
9月29日(木) 晴のち曇
楽しい旅の記憶は早や消えて、 変わらない日常が戻ってきた。
放りっぱなしにしていた庭の植栽を伐採するために、電動バリカン、長柄の大鋏、高枝伐り鋏などをまずは用意し、やおら刈込をせんものと意気込んだのは良かったけれど、午後5時前に、「やや、やっ! 一天俄かにかき曇り」、あたりは夕闇に隠れてしまった。

少しでも明るいうちに、と思えども、あっという間に暗くなり、携帯の明かりでところどころを、照らして進む。

玄関から裏庭に通じる小道も、ノウゼンカズラとゴーヤーとプチトマトが絡み合い重なり合い、左画像のような有り様で、右画像のように原状復帰させるには、およそ1時間近くを要したのである。
その後、居間の縁側に置いた長靴を履いて裏庭に出、水遣りなどを行う。
怪しの雲行きに、「一雨来るか?」と期待したけれど、ばらばら、バラっと大粒の雨が一瞬降って、さっと終わってしまった。
「嗚無情‼( Les Misérables)」と、天に向かって、植栽たちの代弁をする。

鰻を食べに津市まで車を飛ばし、エクシブ有馬離宮の洗練されたイタリアンとフレンチの融合とも言えるようなヌーベル・キュイジーヌ(新しい料理)を楽しみ、その間にも、お菓子をいただき、採れたてのミカンや柿を頂戴し。
なので、この週に入ってからは、至って質素な食事を楽しむさくら♪です。
肉巻きオカワカメと、玉ねぎ、しらたきの寄せ煮、豆腐に庭の隅のエゴマと穂@黒酢。
◆
抗がん闘病のさなか、私の体は度々400超えの血糖値を示し、主治医の元村卓嗣先生には「がんで命を救って糖尿病で死なせたくない」とひざ詰めで進めていただき、インスリン投与を受け入れた。
逝かれた恭子姉さまは、お見舞いの品々に「お心だけいただいてよそに回して喜んで貰いなさい。 あんたは、インスリン打ってる糖尿病患者でしょ!」と、大きな目に一杯涙を溜めて叱ってくださった。
飽食の時代、飽食の申し子のように夜な夜な大阪・北新地に上司のお伴をし、そのことも恭子姉さまには「いい加減にしなさい!」と、幾度叱られたことか。
無頼の女、無頼の記者。
退くことを知らなかった。
美味しいものに目が無く、食べた、食べた。
結果、あのままがんにならなかったら、今、この世に私の命はない。
がんのおかげで、それまで続けてきた「暖衣飽食」をはじめとする、いけない生活習慣が如実に曝され、心の底から反省して、しばらくは、まことに賢く正しく謙虚に暮らしたものだ。
そのせいで、贅肉の落ちた腰部はすっきりと締まり、ポッコリおなかの脂肪は跡形もなく消えていた。
それなのに。
あぁ、それなのに。
あれから30年! ※ここから突如綾小路きみまろ風になってしまう。
香港の、あのホテル・ペニンシュラの、プールサイドにスラリ出で立った(つもりの)さくら♪のおなかは、「あ、みつばちハッチやぁ」と息子たちに笑われ、以来、今に至るも消え去る気配もない。
◆
豊かに幸せに過ぎると思えたどなたの人生にも、「一天俄かに掻き曇る」時は、少なからず訪れる。多分、訪れる。
氣がつかなく過ぎれば良し、私のように「がんを与えられ」、「天職の辞意を已む無く迫られ」、「夫をもぎ取るように黄泉に連れ去られ」、数えきれない小さな『人生の天候急変』を迫られ、その都度立ち向かい、有難くも打ち勝ってきた。
天の意志、仲間の絆、友人・知人・家族の支え。
近代医学と中医学のおかげ。
有難く、今日一日を終える。
ありがとうございます。
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