライドを傷つけたのだろう。
とても失礼に感じながら、押さえていたのだろう。
「責任がある」という繰り返し訴えに、その言葉でごまかされている気が私はしたのだ。

全否定しているのではない。
双方の言い分の違いは、譲り合うものでもない。
私の目的は、やはりねじ伏せるためではないのだ。

そういうものなのだ、という人。
それを受け入れる人、それでは違和感のある人。
何も言わないが考える人。

早く帰りたい人。
むきになっている理由が分からない人。
どうにかしたいがきっかけがつかめない人。 

でも、きっかけ。
最初に戻って、確かめて、もう一度考え直して欲しかっただけ。
誰かに伝わったのかなと考えると恥ずかしいやら悔しいやら。

私ったら、醜態さらして何やってるんだろ。
それでも守りたかったのか、それでも伝えたかったのか。
それで何を変えてどうなりたかったのか。

ひとつの想いだけで成り立たないのに。
まあでも、噛みつかれないだけよかったか。
除け者として扱われなかったことには感謝だ。

でも・・・。
やはり、ちゃんと伝えたい。
いまでも、私は悔しいままだ。

これは、よりよい明日を迎えるための愚痴。
もやつきを整理するための愚かな記事。
そして、自分の行動に人が何を感じたを恐れ、一方で誰かの心が動いてくれるんじゃないかと期待している自分の記録。

夫、動揺する

2012-04-25 19:25:02 | Weblog
夫、初めての人間ドックを終えた。
まあ、初めてなのはバリウム程度だったそうだ。
オプションは半年後でもいいとのことで、最低限だけ受けたのだとか。

翌日、仕事中に病院から電話がかかってきたそうだ。
そして、会議室の中で携帯に出た夫は、驚いてつい言葉を漏らしてしまった。

「え、血液型が違うんですか?!」

今までA型だと思っていたのに、O型だと診断されたそうだ。
一瞬、「もしかして、親が違うんじゃ」と思ったそう。
でも、顔も体格もそっくりなので、それはないと否定。じゃあ、なんでだ?

会議室にいた人は、もちろん状況が分かっていた。
きっとAOのO型なんだとか、大人になって血液型が変わることもあるらしいよとか。
とりあえず、母子手帳になんて記入してあるか、夫は親に電話して聞いたらしい。

結果、母子手帳の血液型の欄は、未記入の空白だったのだとか。
一体全体、何を根拠に、A型だと言われ記入してきたのか。
さんじゅうんねんかん、ずーっとA型だと思ってきたのに、突然O型って…。

そして、私に夫からの病院からO型と言われた旨のメールが届いた。
しかし、たまたま洗濯物を取り込むのにベランダにいた私はメールに気づかなかった。
それを夫は、私が怒ってメールを返さないのだと思ったらしい。
なぜ怒っていると推測したかというと、普段から医学的な常識の無さを厳しく夫に指摘していたからかも。
そうとは知らず、「よくあることだよ。動揺しないでね~」とメールを返したが、何時間も返信なし。
こちらも、なにやら酷く落ち込んでいるか、病院で再検査してやはりO型だとショックを受けているのではと心配したり。

でも、考えれば考えるほど、可笑しくってならない。
普段から「本当にA型なの~?」とか「私よりO型っぽいよね」なんて話していたから。
もちろん、血液型性格診断の科学的根拠はないのは知っている。
でも、不思議と血液型でくくると違いが性格の傾向に重なるというのは頷けるのだ。

夫の両親は共にA型、夫はO型と人間ドックで診断された。
私の両親も共にA型、私もO型(出生時診断と献血もしているから、間違いないと思う)。
わ~、おそろいじゃないの、ふふふ。
似た者夫婦なのかねぇ、ふぉっふぉっふぉ。

帰ってきたら、デリケートな気持ちかもしれないから、受け身に話を聞こうと思っていた。
しかし、耐えられなくて、たくさん笑ってしまった。
本人も、O型といわれると納得してしまうこともあれば、まだA型だと思いたい自分もいるようだ。
しきりに、同じ誕生日でA型とO型の占いの違いはどれほどかを気にしていたが、あまり血液型で運命が変わるなんて聞かない。

寝る前になって、「俺は、A型の人と一緒にいると居心地いいんだけどなぁ」と夫は言った。
なんだかいじらしいじゃないか。A型の喪失を受け入れようとしているのか。
「O型の団体もにぎやかで魅力的ですよ~」と私が言うと、また「絶対、AOのA寄りなんだー」とかもやもや。
携帯サイトで調べ、A型の男性、O型の男性、AB型の男性の性格について読み上げてあげると、
「なんだ、全部に当てはまるようになってるんだね」と夫は言って、すぴーと寝付いた。

笑いのネタとして、何回か使いたいな。
ついでに、「Rhの+か-も調べてもらえば?」と聞いたら、時間差で「さっきのpHだっけ?」と夫。
7なら中性、大きくなるほどアルカリ性、いい加減にせいに賛成。

楽勝!!

