入院当初、担当のリハビリ療養士から、今後のリハビリ計画を説明された。
・・・
怪我をしてから50日間程度を急性期と言い、その間、この病院で治療する。
首の骨折の予後治療、首から下の完全麻痺状態の改善を図ることが目的となる。
その後、リハビリ専門病院に転院することとなる。
転院するまでにどの程度よくなるかは、人によって大きく異なる。
・・・
「歩いて退院した方もいましたよ」と、その療養士は言った。
現在の医療制度においては、救急患者の入院期間の長期化を回避するため、
急性期における医療保険点数を症例毎に比較的高めに設定し、それ以降は大きく減額する。
私のような頚髄損傷の急性期は50日間程度らしい。
個々の症状がどうであろうが、その期間を過ぎれば、医療保険で支払われる額が大きく減る。
巨額となった医療費の削減を図るためである。
2か月も経たないうちに、どこかに転院させられるらしい。
今のように、ただベッドに横たわっているだけの状態での転院など、とても耐えられない。
もし、そうなった場合は、転院先の病院の救急車が利用できると説明を受けたが、あまり喜べない。
ましてや、それも有料で自己負担と聞けば、尚更である。
私は、とても焦った。
なんとしても、よくならなければならない。
あくまでも、私が考えただけのことではあるが、
転院までに自立歩行できるようになりたい、
それを目標にして、リハビリを開始するとすれば、
逆算すると、3週間目くらいには、自分で立てるようにならないと間に合わない。
頚髄損傷の知識が全くなかったからこそ、こんな絵に描いたような楽観的目標が考えられたのだ。
頚髄損傷で首から下が完全麻痺となった者が自立歩行できるようになることなど、
ほとんどないということを知ったのは、随分と後になってからであった。
その当時から1年半経った現在も担当していただいているリハビリ療養士が、
「私の担当した患者さんの中でも、一番回復しているし、その回復速度も最高です」
と言ってくれるほど、私の回復ぶりは目を見張るものらしいが、それでも社会復帰には程遠い状態だ。
とにかく、当時は、そんなふうに考え、3週間目には立てるようになろうと考えた。
入院して10日くらい経ったある日、ベッドに寝たまま、初めてリハビリ室に見学に連れて行かれた。
ベルトやハンドル、操作台がついた物々しいベッドの脇に私のベッドは横付けされた。
「これはチルトテーブルといわれるもので、立てるように訓練する装置です。
この上に横たわってもらい、ベルトでしっかりと身体を固定したうえで、
電動でゆっくりとチルトテーブルごと起き上がらせます。
ずっと寝たままでしたから、最初は、血圧が下がって、気絶することもありますが、
そこは、われわれがついていますから、大丈夫です」
おいおい、気絶させる気かよ・・・
所謂、立眩み
・・・起立性調節障害と言われるものである。
健常者ならば、交感神経末端からアドレナリンが分泌され血圧低下を防ぐのだが、
頚髄損傷者の場合、交感神経も損傷していることが多く、血流が悪くなり、貧血を起こす。
今でも四肢が凍えるように感じるのは、こうして引き起こされる血流の悪さが原因だ。
その後、3週間目にチルトテーブルに初挑戦したのだが、
30度くらい起き上がったところで、血圧が急低下し、気分が悪くなってしまい、
あえなくダウン・・・中止となった。
垂直まで起き上がれたのは、入院して1カ月後、首に巻いたカラーも取れた後だった。
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