
3月14日(金) 晴
穏やかで暖かい週末なれど、吹く風の冷たさは相変わらずで、体感温度は上がらないまま。
さくらはまだまだ、ほかほかカイロが手放せませぬ。
そんな今日、午後1時から、難波の高層ホテル、モントレグラスミア大阪の22Fにて、リビング新聞旧友会が開かれた。
3年前の3月11日、このホテルの23Fにて今日と同じ旧友会が開かれており、私たちは東日本大震災を大阪で体感することになった。
同日のブログを改めて読み返してみたら、この時点では、未だ地震の全容も分かっておらず、呼称も「東北・関東大地震」ということであったのだ。
☆東北・関東大地震、シティホテルの高層階(大阪)で強震を体感す
2011年03月11日 17時08分06秒 | さくら的非日常の日々
初めに、うち続く地震に遇われました宮城県ほか東北4県の皆さま、関東・甲信越地方の皆々さま、予想外の津波被害などに襲われました皆々さまに、せめて少しでも被害の少なきを念じ、心からお見舞いを申し上げます。
◆
今日、さくらはサンケイリビング新聞社OB会のパーティーに参加して、高層ビルの地震を体感する【非日常】に遭遇した。
午後1時の開会に少し遅れて、大阪・難波のホテルモントレ・グラスミア大阪の23Fに落ち着いた。
宴もたけなわの午後2時50分少し前に、同じテーブルのお若い大谷氏が「揺れてますね。あ、地震だ!」と突然呟かれ、隣席の陶山さんも「ビールに酔ったかしらと思っていたけれど、やはり地震だわ!」と。
見上げたら、頭上のシャンデリアがゆ~ら、ゆ~ら、横に揺れやがてゆるやかに回りだし、また横に揺れ、パーティ会場の全員が席を立ち壁近くに避難する。
館内放送が流れ、「エレベーターが止まり、中に残っておられる方を調べております」、「ただいまエレベーターが止まっております。 復旧の見込みは立っておりません」と続く。
その後もたびたび余震らしき揺れがあり、およそ1㌧もあろうかという大シャンデリアの揺れは治まる気配も無い。。
およそ20分ほどの間大小の揺れを体感し、午後2時54分には冒頭の動画を撮影した。
午後3時半に、復旧しないエレベーターを諦め階段を降りることにした。
従業員さん用の、きらびやかなホテルには似つかわしくない裏階段を、10数人がゆるゆると降りた。
さくらこと、ひそかに健脚を自認しておりますもので、ささ、さ…と一気に降りて、「あ~、1階だぁ♪」と喜んだのはいいけれど、園芸コーナーらしき売り場に出たものだから、「ここはどこですか?」とレジの女性に少しトンマなお訊ねをしたら、「ここは、DIYショップですぅ♪」って。
ホテルモントレの裏階段は、お隣のDIYショップに通じている?
近鉄なんば駅に着いた時点で、大阪線の特急はすべて名張駅止めとなり、伊勢、志摩、鳥羽方面へは運休だと聞いた。
5分後に出るという急行に飛び乗り、慌しく名張に帰った。
今回の地震のマグニチュードは、わが国で近代的な地震観測が始まった1923年以降で最大級の規模という。
難儀に遭われる方が一人でも少なくありますように、当該地区の皆さまの被害が少しでも小さく済みますように、と祈り念じつつ…
今もなお、現地の復興がうまく進まないことも多く、友人の磯田昇氏(エッセイスト、大学講師)屋西島篤師氏(株式会社西島社長)らは、折々に現地に赴き、手厚い支援活動を続けておられ、頭が下がる。
さくらは、名張市役所やNTT西日本大阪病院の受付に寄金箱を見つけ、ささやかな寄金をさせていただくくらいのことしか出来ないでいる。