2012-04-22 12:44:53 | Weblog
もちろん勝負事ではなく、引っ越しの話。

先日、ついに見積もりに来てもらった。
マンションに引っ越すのは嬉しいが、引っ越す準備は不安でいっぱい。
不安を減らすために、細々と不用品をゴミに出し、新生活でも必要なものを吟味した。

心の中でどれが不用品なのかが分かっていても、ふと目にとまって焦ってしまう。
次第にやらなければならない項目ばかりが頭の中を行きかう。
でも、全部いっぺんに片付けてしまったら容易に躁転する気がして、気持ちをどうどうと抑えながら少しずつ。

週末に、夫が粗大ごみを物置に運んでくれて、少し気が楽になったそばから、今度は次の作業が浮かんでいる。
部屋の中にどれだけ使わないものをためこんでいたんだと何袋ものゴミをまとめ、空いたスペースに別のものを置いてみる。
同じ家にあったものなのに、少し位置が変わるだけで心に迷いが生まれ、また必要と判断したものを再度考えを巡らせる。
本当に必要なんだろうか、こんなものどうして大事にしまっていたんだろうか。

一人になると、止せばいいと頭では分かっているのに、まだ整理していないと扉を開ける。
処分すること自体は、よりよい生活に繋がるのだから、そこまで苦しくはないはずなのに。
しかし、作業中ともなると、動かす手も判断する頭もやたらめったら重いのだ。
よし、これは処分しよう!と決断できるのに、やっぱり自分の周りの空気は重苦しいまま。

まだ手つかずの場所、まだ判断できず保留しているもの、いらないのにまだ運べないもの。
部屋は、見渡す限り判断しなければならないものであふれていた。
少しでも早く、この気持を軽くしたい。
次の日も、その次の日も、ゴミはまとめらられ出て行くものもたくさんあるが、まだたくさんの物がある。
今現在も生活しているのだ、引っ越し先まで運ぶものもある、まだまだ引っ越しまで日がある、だから当然焦ることは必要ない。
周りからも大丈夫だ心配いらないと声をかけてもらうのだが、部屋に帰ってくるとまた不安がのしかかる日々だった。

約1ヶ月、細々と且つ計画的に、悩みながらも処分し、段々と棚や押入れや物置に空いたスペースが出来てきた。
やっと「これでいいんだ」と、まだすっきりしていない心持ながらも自分に自分で言い聞かせ、一区切りにすることにした。

次にやるのは、引っ越しの見積もりを取るという作業だ。
電話すれば、訪問してくれる。
この日を迎えるのが短期目標で、そのために片付けや処分をしてきた。
目標としてきたことが、重要だけどよく分からないままだったからこそ不安だったのだろう。
これまでの作業が苦しかったのは、その為だったのかもしれない。

電話をかけてから業者が見積もりに来てくれるまでの2日間、今度はインターネットやらでたくさん知識を入れて、後悔しない引っ越しのためにと、また各収納など再確認した。
いまの私が自分に声をかけてやれるのなら、「ジタバタしなさんな、あとはなるようになるから」か、「今の時点でやりすぎ、ぼんやり広い公園でソフトクリームでも食べてなさい」かな。
しかし、そんなことを言われたって、私というものは止まらないだろう。焦りモードにどっぷりはまってしまっては。

そして、見積もり当日。
きれいに掃除して、すべて確認してもらえるようにクローゼットの中も整理して。
直前になって、お客さん様のスリッパがないことに気付いたが、自分や夫のスリッパではみっともないからとゴミ箱の後ろに隠した。
まるで入試前かのような面持ちであったのではないかと思う。
ちらちらと時計で時間を確認し、落ち着くようにとおまじないする気持ちでタバコを吸った。

