mimi-fuku通信

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NHK-BS:『アバド&ルツェルン2011/ブルックナーの交響曲第5番』

2011-08-25 23:36:00 | クラシック・吹奏楽

 BSプレミアムシアター
 
アバド&ルツェルン祝祭管弦楽団演奏会

 ルツェルン音楽祭2011から 
 『東日本大震災へのトリビュート』

 『ルツェルン音楽祭2011』
 交響曲第35番 ニ長調 K.385 「ハフナー」(モーツァルト作曲)
 交響曲第5番 変ロ長調(ブルックナー作曲)

 
『ルツェルン音楽祭2009』
 最後の七つの歌から(マーラー作曲)
 交響曲第4番ト長調(マーラー作曲)

 放送時間:2011
年8月27日(土)午後11時30分~午前3時20分

 
<mimifukuから一言>

 クラシック・ファンにとって毎年の“お楽しみ”となった、
 
“アバドによるルツェルン音楽祭演奏会”
 今年は演奏会当日から10日も経たない8月27日の放送。

 今年(2011)のBS中継はアバド&ベルリン・フィルの『大地の歌』の放送もあり、
 歴代の名指揮者たちにも劣らない“巨匠”の称号に相応しいアバドの演奏活動は、
 神の領域に最も近い音楽家(表現者)としてファンも認知しているのではないだろうか?

 巨匠不在の時代と言われて久しい21世紀のクラシック界。
 巨匠になるべき人柄と年輪は過去の経験(実績)なくしてありえず、
 優れた指揮者とは如何なるものかの問いに、
 “演奏者が本気で表現者(指揮者)のために全精力を傾けたいと願う心の喚起”
 “自分達(オーケストラ)を能力以上の別の次元に運んでくれる指導者(指揮者)”
 との解答を見出す事ができる。

 つまり演奏家(楽団員)にとって尊敬できるべき存在にあり、
 自分達がイメージした以上の深い解釈を指揮者に見出す時に、
 自ずと楽団員としての本能は音楽に集中していく。

 目の前にいる伝説(巨匠と呼ばれる指揮者)との一期一会の出会い(瞬間)。
 過去の歴史的な名演奏とはそうした楽団員達の心(緊張・意欲)の統一が、
 主体(名演奏を生み出す土台)となっているように思う。

 マーラー指揮者としては既に高い評価を得ているアバドのブルックナー。
 ブルックナーの全10曲の交響曲(0番を含む)の中でも最も難易度の高い第5番。
 クラシック初心者にとっては聴くに苦痛となるだろうブルックナーの音楽は、
 数年に一度行われる『音楽の友』誌のアンケート“最も嫌いな作曲家部門”では、
 ダントツの第一位に輝く栄光(嫌味ではなく)を手にしている。
 
 少しだけブルックナーの交響曲の話をしよう。
 ブルックナーについて当ブログでは過去に下記(訂正文を記載)の記述がある。
 交響曲9番ニ短調について、
 ヴァントやハイティンクの演奏(放送)を視聴し文字にしたものだ。
 *記事本文1→ http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20090311
 *記事本文2→ http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20080322

 ヴァントの音楽表現(ベルリン・フィルとのライブ映像)は、
 予想通りに私の耳には届かなかった。
 いくつかのヴァントのブルックナーをCDで聴いているが、
 際立って特筆(突出した)すべき演奏ではないように思う。
 *ヴァンとの演奏も決して悪くはないが借り物のオケで何が他よりも秀でているのか?
 指揮者の素養として一番重要とされるオケを育てる能力に私は疑問を持っている。

 個人的に多々ある交響曲9番の演奏の中で、
 一番好きな演奏はジュリーニ&ウィーン・フィル。
 しかしそのお気に入りの演奏でさえ、
 2楽章の金管表現に不可解な強奏があり、
 曲の全体像を不調和なものにしていると感じる。


 個人的な話になるが私のコレクションの中にある、
 ブルックナーの交響曲9番のCDは、
 ・ジュリーニのウィーン・フィル(1988年)、
 ・シューリヒトのウィーン・フィル(1961年)、
 ・カラヤンのベルリン・フィル(1975年)
 ・マタチッチのチェコ・フィルがあり、
 映像(DVD保存)では昨年ハイビジョンで放送された
 ・ヴァント:ベルリン・フィル(1998年)
 ・朝比奈隆:NHK交響楽団(2000年)
 *ヴァントのCDは3、4,5、6、8を所持。

 お気に入りのジュリーニの演奏は、1楽章と3楽章の緊張感が素晴らしく、
 ウィーン・フィルが持つ演奏能力が最大限に発揮された名演奏。
 同じくウィーン・フィルの演奏でありながら真逆の名演奏がシューリヒト盤。
 シューリヒトの演奏は多くの推薦本の中に素朴な演奏とあるが、
 この演奏の本質的な素晴らしさは表現力。
 オーケストラの各セクションがまるで会話でもするかのように、
 楽器群が表情を変えながらストーリー性を持って進行。
 ジュリーニの重量感ある演奏とは違い軽妙な語り口で主張する旋律と伴奏。
 一番飽きがこない演奏の最右翼と言われる所以(ゆえん)が理解できる。
 *テンポの遅いジュリーニと速いシューリヒトは対照的ながら甲乙つけがたい。