さくらの初めての上司、初代大阪編成局局次長でいらした阿戸政明さん。
今日の司会役を務めてくださった。

かつての良き上司の加尻氏と大島氏に囲まれて。
有難かった現役時代の思い出話に、花を咲かせる!
2011年に開かれた旧友会で、さくらは【上司】について、下記のように記している。
最近、ビジネス社会に多く見聞する【パワーハラスメント】!
怪しからぬ【上司】は、決して許されない。
ちなみに、さくらが上司と認めない上司の数人は既に逝かれ、残っておられる方も、会員名簿にその名が無い。
天網恢恢疎にして漏らさず、なのだろうね。
3月2日(金) リビング新聞OB会に出席する 水むるむ
春の予感がする日、大阪・北新地のしゃぶしゃぶ料理店に出向く。
午後6時半から、2階の広間で主婦と女性の新聞 「サンケイリビング」の退職者の集いが開かれている。
昭和46年に創刊されたサンケイリビングは、全国57エリアの865万所帯に届けられる世界最大のフリーペーパー(無料の新聞)で、地域性、ニュース性、参加性をもち、主婦を中心にした女性たちに圧倒的に読まれているニューメディアである。
がんを病んで退職するまでの13年半、私はこの会社に在籍し、新聞記者を天職と考えていた。 思い出すのは、楽しかったことばかりで、そのせいか、退職後7年近くになるのに未だにサンケイビルに足を運び、元の会社に出入りさせてもらっている。
それもこれも、育てて頂いた上司先輩のおかげ、教えてくれた仲間や若い人たちのおかげ。有り難いビジネスライフであったと、思い返す。
宴席には、専業主婦生活20年のキャリアしかなかった当時の私を採用してくださった元専務、元編集局長、いろいろ教えてくれた先輩がたがズラリ。良い上司に恵まれて、悔いのない10有余年間。私はほんとうに、幸せな部下であったと思う。
私が、「上司はすべて良い上司」 と断言するには、訳がある。記者時代の私は、「私が認めない上司は上司ではない」、と心ひそかに考える剣呑な部下であった。
上にへつらい、仕事が出来ず、なおかつ、部下に仕事をさせない。また、責任を取らない、人を陥れる。どんな会社にもいる、こういった上司と言う名の不良社員を、私は決して許さず、上司と認めなかった。
世の上司と名の付く皆さま。あなたの部下は、つねにあなたをよく観察し、評価し、そして時には軽蔑し、上司とは認めない。ことほど然様に、時代は、会社の上司・部下の関係すらも、全く新しいものに変えつつあります。
変革の時代。厳しく、脚下照顧を心がけるとき…。
もちろん、私自身も!

デザイン室のベテラン記者でいらした陶山さんと校閲部の丸尾氏。
新聞づくりをいろいろと学ばせて頂きました。
おかげ様で全国の1623人に及ぶ、病友の絆づくりが構築できていますぅ。
ありがとうございます!

ホテルに隣接したJR難波駅から王寺行きの列車に乗って、前に座っておられた男性に「鶴橋に行きたいんですけれど…」とお訊ねした。この駅から乗降したことがないので、位置関係があやふやなのだ。
「あ、次の新今宮駅か天王寺駅で環状線に乗り換えですよ」と教えられ、位置関係が甦る。
天王寺に着いて、環状線のホームに向かうさくらの前を、件んの男性がスタスタト歩いて行かれ、環状線に下りる階段で振り向くと、「ここが環状線に降りる階段です」と指さしてくださった。
お礼を言っているさくらの手を引かんばかりにして階段を一緒に下りてくださって、戻って行かれた。
この日のさくら、よほど危うく頼りなさげに見えたらしい。
大野功一さん、ご親切にありがとうございますぅ。<m(__)m>