チャイムがなり、ドア越しに「はーい。」とできるだけ明るく言った。印象は良い方がいいでしょうから。
しかし、なにも返事がない。事前に電話をもらったのだから業者の人のはずなのだけれど。
「どちら様でしょうか。」とドア越しに聞くと、ボソボソとした男性の声で語尾の「です」しか聞き取れなかった。
玄関を開けての第一印象は「元気がない人」だなと、少し期待外れだった。

引っ越しについての話も、まったく私のペースなのだ。
私の話をさえぎることもないし、うまく表現できなくて言葉を選ぶ間も相手は一言もしゃべらない。
これは不思議な感覚で、相手を少しも感情的に見れない。そして相手がどう感じているかもわからない。
でも、この戸惑いは少しも負担にならないので、私は言いたいことは全部話せた。
また、私の感情も自然と出しやすくなっていて、最初から同じ態度であったその人がとても信頼できた。

その後の説明や見積もり計算など、心にさわやかな風が吹いた。
お金の話なのだが、銭計算というより、なんというか心のやりとりの語り合いなのだ。
見積もりが終わって、その人を見送って、部屋を振り返るとあの苦しかった部屋があたたかい部屋に戻っていた。
そして、私の魂も抜けて、じゃなくて、もとの魂がしっかりとあったのだった。

そりゃあ、もう、安心したの何のって!

余裕って大事なんだと再認識したのであった。
引っ越しなんぞに心を折られてたまるもんか!
抜かりなく楽勝に導いてもらうのに、私はやることをするだけだ。
なんか、自信ではないのだけど、それに似ている気持ち。

褒められたらどうする

2012-04-13 15:31:36 | Weblog
きのうのボランティアの集まりに、先日買った黄色い花のワンピースを着て行った。
正しく表現すると、黄色い花ではなく、黒地に大きい白い花いっぱいの真ん中が黄色のワンピースだ。
私がこの服を着て出かけるのは初めてなので、何と合わせるかクローゼットと鏡を何往復もした。
ちょっと恥ずかしいのと、新しい服のうれしさで、気合いをいれてわくわくしながら。

そして、みなが集まり、今年度の予定などの話が終わり、昼食休憩となった。
ここまでで、誰一人として、いつもよりおしゃれをしている私に気づく人はいなかった。
そりゃあ、目的はボランティアの活動ですものね、と仕方ないというか気づいて欲しがる自分はばかだなと。

いつものように、こっそり喫煙所でフードを被りながら一服してからコンビニへ行った。
サンドイッチが売り切れていたので、おにぎりをどれにしようか悩んでいたら、「ああ、気づかなかった」と仲間。
私もぼんやりしていたので「すいません、私おにぎりに夢中で気づきませんでした」。

集まりの部屋に帰ると、一瞬ばっと視線が集まった気がしたが、よく違う団体が部屋を間違えることがあるので
それを確認しただけだろうとコートをハンガーへかけてから席に座った。

そこへ「○○さん、あなた髪型変えたでしょ。すごく素敵、似合ってるわ。さっき誰かと思っちゃった。」と。
この人は、普段厳しく怖い印象の人なのだが、よく人を褒めてくれる気のいい人でもあって、しばし気まぐれのお世辞も言う。
だから、場の空気を壊さぬように、あえて否定はせず「あら~、本当ですか。うれしー」などと半分おちゃらけてお礼を言った。

すると、さっきコンビニで居合わせた人も「私もコンビニで隣にいたんだけど、どこのお嬢さんかと思ったの。」と言った。
お嬢さんって、さずがにそれはないでしょうと思うのだが、とっさに気のきいた切り返しが思いつかない。
「そんなことないですよ、またまたー」と今度は否定で言ってみたものの、他の人まで次々言葉をかけてくれた。

そのですね、あの、これは思いがけない展開なのですよ。
なんと答えると世間的な常識でありましょう。
そもそも、お世辞なんて謙遜で返すのがマナーざましょ。
でも、なんなんだ、この心地悪さ。

うう、私の唯一の他人と仲良くなれる場なんだけどな。
ちょっと年齢が離れているからって、半分からかっているのか、お世辞のやり玉?
あと、新しいワンピースでなく、髪型の方がそんなに影響しているのだろうか?
「みなさんがお素敵でらっしゃるんで、私も頑張ってみたんです~」とか返すのが望まれる?
そうではなく、相手が望むことなんて関係なくって、もはや返す言葉も態度も関心ないとか?