 カラヤンの演奏は“短いメロディでもしっかりと歌わせる美意識”が健在で、
 大衆が何を自分に望んでいるかを熟知?しているカラヤン・スタイル。
 マタチッチの演奏は大味だがマタチッチらしい熱演で別の面白さがある。

 このようにひとつの演奏を聴くにあたっては過去に聴いた楽曲に対する、
 印象付け(イメージ)によって聴衆は過去の記憶との比較を試みる。
 この試みこそがクラシック音楽の楽しみ方(醍醐味)の一つで、
 自分にどれだけの経験を与えるかによって聴き方が変わる。
 “多くの経験を自分に与えることによって楽しみを増やす”
 趣味の世界の奥の深さとはそうした経験によって生まれる。   

 一期一会。
 1つの楽曲や演奏に感じる個人個人の心の動きは、
 自分の好みと性質を知る手がかりになる。
 “嫌いだから聴かない”
 では成長(豊かな鑑賞能力)するチャンスを逃す。
 “嫌いなものの何が嫌いなのか?”
 “嫌いな理由の本質は何処に所在するのか?”
 その自分の中の真実(比較対象)を見つめることで、
 苦手意識への対処の仕方を身に付けていく。
 *それは総ての自意識(脳の働き)に通じる。

 
クラシック初心者のブルックナー体験は、
 こんな感じで始まるはずだ(笑)。

 何故このような記述を再録するかといえば、
 クラシック・ファンでも苦手とするブルックナーの楽曲の中で、
 最もブルックナーらしい楽曲が今回放送される交響曲第5番変ロ長調。

 晩年の3大交響曲(7.8.9)は美しいメロディや迫力のある場面転換が楽しく、
 タイトルから人気の高い第4番(ロマンテック)も覚えやすいメロディを持つが、
 交響曲第5番は和声を基軸に作られた“響き”に重点を置いた作品

 ブルックナーが嫌われる3大理由?に、
 “長い”、“音が止まる”、“うるさい”

 特異点としての“音が止まる”は、
 メロディの流れに安心感を覚えたとたんに音が突然止まったかと思えば、
 金管の重奏は大音量のベーベーとした美意識とは正反対の音の塊(かたまり)。
 *ジャズ・ファンにとってはセロニアス・モンクのブリリアント・コーナーズの感じ?
 その音の塊には連続したメロディを見出す事ができないうちに次の場面転換。
 慣れていないうちは聴いていてヘトヘトになるのがブル5(笑)。

 ブルックナーの交響曲5番と言えば、
 過去に朝比奈隆さんがシカゴ交響楽団を振った渾身の名演奏が記憶に残り、
 NHK地上波でも放送された映像をご覧になられた方も多いと思う。
 地上最強の金管(ショルティ時代)と言われた剛のシカゴ響を本気にさせた朝比奈隆。
 
“ブル5の鑑賞はメロディでなく響きを聴け!”
 と何処かで聞いたフレーズもブルックナーの困難はまだまだ続く。

 ブルックナーをつまらなくしたのは音楽評論の責任も重い。
 ブルックナーの演奏はこうでなければならないと言う一部の評論が、
 カラヤンを否定し、ベームを否定し、朝比奈やヴァントを神に仕立てた。
 また、
 楽譜の版に拘る余り演奏や表現を超えて版(原典版や改訂版)に論評が執着。
 改訂版は聴くに値しないとの不可思議な論法は聴き手に偏狭なイメージを与えた。

 素晴らしい演奏とは何であるか?
 偏狭なブルックナー論者に心酔しているブルックナー・ファンにとって、
 アバド&ルツェルンの演奏はどのように耳に伝わるのか?
 *オルガンの響きを再現しなければブルックナー表現としては可笑しい。
 *響きに重圧のないブルックナー表現は陳腐この上ない。
 ブルックナー論者は固定化された枠外の演奏を否定する事がお好きだ。

 そんな偏狭な評論をイメージし、
 アバドのブルックナーの世界を最後まで全曲を堪能して欲しい。
 これまでとはまるで違ったブルックナーの本質が見えるはず。

 *明るく聴きやすいブルックナー。
 ウェルザー=メストのブル5(放送)を聴いた時に感じたことだ。

 *柔らかく聡明なブルックナー。
 巨匠:クラウディオ・アバドにはこれまでとは違う響きを期待する。
 
 バーンスタインの濃厚なマーラーとは対極にあった、
 アバドが創り上げた新しいマーラー像。
 特筆すべきはアバド×ルツェルンのマラ3&マラ4。
 人生の幸福を感じる角笛交響曲の時代が、
 協調型の指揮者:クラウディオ・アバドにはお似合いだ。

