ケン・ヘンズレー追悼2日目。邦題は「対自核」。
Facebookのお友達キクさんから教えてもらったんですが、ここでリード・ヴォーカルをとっているのはデヴィッド・バイロンじゃなくて、ケン・ヘンズレーなんだそうです。
ヒープもレコード集めには苦労したバンドだったことを、懐かしく思い出します。日本での版権が日本コロムビアからワーナー・パイオニアに移り、人気だったアルバムは再発されたものの1st、2ndは再発されなかった。そうなったら西新宿に輸入盤を探しに行くしかないのですが、手に出来たのは米盤。センスなど微塵も感じないジャケット・デザインに変更されてて、紙質はボール紙。印刷がズレてるのもあった。また、酷いものはターンテーブルで波打っていたし。“ディスクロード”は米盤ばかり。英盤を扱っていたのは、“オム”か“宿レコ(新宿レコード)”ぐらいだったが高かった。当時、米盤が1980円ぐらいで、英盤は3000円以上もしたから。
akichan!
Facebookのお友達キクさんから教えてもらったんですが、ここでリード・ヴォーカルをとっているのはデヴィッド・バイロンじゃなくて、ケン・ヘンズレーなんだそうです。
ヒープもレコード集めには苦労したバンドだったことを、懐かしく思い出します。日本での版権が日本コロムビアからワーナー・パイオニアに移り、人気だったアルバムは再発されたものの1st、2ndは再発されなかった。そうなったら西新宿に輸入盤を探しに行くしかないのですが、手に出来たのは米盤。センスなど微塵も感じないジャケット・デザインに変更されてて、紙質はボール紙。印刷がズレてるのもあった。また、酷いものはターンテーブルで波打っていたし。“ディスクロード”は米盤ばかり。英盤を扱っていたのは、“オム”か“宿レコ(新宿レコード)”ぐらいだったが高かった。当時、米盤が1980円ぐらいで、英盤は3000円以上もしたから。
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