普通と言われる人々は、こんなことで立ち止まらないんだろうに。
私も、少し困った経験として片付ければいいのだろうに。
何かにつけて、社会にいなかった時間の長さに息をのむ。
せめて、社会で揉まれる新人社員の期間まで発病していなければとか。
まあ、こんなこと考えったって生産性はないし、たられば発想している時間なぞ意味がないんだから。
・・・ってことが、簡単に言えるような心の整理整頓はまだすっきりとは出来ない。
だから、今できることをするって言い聞かせてるのだけど。

心の整理といえば、今のところそして近い未来、私は子どもを産み育てる思いを止めると決断した。
30歳になったら、その決断をすると決めていた。
でも、事あるごとに、それは揺らいでいた。

マンションを決めるに当たっても、「もし養子を迎える日がきたら」という目でも見ていた。
今は望まない、でも何年か経って状況が変わったら、やっぱり考え直しそれが許されるなら。
先のことは分からないといわれるが、9割5分くらいで、私はそんな日を迎えない気がする。
そうなることを私は選んだ。私の意思でそうする。

「子どもを諦める」という表現は、あまりにもネガティブだ。
でも、仕方がないことだと知って甘んじて受け入れるという「諦観」なら、正面向いて先を見てるように思える。
このことについては、私はよく考えたし自分で納得していると知っている。

このことを褒められようと貶されようと、相手の望む答えに合わせる必要はないし一言では話しきれないのは明白だ。
誰もが納得して当たり前のこととして受け入れることなんて、突き詰めて考えたらないのかもしれない。
答えはないようで、自分次第だ。

社宅からの桜

2012-04-06 14:04:49 | Weblog
現在住んでいる社宅の廃止は決定となった。
思えば、私の初めての引っ越しがこの社宅だった。
衣装ケースに洋服だけを積んで、父と兄がそれらと私を車で運んでくれた。
5月のよく晴れた日だった。
夕方までに届くはずの照明器具が、なかなか来なくてハラハラしたっけ。

あれから、約8年。
今思えば、とても暮らしやすい社宅だった。
朝も昼も夜も、穏やかで心地よいので気に行っていた。
だから、この社宅の近くに引っ越したいと思えたのだろう。
実際、この近くに引っ越していく人は少なくはない。

だけど、私たちの部屋から見える公園の桜も今年が最後。
社宅の敷地に入らないように毎年剪定されてしまうので、近くにあるのは花の少ない背だけが高い桜。
公園の中で一番遅くに花づくその桜が、今日ようやく満開となった。
だから、今日は部屋から窓越しに花見をしながらブログを綴る。

公園はいつもにぎやかで、それを嫌に思うこともあったけど、それでもよかったと今は思う。
朝早くは、犬の散歩。
8時を過ぎると、ゲートボール。
家事が一段落したお母さんと乳幼児。
小学校を終えて男の子も女の子も元気に遊ぶ。
夕方にはまた犬の散歩。
ベンチに座りぼんやり休んでいるご年配の方。
近道に自転車で通りぬける様々な人たち。
ここは昔、畑だったのだと教えてくれたおばあちゃん。
たばこを吸う中学生をびっくりするくらい大きな声で叱ったおじいさんと素直に謝った不良少年。

引っ越し先のマンションの部屋から、この景色と人々の行きかう様はもう見れない。
とても近くなので、思い立ったらすぐにこの公園には来れるのだが。
そう、距離の問題なのではないのだ。
ただ見えて聞こえている光景に、なんとなく私の気持ちに交流が生まれていたのだと思う。
そのぼんやりとしたものを失うのが残念でならない。それが、唯一の未練なのかもしれない。

でも、公園とはご縁があるのか、引っ越し先のマンションのすぐそばにも公園が出来た。
小さな公園なのだが、もう遊んでいる親子がいた。小さな公園だが、明るい雰囲気。
また、社宅の窓から見える集合住宅と似たような別の集合住宅がマンションの窓から見える。
それも社宅から見えるのと同じような角度で同じ数の棟なのだ。
偶然なのだけど、もし1年前だったら工事中で、この景色は完成していなかったらしい。
なんだか、不思議でありがたい。やはり縁というものを信じてしまう。
だからなのか、マンションに引っ越しても同じように穏やかに暮らせるように思う。