 ルツェルン2009のマーラー:交響曲第4番ト長調。
 再放送ながら21世紀の伝説となるだろう屈指の名演奏。
 精密細緻な演奏能力とアバドの深い慈悲の心。


 クラシック・ファンならば、
 絶対にお見逃しなしなく。

 <番組感想>

 予想通りの演奏にほくそ笑んだ。
 これ程までに聴きやすいブルックナーの5番は初めてだ。
 今年のルツェルンの音色は例年に比較しても柔らかいように感じる。
 それはアバドを慕って集まる楽団員の心の余裕(安心感)なのだろう。

 東日本大震災の犠牲者に捧げられたマーラーの交響曲第10番。
 先日のベルリン・フィルとの記念演奏会とは違った表現。
 音楽を楽しむ前に自然と耳に聴こえる調性の妙は見事だった。
 ベルリンとの演奏は緊張感が高く息も詰まる演奏だったが、
 ルツェルンとの語らいは何か気持ちの余裕が感じられたし、
 アバド氏の健康状態も映像を通し良好に映る。

 昨晩(27日)のニュースで、
 毎年松本で開催される小澤征爾&サイトウ・キネンの最終日。
 小澤さんが6日ぶりにバルトークを振ったとの記事を見た。

 世紀が変る頃に、
 アバドも大病を患い長期休養を余儀なくされる日々が続いた。
 近年でも体調不良によるキャンセルも珍しくないときく。
 しかし、
 大病後のアバドの変化と表現はどこか神懸りに思う。
 70歳を越えて一人前とされる指揮者の不思議。
 屈強な精神力なしに楽団員をまとめることは困難なのだろう。
 アバドや小澤さんを見ながら
 重ねられた年齢と実績に比例する楽団員の尊敬と憧れ。
 アバドを慕って集まる老若男女の楽団員の意識の中にある喜び。
 そんな精神の統一が毎年の名演奏を生み出す所以なのだろう。

 再び言おう。
 これ程までに聴きやすいブルックナーの5番は初めてだ。
 眠気が襲う真夜中のリアル・タイムの放送を聴きながら、
 一瞬たりとも退屈な瞬間はなかった。

 決して面白い仕掛けのある演奏ではないものの、
 昨年のマラ9を聴いた後の不思議な余韻とは違う満足感。
 私はルツェルン祝祭管弦楽団のブルックナーを支持する。

 それではモーツァルトは?
 今夜はそれ以上は言うまい(笑)。


 <ブログ内:関連記事>
 *NHK-BS 『アバド&ルツェルン2010/マーラー:交響曲第9番』
  http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20110217

 *NHK-BS『アバド&ベルリン・フィルの大地の歌』:番組情報
 http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20110617


 ~以下NHKホームページより記事転載。

 【ルツェルン音楽祭2011】 
 東日本へのトリビュート(公開リハーサル)

 <曲 目>
 交響曲第10番からアダージョ(マーラー)

 <出 演>
 ルツェルン音楽祭管弦楽団(管弦楽)
 クラウディオ・アバド(指揮)

 収録:2011年8月9日
 ルツェルン文化会議センター コンサートホール

 
【ルツェルン音楽祭2011】

 <曲 目>
 交響曲第35番 ニ長調 K.385 「ハフナー」(モーツァルト作曲)
 交響曲第5番 変ロ長調(ブルックナー作曲)

 
<管弦楽>ルツェルン音楽祭管弦楽団
 <指 揮>クラウディオ・アバド

 収録:2011年8月18、19、20日
 ルツェツン文化会議センター コンサートホール


 【ルツェルン音楽祭2009】

 <曲 目>
 『最後の七つの歌』から(マーラー作曲)
 「わたしの歌をのぞき見しないで」
 「真夜中に」
 「ほのかな香りを」
 「わたしはこの世に忘れられ」

 交響曲第4番ト長調(マーラー作曲)

 <出演>
 マグダレーナ・コジェナー(ソプラノ)
 ルツェルン音楽祭管弦楽団(管弦楽)
 クラウディオ・アバド(指揮)

 収録:2009年8月21日、22日
 ルツェツン文化会議センター コンサートホール


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mimifuku (アバドのブルックナー)
2012-07-21 13:23:37
ルツェルン2011の再放送。
前回の放送を見逃した方は、
早起きしてご覧ください。

[BSプレミアム]
2012年7月22日(日)午前6:00~午前7:50

クラウディオ・アバド指揮
ルツェルン音楽祭管弦楽団演奏会

<曲目>

「交響曲 第35番 ニ長調 K.385“ハフナー”」
(作曲)モーツァルト
「交響曲 第5番 変ロ長調<ノヴァーク版>」
(作曲)ブルックナー

2011年8月19,20日
ルツェルン文化会議センター
コンサートホールでの実況録画
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