8月29日(月) 晴
久しぶりに予定のなかった週明けの午後。
たった120日足らずしか拘わらなかった中学1年生の頃の恩師の妹(さくら♪)を訪ねて、久美子さんが来てくださった。
客間に上がるや、病友・利昭氏の夫人、ちゑ子さんが夫君の寛解と金つなぎの会創設20周年を祝って贈ってくださった、一針一針に思いの籠もる爛漫の桜花のタペストリーを感心して眺めてくださって、とても有難かった。
◇
☆決して優秀ではなかった自分にも気軽に声をかけてくださり、度々励ましてもらったこと。
☆中1の自分に、将来の夢の灯をともしてくださったこと。
☆大阪万博に行きますと話したら、「外国人を見つけたら、得意の英語であいさつでもいいから声をかけてごらん」と言われ、「先生、話が出来ました!」と報告したら、「偉かったねぇ」と頭を撫でてもらって嬉しかったこと。
★夏休みにご葬儀に参列し、友達と号泣したこと。
★2学期になって、則子先生の【死】を受け入れられず悩んだこと。
思い出話を、会話のやり取りも交えてまざまざと語られ、互いに涙を流した。
3歳年上の則子ねえさまがとつぜん逝かれて51年目の今年、教え子の久美子さんから突然に連絡をいただき、正夫義兄さまも私も、とっさにはお戒名も祥月命日も脳裏に浮かばなかった。それなのに、51年前の恩師とのやり取りを、まるで昨日のことにように話される師弟の絆の確かさに、背筋が伸びた。
夫君の正夫義兄さまの陶芸教室には毎月通い、亡姉のことも折々に話題にしているのに、昨年は【則成院50回忌】記念のお品と風鈴も頂戴したのに、日常の中に埋もれさせてしまった。
久美子さんの思い出を通して、「高楠則子先生」が私に何を求めておられるのか、先ずはこの次第を遺された4人の甥と姪に伝えましょうか。
「あなたたちの母上は、教え子さんに50年もの間慕われた中学教師だったのよ」と。 母に抱かれた記憶の無い甥と姪は、果たして喜んでくれるかどうか? …まことに切ないことではある。
お茶うけに、大阪長崎堂のぜりぃを用意した。
お中元に戴いて、冷蔵してあった逸品。 このところ本店に姿の見えない美江子ママがおられたら、きっと太宰治の話などを明るく楽しくいきいきと聴かせてくださることでしょうに。
大阪・心斎橋、カステーラの長崎堂の、美江子ママとオルゴールに思いを致す、はや秋の夕暮れ♪
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