引っ越しは、もちろん楽しみだ。
新しい家具も買ったり、生活をイメージしたり。
心配なのは、躁転・鬱転。
うれしい刺激満載なのもストレスなので、どちらも注意するようにトリ先生からのお達し。
特に引っ越し直前に荷造りで頑張りすぎたり夜更かしで躁転することや、引っ越し後に一気に鬱に落ちる
パターンが多いというのだ。

だから、計画的に進めようと色々準備していたら、今度は夫からイエローカード。
家に帰ってくる度に部屋の中が片付きすっきりしていき、準備と称してやっていることのパフォーマンスが高いと。
私は、それっていいことばかりではないかと言うと、やりすぎているのがいかんのだということだ。

それからは、毎日朝食を済ませると二度寝の日々。
だいたいお昼に起きて、洗濯もそれから。
外出や買い物も控えて、ノンストレス生活を送ろうと目論んだが、やはりそう上手くはいかない。
やることがない時間がストレスになるのだ。

イラついてくるとトイレ掃除などの水回りを掃除したが、やりすぎて手がガサガサ爪ボロボロ。
気分転換にカーテンなどのパンフレットを開くも、真剣に検討しすぎてどうしていいか思い悩んだり。
何をやっているんだとその場を離れ、やたらとタバコの数が増える。
ああ、私本当に何やってるんだ。

粗大ごみを物置に移したら、部屋の中がすっきり。
本も捨てたし、もう取り合えずやるということがなくなった。
「週末に活動する代わりに平日は休むこと」と夫。
頭の中の活動は、平日だろうと止まらないんだが。

今朝、生理になったのでイラつきからは解放されると願う。
本当に躁転すると自分では分からないので気をつけねばと思うけど。
桜よ、私の思考に潔さをくれまいか。凛としてたおやかな心を。

検診、子宮に異常

2012-03-16 16:37:49 | Weblog
実は、健康診断で婦人科関係が引っかかってしまった。
子宮に、軽度の異形が見つかったらしい。
レベルの様な表があって、私は正常から子宮頚がんまでの境界域らしい。
ベセスダ分類ASC-US(軽度異形成疑い)、クラスⅡ-Ⅲaと、陰性と陽性の間にある。

え、私、癌になるの?
境界ってあるけど、どういうこと?
そもそも、子宮頚がんってどうなるの?

そこで、図書館に行き、婦人科専用の家庭の医学の本を借りてきた。
これがまた分厚くて、婦人科関係の病気ってこんなに多いのかと初めて認識。
検査結果の用紙には、「HPV検査もしくは6ヶ月後に細胞診」を受けろとあった。
そして、その下に「がんの可能性は低いですが、今後のがん化の可能性を判断するためHPV検査が望ましい」とな。

望ましいならHPV検査をと調べると、ウイルスに感染しているかの検査のことらしい。
特定のウイルスだと、子宮頚がんの原因になるそうだ。
そんなウイルスがいるなら半年も待っていられるか、とにかく検査を受けなきゃ。

翌日、朝一番で健康診断を行った病院に電話した。
「HPV検査は行っておりませんので、専用の病院で検査してください」。

無責任なと怒りつつ、婦人科のクリニックに電話した。
「うちでは、HPV検査を行っておりませんので、大きな病院で受けてください」。

そんなに大変な検査なのかと不安になった私は、「大きな病院ってどこですか?!」とすがりついた。
「この辺りですと、○○病院か××病院ですね」。
電話を切ってから、タウンページで調べるとどちらも総合病院。
駅から近い○○病院へ行くことにした。

この時点で、私はもうそのウイルスに感染していると信じて疑わなかった。
徹夜明けで家にいた夫に付き添ってもらうことにして、しかも夫にもその検査を受けてもらうよう頼んだ。
頭の中は、ウイルス→癌なので、家庭の医学で見た手術法の絵が浮かぶ。

先に診察を受けた夫は、「何しに来たの?」と医者に言われたそうだ。つまり、異常なし。
私は、細胞を取り、コルポスコープ(拡大鏡)、組織診では3ヶ所くらい切られた(にぶく地味に痛い)。
止血用のタンポンを入れられて、結果は3週間後だという。
なんだか、一大事のように思えてきて、病院に着く前より落ち込む。

病院を出て、携帯を見ると「ドンキホーテにいるよ。終わったら電話して」とのポップなメール。
夫は、きっとポップな状態だ。これは、異常なしだったな?
少しだけ、私もポップに上を見上げドンキに着いた。
開口一番、夫は「ここ、電子タバコないんだって~」と。 いやいや、それより結果からだろーに!