大野さんに教えられ、向かいの座席に座ったさくらのところに、可愛いお嬢さんが近付き、スマートフォンの画面を見せて環状線の説明をしてくださった。
「あらら、今のやり取りを聞いてくださっていたのね」
大阪の街では、お若い人達に、ほんとうに親切にしていただくことが多い。
お嬢さんの名は、美鈴さん♪
高校3年生だけれど、お肌が白い練り絹のように美しいの。
「卒業したら?」、「美容関係に進もうかと…」、「あ~、ソレって、アリかも!」
私たちは、携帯の電話番号を教え合ってお別れしたのだった。
可愛い美鈴さん、Gamba!!
穏やかで暖かい週末なれど、吹く風の冷たさは相変わらずで、体感温度は上がらないまま。
さくらはまだまだ、ほかほかカイロが手放せませぬ。
そんな今日、午後1時から、難波の高層ホテル、モントレグラスミア大阪の22Fにて、リビング新聞旧友会が開かれた。
3年前の3月11日、このホテルの23Fにて今日と同じ旧友会が開かれており、私たちは東日本大震災を大阪で体感することになった。
同日のブログを改めて読み返してみたら、この時点では、未だ地震の全容も分かっておらず、呼称も「東北・関東大地震」ということであったのだ。
☆東北・関東大地震、シティホテルの高層階(大阪)で強震を体感す
2011年03月11日 17時08分06秒 | さくら的非日常の日々
初めに、うち続く地震に遇われました宮城県ほか東北4県の皆さま、関東・甲信越地方の皆々さま、予想外の津波被害などに襲われました皆々さまに、せめて少しでも被害の少なきを念じ、心からお見舞いを申し上げます。
◆
今日、さくらはサンケイリビング新聞社OB会のパーティーに参加して、高層ビルの地震を体感する【非日常】に遭遇した。
午後1時の開会に少し遅れて、大阪・難波のホテルモントレ・グラスミア大阪の23Fに落ち着いた。
宴もたけなわの午後2時50分少し前に、同じテーブルのお若い大谷氏が「揺れてますね。あ、地震だ!」と突然呟かれ、隣席の陶山さんも「ビールに酔ったかしらと思っていたけれど、やはり地震だわ!」と。
見上げたら、頭上のシャンデリアがゆ~ら、ゆ~ら、横に揺れやがてゆるやかに回りだし、また横に揺れ、パーティ会場の全員が席を立ち壁近くに避難する。
館内放送が流れ、「エレベーターが止まり、中に残っておられる方を調べております」、「ただいまエレベーターが止まっております。 復旧の見込みは立っておりません」と続く。
その後もたびたび余震らしき揺れがあり、およそ1㌧もあろうかという大シャンデリアの揺れは治まる気配も無い。。
およそ20分ほどの間大小の揺れを体感し、午後2時54分には冒頭の動画を撮影した。
午後3時半に、復旧しないエレベーターを諦め階段を降りることにした。
従業員さん用の、きらびやかなホテルには似つかわしくない裏階段を、10数人がゆるゆると降りた。
さくらこと、ひそかに健脚を自認しておりますもので、ささ、さ…と一気に降りて、「あ~、1階だぁ♪」と喜んだのはいいけれど、園芸コーナーらしき売り場に出たものだから、「ここはどこですか?」とレジの女性に少しトンマなお訊ねをしたら、「ここは、DIYショップですぅ♪」って。
ホテルモントレの裏階段は、お隣のDIYショップに通じている?
近鉄なんば駅に着いた時点で、大阪線の特急はすべて名張駅止めとなり、伊勢、志摩、鳥羽方面へは運休だと聞いた。
5分後に出るという急行に飛び乗り、慌しく名張に帰った。
今回の地震のマグニチュードは、わが国で近代的な地震観測が始まった1923年以降で最大級の規模という。
難儀に遭われる方が一人でも少なくありますように、当該地区の皆さまの被害が少しでも小さく済みますように、と祈り念じつつ…
今もなお、現地の復興がうまく進まないことも多く、友人の磯田昇氏(エッセイスト、大学講師)屋西島篤師氏(株式会社西島社長)らは、折々に現地に赴き、手厚い支援活動を続けておられ、頭が下がる。
さくらは、名張市役所やNTT西日本大阪病院の受付に寄金箱を見つけ、ささやかな寄金をさせていただくくらいのことしか出来ないでいる。

