『君の膵臓をたべたい』
監督:月川翔
出演:浜辺美波,北村匠海,大友花恋,矢本悠馬,桜田通,
森下大地,上地雄輔,北川景子,小栗旬他
TOHOシネマズ伊丹にて、『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』とハシゴ。
本作のタイトルを初めて聞いたのはいつだったか。
到底ホラーとしか思えず、このセンスはどうなのよと思いました。
数週間前に何の映画を観たときだったか、本作の予告編が流れ、
私の真後ろに座っていた小学生ぐらいの男の子がボソッと「怖い」。
うん、その気持ちめっちゃわかるよ。ほんまに怖いよねぇ(笑)。
そうは思いつつも、売れているものは観なければ、読まなければ。
でないと文句も言えませんからね。
と、文句を言う気満々で、封切り前日にまずは原作を読み終えました。
そのとき“ブクログ”にUPしたレビューはこちら。
原作では「僕」の名前がラスト直前まで伏せられたまま進行します。
映画版では姓は冒頭で明らかにされていますが、名は伏せられたまま。
そして、原作にはなかった映画オリジナル、12年後のシーンからスタート。
これってもしかして小栗旬ありきだったのではと勘ぐったり。
小栗くんファンとしては歓迎します(笑)。
出身高校で国語の教鞭を執る「僕」=志賀(小栗旬)。
机の引き出しに退職願をしのばせ、いつ提出するかを考えているというのに、
図書室の閉室にあたって、司書の資格を持つ志賀は最後の整理を任される。
図書室に足を踏み入れると、高校時代の思い出がよみがえる。
まるで昔の自分を見ているかのような生徒・栗山(森下大地)から話しかけられ、
志賀は当時のことを訥々と語りはじめる。
高校時代の僕(北村匠海)。
暗くておとなしくて、友だちはひとりもいないし、つくる気もない。
本さえあればいいと、図書委員を務めている。
そんな僕が盲腸で入院した折り、病院の待合室で落とし物を拾う。
カバーをかけられた文庫本かと思いきや、中身は日記帳。
「共病文庫」と書かれたその日記帳には、当人が膵臓の病気で余命わずかだと。
びっくりする僕の前に現れた持ち主の顔を見てさらにびっくり。
それはクラスの人気者・山内桜良(浜辺美波)だった。
いつもとびきり明るい彼女にそんな秘密があったなんて。
彼女の秘密を知っているのは家族だけ、
親友の恭子(大友花恋)にすら知らせていないと言う。
翌日から桜良はなにかと僕に話しかけてくるうえに、図書委員にまで立候補。
クラスでいちばん地味な僕を人気者の彼女がかまうせいで、
恭子からはすごい目で睨まれ、委員長(桜田通)も何か言いたそう。
冷やかされるわ妬まれるわで困る。
なのに桜良はどうやら僕を、「死ぬまで仲良くする相手」に決めたらしく……。
現在のシーンに12年前のシーンが挟み込まれるといった構成で、
現在の恭子を北川景子、その婚約者を上地雄輔が演じています。
『黒崎くんの言いなりになんてならない』(2016)が意外に楽しく、
『君と100回目の恋』(2016)は個人的にはイマイチだった月川翔監督。
泣かせ方が確実に上手になっているのではないかと。
誰も僕に話しかけないなか、毎度ガムを差し出してくれるガム君(矢本悠馬)がよかった。
彼が誰なのか、客は皆わりと早くわかっているだろうと思っていましたが、
あきらかになったときに劇場内で驚きの声と笑い声が。
最後まで名前が出てこない原作をどう映画化するのか興味津々でしたが、
非常に上手く進められていると思いました。
ただ、映画だとその名前に込められた意味を反芻する暇がない(笑)。
どうぞ僕と桜良の名前の持つ意味について想いを馳せてみてください。
偶然だとか、運命だとか言うけれど、そうじゃない。
すべて自分たちが選択してきた結果。
原作でも心に響いた台詞が映画版にも出てきて、やっぱり好きでした。
ここに引用しておきます。
「違うよ。偶然じゃない。私達は、皆、自分で選んでここに来たの。
君と私がクラスで一緒だったのも、あの日病院にいたのも偶然じゃない。
運命なんかでもない。君が今までしてきた選択と、私が今までしてきた選択が、
私達を会わせたの。私達は、自分の意思で出会ったんだよ」。