結局、夫は何もなく、みごとに夜勤明けの人を振り回してしまった。
後から考えれば、私にウイルスが見つかってからでよかったのに、妄信ってやーね。

3週間後、私にもウイルスはないことがわかった。
ただ、やはり子宮上皮異形成には変わりないので、6ヶ月後に再検査。

「1年置くと、取り返しのつかないことになりかねませんが、半年後なら大丈夫です」。

心の中で医師の言葉を反芻する度に、なんとはなしに不安になるのだが、正しい知識なのだとインプット。
家庭の医学にあった、子宮頚がんの5年生存率は軽度だと相当高く、初期なら治療で100%治るそうだ。
初期の段階で発見されるのも30~40%と多く、検診の普及で唯一死亡率が低下しているがんなのだとか。

こんなに良い情報を並べるって、私やっぱりまだ不安なんだろうなぁ。

よし、こんな時は好きな物を買おう!
春物のストール、ワンピース、安いネックレスとたくさんのビーズ。
ちょっと買い過ぎてしまったかも?とビーズはなるべく減らしたが、ビーズの単価など低くせいぜい数百円。

やっぱり、ワンピースが一番余計だったか。
黄色い花の後ろがレースのワンピースは、単体でなくてもカーデガンやタイトなボトムスにも合う!
と思ったけど、帰ってから「・・・」。 なんでこれをこの値段で買ったのだろう。
タグが付いていれば返品可能なのだが、着ればいいのよっと切ってしまった。 本当に着なさいよぉ、私。

もう、しばらくは調子に乗って洋服は買わないぞ。
あと、たばこも気持控えよう。
でも、これから引っ越しで買いかえる家具を見るから、やっぱりまた調子に乗るでしょうな。
生活にメリハリつけて、清く正しく美しい生活を夢見つつ、適度に調子づくことにします。

ようやく一段落

2012-03-04 16:20:00 | Weblog
こんなに盛り沢山な1ヶ月になるとは思わなかった。

夫のリフレッシュ休暇は、ぶらり放浪旅の予定だったが、実際は計画的だった。
これは、二人の性格上、ある意味予測通り。
でも、楽しかったー。平凡かつのんびりなのが、新鮮だった。

実は、この旅の前後は、猛烈に忙しく激しく頭を使った期間だったのだ。
その主な内容は、「マンションの購入」である。
人生最大の買い物と言われる不動産の検討に、私の身体は短期集中的に摩耗された。
こんなに頭をつかって大丈夫なのかと心配もしたが、疲れるので夜はぐっすり眠れた。

最初のイメージは、「2年以内に中古マンションを今住んでいる場所の近くで」だった。
追加で、第一条件として猫可、次になるべく南向き、2LDKくらいを描いた。
今の社宅が53平米だから、それより広い部屋がいいと少しずつ条件が付随していき、間取り図を眺めていた。

有名なマンション無料情報誌のカウンターに行くと予約をしていなかったので話を聞くことすらできなかった。
仕方ないので、近くの有名中古マンション仲介業店へ行った。
この時点では、本気でなく冷やかし程度に情報だけ持ち帰るつもりでいた。

担当してくれたのは、色白の青年でどこか頼りなさげ。
私たちのイメージを伝えると、今すぐ見れる物件を2つ紹介してくれ、早速タクシーで向かった。
途中、3件の他のマンションの前を経由してくれたが、住みたくないなぁと思った。勘のようなもの。
物件を案内してくれる前にカギを取ってきますと担当者は消えたのだが、5分程度だといいながら15分も待たせた。
案内されたのは、30階建ての24階。山が見えるのだけど、窓を開ける生活が想像できないし、怖い。
次は、20階建ての9階。玄関を開けるとすぐ壁で左右に部屋が分かれている。ううむ、なんか違う。
その日は、そのまま帰ったのだけど、高層マンションはなるべく避け、築年数も新しめで検討したい旨を伝えた。

翌日、担当者から8枚のFAXが届いた。
ほう、仕事が早いねと物件をめくると全然イメージと噛みあっていないではないか!
どれもこれも、ちっともときめかないし、山なぞ見えなくていいんじゃ!
こちらの重要で柱となる情報とまだ曖昧で実際見ないと分からない部分が伝わってない。
ショックを受けていると、その担当者から電話が。

