12月11日(火)雨のち晴 亡姉に関わることが、少しづつ片付いていく。今日やっと、通夜式とお葬式に捧げていただいた3本の弔辞を、姉の教え子の由美子さんに品良くリライトしていただき、ともに届ける挨拶状も整った。粗供養のお品を揃えてくださった、シャデイ・サラダ館多気店の小野社長には、度々姉宅に出向いていただき、そのあげく、私が入院してしまってすべてが遅ればせになり、ご心配をおかけした。
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12月4日(火) 曇 松阪から乗車のT氏、あっちゃんと名張駅で合流し、朝9時の特急で、京都に向かう。 妙子ねえさんの遺骨を、姉がこよなく愛した京都・嵯峨野のお寺に納めに行くためだ。 嵯峨野は、時雨れて名残の紅葉が、はっとするほどに美しい。
姉の愛した風景を楽しみつつ、「なんで、こんなにも大事に見送ってやるんだろ?」
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12月1日(土)晴 パパの一家と松阪に行く。姉宅に、教え子さんが来て、形見の品を車いっぱいに積んで帰られたのに、何も変わらない。
…それほど、モノがたくさんあって、ふうっ! T氏、あっちゃんも来てくださって、皆でゴミ出しをっせっせ、せっせ。
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姉が逝き、満中陰も済み、けれど、それですべてが終わったわけではない。
親身に及ぶお世話をくださった、教え子のとみだ先生、喪主を努めてくれた本家の跡取り、英登の学友・平岡先生。
両先生のおかげで、姉は人生の最後の幕引きが出来た、と言っていい。
仕事に執着し、なによりも生に執着した姉を、まるで息子のように諭し導いてくださったお二人のDrに、心からのお礼を申し上げ、それから、松阪高校と三重高校に出向き、多くの蔵書と買ったばかりのテレビを寄贈する話もうまく進んだ。
松高の小林元校長先生の、お計らいによるおかげ、おかげ。
皆々さま、ありがとうございます。
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11月28日(水)曇 午前9時の電車で松阪に行く。 姉の逝去に伴い封鎖されていた預金を解除してもらうため、駅前で豊田氏と待ち合わせ、タクシーで第三銀行に向かう。
5人兄弟のうち3人が逝き、亡き兄姉たちの子どもたちを合わせると、遺産相続人は10人に及ぶ。
誰もが、姉の遺産を欲しがったりはしないのだが、とにかく、姉の除籍謄本やら原戸籍やら、印鑑証明に念書が10人分!
…必要なのであります。
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10月29日(月)午前10時過ぎ、松阪に行く。今日は姉の三七日で、いつものようにT氏、あっちゃん、姉の最初の教え子のさぁちゃんとで、T氏の般若心経に唱和。
凍結された姉の預金の件で、百五銀行→市役所に謄本請求→砂子会計事務所に立ち寄り→済生会病院に医療費支払いとDr&ナースにお礼→さぁちゃん宅迎え、などなど、市内を駆け回り…。
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10月20日(土) 午前11時から、桔梗が丘近鉄で、がんサポーター会の皆さんと、紅葉狩り&温浴療法のチラシ配りを。昼食のあと、昨日オープンしたばかりのアミューズメント・イオンの前で配布。 午後2時にメンバーと別れ、パパの運転で、姉の二七日を努めるため、松阪に向かう。
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午後、T氏から悲痛な電話が入り、姉の逝去を知った。急ぎ松阪に戻り、病院に直行。自宅に連れ帰る。
どたばた、あたふた、非時の言葉通りの数時間をこなし、吉弘兄さんのアドバイスに従い、日付が変わるころ、真木一家の車で名張に帰る。
喪服を出して、半襟を付けていた時、姉の声が甦った。
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10月8日(月・祝) 昨日は、病院を後にしたのが午後6時過ぎ。 パパの運転でR165をひた走り、名張に帰り着いたのが同7時半過ぎ。 もはや、家で夕食をする気力・体力ともに残ってない有り様で…。 衆議一決。 天スタ(天理スタミナラーメン)で、天スタラーメン、餃子、チャーハン、唐揚げ、メンマ。
まことに、ヘンな夕食とはなった。
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10月2日(火)正午過ぎに、遅れていた機関紙の原稿を青山文芸社にメール送信。そのまま近鉄に飛び乗り、いま松阪に向かっている。一昨日、雨と冷えの中、病院に行ったら「お家の方、主治医の説明を受けてください」 と張り紙がしてあった。
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老女の闘病日記・日に新た日に日に新たなり
人はなぜ、病むのか?人はなぜ生きるのか?なぜ、死ぬのか?