今回のパソコン改造は、結局、まるまる2台を新規で製作したようなものだ。
旧作を抜き出さなければならなかった分、新作よりも余計な手間がかかった。
旧作を抜き出す作業で、随分と苦労した。
パソコン本体を机の上に持ち上げる力がなく、仕方なく、床に横倒しにして蓋を開け、上から覗き込むような格好で作業した。そもそも、この姿勢が苦しかった。
正座などできないので、
椅 . . . 本文を読む
私のパソコン自作の始まりは、10数年前の新CPU(AMD)発売だった。
当時、パソコンはとても高価だった。
1998年のCPUの価格は、最先端技術満載のAMD300が2万円前後であるのに対して、ハイエンドモデルであったインテル/ペンティアムⅡ450は10万円もした(下表参照)。
300や450はメガヘルツ、つまりCPUのスピードのことだ。
今となっては450 . . . 本文を読む
半年振りにビールを飲んだ。
あまりにも首や肩や腕が痛くて、辛くて、それから逃れたい一心で、
アルコールに手を出してしまった。
合法的な麻薬とはよく言ったものだ。
コップ1杯も飲んだら、
嘘のように私の身体は、すうっと自由になった。
私の父も身体を壊して、生涯、苦痛に苛まれ、
薬だけではその苦痛から逃れることができず、
アルコールに頼り、若死にしてしまった。
そんな父を、私は許すこ . . . 本文を読む
「どこが一番痛いですか」
転院先の療養士から、よく訊かれた。
全身が痛くて辛かったから、一番痛む場所と言われても、返答に困った。
でも、今になって思い返してみると、
自分でも、その痛い場所がよく判らなかったのではないかと思う。
最初の入院先で、看護士がロキソニンジェル(鎮痛剤)を塗る際に、
「(塗ったところが)すーっとするでしょ」
と言っていたけれど、私には判らなかっ . . . 本文を読む
私の足許をすうっと黒い物体が横切った。
恐怖のあまり、私の目は大きく見開らき、
夜更けにも拘わらず、
「ぎぁぁーっ」と大きな悲鳴を思わず上げていた。
従前、住んでいた古いアパートでは、時折、見かけることもあったが、
ここ十数年、その姿を見たこともなかった。
その名は「ゴキブリ」
もはや、対策用の殺虫剤すら常備していなかった。
とうの昔に防駆除対象はダニに代わっている . . . 本文を読む
去年の平成25年5月上旬は、例年になく急激に気温が下がり、
テレビのニュースでもそのことが話題になったほどで、
手足が凍えるように感じるのは、てっきり、そのせいだと思い込んでしまった。
特に、足首から先の凍え感は尋常ではなく、
冬から仕舞いそびれていたセラミックヒーター活用に思い至ることは、
至極当然の成り行きだった。
今、思えば、短絡的・刹那的であった。
凍え感は、 . . . 本文を読む
怪我で入院したのが、平成24年8月下旬。
今日が平成26年6月下旬。
いちいち書き留めないと、今が平成何年なのか判らなくなってきた。
良し悪しは別にして、療養生活では日常の変化が乏しいので、
時間的感覚が鈍くなってしまうようだ。
入院していた頃のことを書いていると、
その当時のことだけが頭の中で鮮明になり、それ以外の記憶が薄れてしまう。
まるで時間を喪失したような、妙な気分だ。
& . . . 本文を読む
怪我をする前は、
何かを書こうと思うと、そのストーリーの要所や節目が、
まるで飛行場の誘導灯みたいに目の前に浮かびあがった。
文章自体も、調子の良い時なら原稿用紙で2~3枚分、
つらつらと頭の中に湧いてきた。
全体が見渡せているから、
途中で何を書くつもりだったのかが判らなくなるなんていうことは、
絶対になかった・・・。
それなのに、怪我をしてからというもの、
例 . . . 本文を読む
病院に救急搬送されて10日ばかり経ってくると、
全身の筋肉痛もさることながら、頭の掻痒感が尋常ではなくなってきた。
10日間も頭を洗わないなんて、
それまで毎日シャンプーしていた私にとっては考えられない状況だ。
毎朝、2名1組の看護士が身体を拭いてくれるので、
残暑厳しい時候ながら、衛生的には保たれているらしい。
体臭は気にはしていたけれど、自分では判らなかった。
しかし、頭の痒さだ . . . 本文を読む
桜の美しい頃、
花冷えと言うらしい、
3月の終わりから4月の初めにかけて、
気温がぐっと下がった時期があった。
加えて天候も崩れ、雨の日が何日か続いた。
たちまち私の身体は変調をきたし、
あちこちに痛みを発し、固まって動かなくなった。
それでも、ひと目、桜を見たかったから、
無理をしてベランダに出た。
近くに桜が咲いているのだ。
ここから見る桜の木は全く人の気配を感じさせず、
凜冽と咲いていた。 . . . 本文を読む
個々にお返事ができなくて、申し訳ありません。
私の現況は、「その後」
「いつものこと」で書いたとおり、
あまり芳しいものではありません。
しかし、それでも、頚髄損傷で、当初、首から下が完全麻痺だったことを考えると、
極めて順調な回復と言えます。
残念なことに、現在以上の回復(もとのように動けるようになること)は難しい模様ですが、
これ以上、悪くならないように、
せめて身の回りのことは、なんとかで . . . 本文を読む
私の患った「頚髄損傷」は、ほとんど治る見込みがない。今こそ、現世を超越した宗教の世界に身を委ね、救いを求める時が到来したのではないか。日頃から信心深かった訳でもなく、全くの急な変心である。こんな身体になったからなのか、仏教的な無常観に魅かれ、入院中は「般若心経」を唱えることが日課になっていた。般若心経だけではない。心の平穏を求めて、まずは、「平家物語」冒頭の有名な一節・・・祇園精舎の鐘の声、諸行無 . . . 本文を読む
極度の食欲不振から体重が63キロから43キロに激減した。入院後、僅か1か月間のことである。食欲不振の理由は、頚髄損傷特有の全身の痛みによるものに加え、食べることに対する恐怖、そして、食べることによって必然的に発生する排泄への恐怖だった。頚髄損傷によって排泄障害を引き起こしていたのだ。尿はカテーテルで強制的に排泄させられていたから、それはそれで苦痛だったものの、とりあえずは解決していた。問題は大便の . . . 本文を読む
入院当初、担当のリハビリ療養士から、今後のリハビリ計画を説明された。・・・怪我をしてから50日間程度を急性期と言い、その間、この病院で治療する。首の骨折の予後治療、首から下の完全麻痺状態の改善を図ることが目的となる。その後、リハビリ専門病院に転院することとなる。転院するまでにどの程度よくなるかは、人によって大きく異なる。・・・「歩いて退院した方もいましたよ」と、その療養士は言った。現在の医療制度に . . . 本文を読む
手足の感覚が麻痺している。最初は手足だけでなく、首から下が完全麻痺の状態だった。自分の身体なのに、どこも動かない。どうなっているのかさえ判らない。何かの拍子で、腕が身体の下敷きになっても、そのことが判らないし、戻すこともできない。療養士が二人、私の担当になって、毎日、熱心に、多い時は1日に何回もマッサージしてくれた。最初のうちは、主治医も何回も顔を出してくれた。そういう周囲の腫れものに触れるような . . . 本文を読む