「いかがでしたか?今日あと10件ほど物件を見つけたのですが」
「ちょっとイメージが上手くお伝え出来なかったようなので、明日具体的にお話しさせていただけますか」
「もちろんです。では○○時でいかがでしょうか?」
「ええ、大丈夫です。少し長くなると思いますのでよろしくお願いします」

翌日、私は自分で用意した資料を抱え、担当者を訪ねた。
よくあることなのだろうか、とても待たされた。
ようやイメージを具体的に伝えると、すぐにプリントアウトしてくると言って、また待たされた。
そして、持ってきた紙は、う~むな物件ばかり。
でも、2件は見学してみたい、それと具体的に理想とするあるマンションを伝えた。
そのマンションなら、東向きだろうと見学したいのですぐ案内して欲しいと。

週末、午前中に某マンション情報カウンターへ行き、新築マンションギャラリーの予約を済ませ、
昼食を済ませ、午後の約束の時間に中古マンション仲介店へ。
なんと、理想のマンションに居住中でない空き物件があるという。南東向き。
早速タクシーで行くことになった。これで見学は3件目だ。

エントランスからして美しい。豪華過ぎるのはごめんだが、ほどよく洗練され且つ慎ましい。
コンシェルジュがいるマンションって高級タワーマンションだけだと思っていたが、ここにもいるのだ。
もう、初めからひょえーと思い描いていたのを上回るマンションで、お部屋もまたよかった。

広ーい玄関に、収納しきれないほど大きな下駄箱、それに玄関と廊下は大理石。
各部屋にはもちろん収納備え付けで、寝室にはあの噂のウォークインクローゼット。
洗面所は広く、使い勝手のよい造りで、お風呂も広い。
他にもキッチンもリビングもバルコニーも感動的で、そこでの生活がイメージできた。

後から聞いたが、ここはデザイナーズマンションなのだとか。
なるほどと納得しつつ、こんな庶民な私が住むのにつり合うのだろうかと心配にもなった。
でも、想像以上に理想のマンションだと思った。

その後に見た2件はどうしても先ほどのマンションとの比較になってしまった。
面積が広くても、共用施設が充実してても、及ばない。
そして、ビル風がとても寒かった。ゴミ出しに歩きたばこで行く住人に引いた。

帰ってから、夫とやっぱりあのマンションがいいねと話して、翌日の新築ギャラリーを比較して決めることにした。
一応、担当者にその旨を電話したところ、購入意思があることを示す書面を記入して欲しいとのこと。
あまりにも展開が早いので戸惑い、新築が気に入ればその中古マンションは購入しないと確かめ、翌朝再度会って記入。

新築マンションは、午前と午後で2件だったが、説明は長いし妙な浮かれた雰囲気にどっと疲れた。
どちらかというと、夫の気が済むのならと付き合ったところが大きい。
実際は、私も少しいいかななんて浮かれたのだけど、冷静に比較するとわざわざ新築にしなくてもと思えた。
帰り道、二人でいろいろ考えたけど、やっぱりあのマンションがいいねと落ち着いた。

それからだ、怒涛のように忙しかったのは。
もう忙し過ぎて忘れてしまったが、契約までの道のりがタイトで時間ぎりぎりで進行していった。
こんなにドタバタして騙されているのではと常に警戒しつつ、平日の朝も部屋を見に行かせてもらったり、
ごみ置き場や駐輪場もきちんとしてることに安心したり。

契約前日、私はマンションの規約などの分厚いコピーを全て読んだ。
途中で眠くなりそうにもなっていたので、もう一度読んだ。
最後に、確認したい箇所や分からない表現など、とにかく要チェックだと思う部分に付箋とラインを引いた。
ああ、本当に契約なのだと思うと、なぜだか背筋が伸びるのだ。
自分自身の何かを清める準備をしているかの様だった。

契約日、18時からの予定だったが、少し早く17時半に行った。
それから、宅権の人の長い説明と契約のだいぶ必要な書類と判子、売主さんとの雑談まじりの質問など。
全てが終わって店を出たのは、もう22時に近かった。
神経を使いきったように、それはそれは疲れた。安堵ではなく放神だったのだろうか。
帰りのタクシーの運転手さんとの会話だけくっきりと覚えている。
まるで、そこだけが現実の時間みたいだった。

それから、旅行に行き、帰ってくるともうローンの検討。
ローン本審査が通ると、いよいよ引き渡しまで数ヶ月。
6月にもなれば、引っ越しか。うは