監督:月川翔
出演:浜辺美波,北村匠海,大友花恋,矢本悠馬,桜田通,
森下大地,上地雄輔,北川景子,小栗旬他
TOHOシネマズ伊丹にて、『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』とハシゴ。
本作のタイトルを初めて聞いたのはいつだったか。
到底ホラーとしか思えず、このセンスはどうなのよと思いました。
数週間前に何の映画を観たときだったか、本作の予告編が流れ、
私の真後ろに座っていた小学生ぐらいの男の子がボソッと「怖い」。
うん、その気持ちめっちゃわかるよ。ほんまに怖いよねぇ(笑)。
そうは思いつつも、売れているものは観なければ、読まなければ。
でないと文句も言えませんからね。
と、文句を言う気満々で、封切り前日にまずは原作を読み終えました。
そのとき“ブクログ”にUPしたレビューはこちら。
原作では「僕」の名前がラスト直前まで伏せられたまま進行します。
映画版では姓は冒頭で明らかにされていますが、名は伏せられたまま。
そして、原作にはなかった映画オリジナル、12年後のシーンからスタート。
これってもしかして小栗旬ありきだったのではと勘ぐったり。
小栗くんファンとしては歓迎します(笑)。
出身高校で国語の教鞭を執る「僕」=志賀(小栗旬)。
机の引き出しに退職願をしのばせ、いつ提出するかを考えているというのに、
図書室の閉室にあたって、司書の資格を持つ志賀は最後の整理を任される。
図書室に足を踏み入れると、高校時代の思い出がよみがえる。
まるで昔の自分を見ているかのような生徒・栗山(森下大地)から話しかけられ、
志賀は当時のことを訥々と語りはじめる。
高校時代の僕(北村匠海)。
暗くておとなしくて、友だちはひとりもいないし、つくる気もない。
本さえあればいいと、図書委員を務めている。
そんな僕が盲腸で入院した折り、病院の待合室で落とし物を拾う。
カバーをかけられた文庫本かと思いきや、中身は日記帳。
「共病文庫」と書かれたその日記帳には、当人が膵臓の病気で余命わずかだと。
びっくりする僕の前に現れた持ち主の顔を見てさらにびっくり。
それはクラスの人気者・山内桜良(浜辺美波)だった。
いつもとびきり明るい彼女にそんな秘密があったなんて。
彼女の秘密を知っているのは家族だけ、
親友の恭子(大友花恋)にすら知らせていないと言う。
翌日から桜良はなにかと僕に話しかけてくるうえに、図書委員にまで立候補。
クラスでいちばん地味な僕を人気者の彼女がかまうせいで、
恭子からはすごい目で睨まれ、委員長(桜田通)も何か言いたそう。
冷やかされるわ妬まれるわで困る。
なのに桜良はどうやら僕を、「死ぬまで仲良くする相手」に決めたらしく……。
現在のシーンに12年前のシーンが挟み込まれるといった構成で、
現在の恭子を北川景子、その婚約者を上地雄輔が演じています。
『黒崎くんの言いなりになんてならない』(2016)が意外に楽しく、
『君と100回目の恋』(2016)は個人的にはイマイチだった月川翔監督。
泣かせ方が確実に上手になっているのではないかと。
誰も僕に話しかけないなか、毎度ガムを差し出してくれるガム君(矢本悠馬)がよかった。
彼が誰なのか、客は皆わりと早くわかっているだろうと思っていましたが、
あきらかになったときに劇場内で驚きの声と笑い声が。
最後まで名前が出てこない原作をどう映画化するのか興味津々でしたが、
非常に上手く進められていると思いました。
ただ、映画だとその名前に込められた意味を反芻する暇がない(笑)。
どうぞ僕と桜良の名前の持つ意味について想いを馳せてみてください。
偶然だとか、運命だとか言うけれど、そうじゃない。
すべて自分たちが選択してきた結果。
原作でも心に響いた台詞が映画版にも出てきて、やっぱり好きでした。
ここに引用しておきます。
「違うよ。偶然じゃない。私達は、皆、自分で選んでここに来たの。
君と私がクラスで一緒だったのも、あの日病院にいたのも偶然じゃない。
運命なんかでもない。君が今までしてきた選択と、私が今までしてきた選択が、
私達を会わせたの。私達は、自分の意思で出会ったんだよ」。