さくらの初めての上司、初代大阪編成局局次長でいらした阿戸政明さん。
今日の司会役を務めてくださった。

かつての良き上司の加尻氏と大島氏に囲まれて。
有難かった現役時代の思い出話に、花を咲かせる!
2011年に開かれた旧友会で、さくらは【上司】について、下記のように記している。
最近、ビジネス社会に多く見聞する【パワーハラスメント】!
怪しからぬ【上司】は、決して許されない。
ちなみに、さくらが上司と認めない上司の数人は既に逝かれ、残っておられる方も、会員名簿にその名が無い。
天網恢恢疎にして漏らさず、なのだろうね。
3月2日(金) リビング新聞OB会に出席する 水むるむ
春の予感がする日、大阪・北新地のしゃぶしゃぶ料理店に出向く。
午後6時半から、2階の広間で主婦と女性の新聞 「サンケイリビング」の退職者の集いが開かれている。
昭和46年に創刊されたサンケイリビングは、全国57エリアの865万所帯に届けられる世界最大のフリーペーパー(無料の新聞)で、地域性、ニュース性、参加性をもち、主婦を中心にした女性たちに圧倒的に読まれているニューメディアである。
がんを病んで退職するまでの13年半、私はこの会社に在籍し、新聞記者を天職と考えていた。 思い出すのは、楽しかったことばかりで、そのせいか、退職後7年近くになるのに未だにサンケイビルに足を運び、元の会社に出入りさせてもらっている。
それもこれも、育てて頂いた上司先輩のおかげ、教えてくれた仲間や若い人たちのおかげ。有り難いビジネスライフであったと、思い返す。
宴席には、専業主婦生活20年のキャリアしかなかった当時の私を採用してくださった元専務、元編集局長、いろいろ教えてくれた先輩がたがズラリ。良い上司に恵まれて、悔いのない10有余年間。私はほんとうに、幸せな部下であったと思う。
私が、「上司はすべて良い上司」 と断言するには、訳がある。記者時代の私は、「私が認めない上司は上司ではない」、と心ひそかに考える剣呑な部下であった。
上にへつらい、仕事が出来ず、なおかつ、部下に仕事をさせない。また、責任を取らない、人を陥れる。どんな会社にもいる、こういった上司と言う名の不良社員を、私は決して許さず、上司と認めなかった。
世の上司と名の付く皆さま。あなたの部下は、つねにあなたをよく観察し、評価し、そして時には軽蔑し、上司とは認めない。ことほど然様に、時代は、会社の上司・部下の関係すらも、全く新しいものに変えつつあります。
変革の時代。厳しく、脚下照顧を心がけるとき…。
もちろん、私自身も!

デザイン室のベテラン記者でいらした陶山さんと校閲部の丸尾氏。
新聞づくりをいろいろと学ばせて頂きました。
おかげ様で全国の1623人に及ぶ、病友の絆づくりが構築できていますぅ。
ありがとうございます!

ホテルに隣接したJR難波駅から王寺行きの列車に乗って、前に座っておられた男性に「鶴橋に行きたいんですけれど…」とお訊ねした。この駅から乗降したことがないので、位置関係があやふやなのだ。
「あ、次の新今宮駅か天王寺駅で環状線に乗り換えですよ」と教えられ、位置関係が甦る。
天王寺に着いて、環状線のホームに向かうさくらの前を、件んの男性がスタスタト歩いて行かれ、環状線に下りる階段で振り向くと、「ここが環状線に降りる階段です」と指さしてくださった。
お礼を言っているさくらの手を引かんばかりにして階段を一緒に下りてくださって、戻って行かれた。
この日のさくら、よほど危うく頼りなさげに見えたらしい。
大野功一さん、ご親切にありがとうございますぅ。<m(__)m>

大野さんに教えられ、向かいの座席に座ったさくらのところに、可愛いお嬢さんが近付き、スマートフォンの画面を見せて環状線の説明をしてくださった。
「あらら、今のやり取りを聞いてくださっていたのね」
大阪の街では、お若い人達に、ほんとうに親切にしていただくことが多い。
お嬢さんの名は、美鈴さん♪
高校3年生だけれど、お肌が白い練り絹のように美しいの。
「卒業したら?」、「美容関係に進もうかと…」、「あ~、ソレって、アリかも!」
私たちは、携帯の電話番号を教え合ってお別れしたのだった。
可愛い美鈴さん、Gamba!!
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